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人生の始まり


***





魔法使いに渡された紙は、暫く歩いているとひとりでに浮き出し、蝶の姿を取る。

もはや私には分からないが、魔法の一種であることは疑いようがなかった。


「看破の魔眼………龍の瞳に比べれば、なんとも弱々しいものだ」


龍の目は幻影を見抜き、嘘を破り、見ただけで相手の動きを止めることも出来る。かつての私はヴィーヴィルだったが、魔法を使えば同等の芸当を行うことは出来た。

今は最早この身体に魔力はなく、人の世においても突出する事の無い程度の魔眼しか、神秘の名残は存在しない。

でも。とても、私の気分は晴れ渡っていた。人の世に溶け落ちることは苦難もあるのだろうが―――想いを閉じ込めて生き続けることと、傷を受けてもあるがままに生きること。どちらかよいかと言われれば、少なくとも私は後者を取るのだ。

だからこそ、私はこうして街に向かって歩いているのだ。


「我ながら、少しばかり不思議な存在になったものだな」


魔力はなく、魔法は操れず、それら神秘の全てを見ることは出来ない。しかし、その知識だけは備わっている。

実に、マツリは………あの魔法使いは、丁度いい塩梅に調整したものだと思う。

善い魔法使いだ。そしてその弟子の素馨もまた、優れた魔法使いになるだろう。いつか、必ず礼をしに行かねばならない。龍としてではなく、人として。


「………ふぅ」


息が切れる。歩いただけで体力が削られる。

身体の重みに心臓の鼓動。全く知らない、多くの事。

五感で感じられる情報は限りなく少なくなり、身体の内側から現れる異常は数多い。これが人間なのか。人の身体というものは、本当にもろいものだ。

そんなものを、私はかつて傷つけたのか。

少しだけ落ち込むが、首を振ってその気分を振り払い、先に進む。火が少し傾く程度に歩き続けると、ようやく私は街へと到着することが出来た。


「まだ、先か?」


目の前をゆっくりと飛ぶ蝶は、私を待つかのように揺蕩い、先導を続ける。

深く息を吸った私は、慣れない人混みの中を一歩ずつ、しっかりと進んでいった。

蝶が案内した先は、街の中心部だ。ここはあいつの………テレンティウスの店がある通りにほど近い場所だ。少しだけ緊張しながらも、蝶は宝石店ではなく更にその奥へと、私を導いた。

一体どこへ向かっているのか。疑問ではあるが、マツリのやる事だ。悪い方向に傾くことは無いだろう。

短い時間の付き合いではあったが、人となりはこれ以上ないほどに、理解することが出来ている。私は、彼女を信頼している。

貴族街という事で出歩く人は少なくなり、馬車の姿なども幾つか見える。息を切らして歩く私の姿は、もしかしたら少しばかり異質に映っているかもしれない。

あいつの宝石店に石を届けた時とは違って、隠密魔法を使うことも出来ないので、少しだけ顔を俯かせて私は進んだ。

そして、さらに蝶の案内のままに歩き続けると―――今の私でも、分かる。

人とは異なる気配を、感じた。


「っ」


左目が一瞬熱を持ち、微弱な痛みを発する。すぐにそれは消え失せたが、魔眼が反応するという事は、この奥にいる存在は人ではないか、人という枠を大きく超えた力量を持つ存在という事になる。

………見上げるほどの大きさの鉄扉の前で立ち止まる。紙の蝶は心配そうに私の周囲をふわふわと飛んでいる。

意を決して鉄扉に触れようとすると、その前に扉の方がひとりでに開いた。


「―――待っていたわ。ようこそ、いい夕暮れね」


マツリにも匹敵する、美しい容貌の淑女が。人の姿を持つ、尊い血族が私の前に現れた。


「やれやれ、マツリ君も厄介な依頼を引き受けて、しかも厄介な解決法をしたものだ。まあ良い、報酬は頂く以上、仕事はしなければね。さあ、可愛らしいレディ、まずはこちらへ。少しばかり、お話をしようか」


次いで現れたのは、紅の髪の女性だった。龍をすら殺すことが出来るであろう、洗練された魔力を身に秘めた人間。

………恐らく、龍であった私よりも強い。


「………む、う」

「ふふ。人に慣れていないのね。まあ当たり前でしょうけれど」

「笑い事ではないぞ。人として暮らす、しかも相応の身分を授けるとなれば、それに見合った振る舞いが必要になる。まあ、まずは屋敷に入ってからだな………さあ、入りたまえ。詳細はマツリ君からきいている」

「………よろしく、頼む」

「あら」


淑女が意外そうに微笑むと、扇子を口元へあてた。


「意外と素直なのね。彼女(・・)の影響かしら?」

「人誑しだからな。貴女と同じように」

「酷い言いようね、シルラーズ。最近は抑えているのよ?」

「どうかな。まあいいさ」


そのまま手を引かれて、私は屋敷の中へと入る。


「そうそう、訊き忘れていた。名前はなんという?」

「スフェラだ」

「宝石、ね。良い名だわ。貴女の魂の形を表しているかのよう」

「………そうであれば、嬉しい限りだ。ところで、お前たちはなぜ私をここに呼んだんだ?」

「そういう話は、お茶でも飲みながらにしましょうか」


足の長い絨毯を踏みしめて屋敷の中を進み、金や紅で彩られた豪奢な扉の前に立つ。

それが開かれると、魔術師の物とは違う、赤の髪と青の髪をした二人の騎士………侍従か?………が一礼をして出迎えた。

恐らくは双子だろうが、顔立ちはよく似ているのに、雰囲気は大きく違う不思議な子だと思った。


「龍が人になったという割には幼い気がするな」

「年齢とすれば十五歳から十六歳程度でしょうか」

「精神や肉体から人に還った際に割り出された年齢が、その程度だったのだろう。なに、魔法のやったことだ。基本的に理論に当てはめる事の出来るものじゃない。さて、スフェラ。座り給え」


テーブルを挟んで、向かい側に淑女と魔術師が座り、それぞれの隣に騎士が立つ。私の側には赤い髪の騎士が立った。

彼女が私の左の瞳を深く覗き込む。何度か瞬きをしてその視線を見つめていると、彼女は少しだけ眉を顰めて、無表情へと戻った。


「マツリ君から文が届いてね。”龍が人へと変わる。人としての戸籍と、振る舞いを教えてあげてほしい”とね」

「………本当に、魔法使いだな。マツリは」

「私もじっくりと話したいものだけれど、駄目なのかしら?シルラーズ」

「お前とマツリ君が同じ席でティータイムをすることはまずない。ただでさえ危ういカーヴィラの街のバランスを崩すつもりか?」

「言ってみただけよ、意地悪ね。彼女とは、彼であったときに一目見ただけだもの。でも、ミールやミーア、貴女が言うその魔法使いと触れ合ってみたいというのは本音よ」

「………じっとしていてくれよ、領主サマ。さて」


シルラーズと呼ばれた魔術師が、一枚の羊皮紙を私の前に出す。

そこには私の名前と、姓が描かれていた。


「スフェラ・クルワッハ………?」

「お前の名だよ。お前はこのカーヴィラの街にて男爵の位を与えられ、この街に暮らすこととなる」

「私が人間の貴族?馬鹿を言うな、元は龍であり、親も何もない私がなれる筈が………」

「出来るわ。というより設定はもう考えてあるもの」


悪戯っぽく淑女が笑う。


「貴女はカーヴィラの街の貴族の、遠い血族。とりわけ、(わたくし)の遠い血筋と言ったところね。私の血は龍とは程遠いものだけれど、貴女の左目に宿った異能があれば、その説明にも正当性が生まれるでしょう」

「………魔眼までお見通しか」

「微弱なものだけれど、分かりやすいわ。他の人間にとってはそうではないでしょうけれど」


淑女が紅茶を口に含む。唇を濡らすと、話を続けた。


「けれど貴女は不貞の子。平民として育てられ、最近になって養子としてこのカーヴィラの街に引き取られ、改めて爵位を与えられた。こんなものでいいでしょう」

「実際はもう少し設定を凝るがね。大本としてはそれでいい。そもそも、ただの看破の魔眼を持った人間程度なら、注目などされはしないさ。とりあえずでもいい、納得できる理由があればそれを呑み込むものさ」

「そういうもの、か………」

「そういうものさ。スフェラ、君に貴族の振る舞いがない事も、これで納得される。ずっとそのままという訳には行かないが、逆に言えばゆっくり教育できる時間が生まれるという訳だ」

「………」

「不服そうなのは、貴女が人へと還った理由でしょうね。詳しくは彼女は教えてくれなかったけれど―――大丈夫よ」


優しく、淑女が微笑む。


「貴女は自由だもの。教養や常識は教えるけれど、貴女の生活や人生を縛りはしないわ。あくまでも私たちは、貴女の人としての人生を補助するようにと頼まれて、報酬を貰っているのだから」

「―――そう、なのか」

「そうなの。だから、好きにしていいわ。存分に、人としていきなさい、スフェラ」


私たちを信じるならば、この羊皮紙にサインを。そう言って、淑女が差し出したのは羽ペンだ。

頷いて、私はそれを手に取る。そして、名前を書く。かつて宝石を愛する男から譲り受け、魔法使いから付けられた名を。


「よろしい、契約完了だ。ようこそ、カーヴィラの街へ。新たな貴族として、歓迎しよう」

「貴女の思うがままに。願うままに生きなさい」


………ティーカップを手に取る。ゆっくりと紅茶を飲んで。

私の人生は、ここから始まった。

短編の筈なのに長くなってしまった………もう少しで終わります

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[一言] 領主様久しぶりに出たなあ
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