目覚めへと
***
「や、素馨。お手柄だね」
「………ありがとうございます」
少しばかり照れた様子で素馨がそう笑う。いや、正確には俺には肉眼として見えているわけではないのだが、まあ霊視は視力に寄るものじゃないからね。
千里眼に近いそれであれば、現実的な目を喪った程度で損なわれる能力ではないのだ。
まあ、それはさておき。素馨からの伝言を受け取った俺は、その匂いを辿って彼女の元へと辿り着いた。当然、これから儀式を行うためであり、当事者であるヴィーヴィルも連れている。
「時間帯もいい頃合いだね」
「はい。今日は晴天です」
「そうだね。とても良い満月が浮かんでいる」
嗅覚が捉えるのは、神秘を宿す夜の匂い。濃厚な魔力を含んだ月の光が注ぎ込むこの場所は、確かに人還りの儀式をするに見合った場所と言えるだろう。
「マツリ」
「水蓮。ここは見学だ、余波に巻き込まれないように素馨を守ってあげて」
「………お前」
「分かるでしょう?」
俺はそう言う生き物なのだから。そのように、言外に言葉を含んで水蓮に対して微笑みかける。
人とあちらさんが違う様に。龍と魔獣が違う様に。凡そ、全ての生命を俺は違うのだ。残念極まりない事に、ね。
正直に言ってしまえば、半分以上が人間ではなくなった時点で、その存在を普通の存在と定義することは難しい。あくまでも俺が自身の事を、ただ半分ちょっと人じゃないだけと表しているのは………己をそう定めているというだけのことに過ぎないのだ。
どう思うかと、どう行動するかは重要だが、さりとてそれが本質そのものを決定的に変えるとは限らない。まあ、どうでもいい話ではあるのだが。
深く、とても深く溜息を吐いた水蓮はそのまま素馨の影の中に溶けていく。どうやら納得してくれたらしい。いや、諦められただけかもしれないけれど。
「では、そうだね―――まずは祭壇を作ろうか」
素馨への教育も含めて、一つ一つ儀式の手順を説明していく。
既に場所と対価は手に入れたにしても、儀式と名が付くからにはそれ以外の細かい手法や決まりも無数にあるものなのだ。
これは人還りのような難しいそれだけではなく、簡素な神や魔法の力量を引き出すためのおまじない用の祭壇製作にも通じるため、憶えておいて損はない。
流石に、代わりに実践をしてもらうことは出来ないけどね。少なくとも龍を相手に魔法をかけるのであれば、弱っている魔獣を従える程度の力は必要だ。
こほんと咳ばらいをすると、俺は地面に落ちている石を拾った。
「祭壇は様々な種類がある。例えば石製のモノ。木で作られたものや、単純にテーブルに呪物を幾つか置いたものなんかもあるね。それこそ素馨がタリスマンを作るときに描いた魔法陣なんかも、祭壇の一種ともいえるね」
「私、この場所を探す時にあの時の記憶を思い出していました」
「それは正しい事だよ。最適な経験を呼び覚まし、解決に繋げたという事だからね。よくできました、素馨」
素馨の頭を撫でつつ、俺は石を空へと投げる。空気を切って一瞬浮き上がったそれは、すぐに地面へと落下した。
「今回は石で作る。石を積み上げた祭壇というのは古くから存在する物であり、故に力が強いんだ」
「『私を人へと還らせるためには、それだけ強固なものが必要という事か?』」
「その通り。儀式の場が万が一にでも崩壊すれば、生み出そうとした結果に比例して凄まじい被害が出るものさ。取りうる安全策は、出来る限り採用すべきなんだよ」
そう言いつつ、杖で地面をたたく。煙霧が漂い、そして広間の中心にある世界樹の苗を中心として、巨大な石柱が十二本、生み出された。
「せっかくだからね。彼女も使わせて貰おう」
彼女というのは、世界樹の苗の事だ。枯れ落ち、命を育む土壌とならなくても、世界樹というものは凄まじいまでの命の結晶だ。
この世界のどこかには、きちんと育ち、異界を成した世界樹があるようだけれど、カーヴィラの街近辺には流石に存在していない。それだけの容量は、もうこの地域には無いのだ。
「それに、瘴気を吸って、呪いと化しても面倒だからね」
大木は神性や魔力を帯びる。薬草がそうであるように。けれど同じくらい、呪いを満たすこともあるのだ。枯れ落ちたものというのは、どちらかと言えば負の物を吸い込みやすいからね。
ここで、利用させてもらうとしよう。そうしたほうが、彼女にとっても嬉しい事だろうから。
「ヴィーヴィル。君は対価を支払った。後はもう、俺たちの仕事だ。だから、準備が出来たら世界樹の苗の洞に身体を預け、眼を閉じればいい」
「『………分かった。ありがとう』」
「気にしないで。目が覚めたら、君は新しい君となる。きちんと願うんだ、どうなりたいかを。頑張ってね」
世界樹の苗へと手を差し出す。片目を隠して、静かに頷くヴィーヴィルは、もうその唇を閉ざして、木の洞へと身体を丸めた。
それはまるで、胎児のように。………正しい在り方なのだろう。人還りは生まれ直しにほど近く、故にすべての生命の端緒たる胎児の姿へと変わるのだ。
「さて。準備は整ったよ。しっかりと見ていてね、素馨。いつか、君も辿る道だろうから」
「………はい!」
「うん、いい返事だ。いい場所を選定してくれたから、余計な邪魔は入らないとは思うけれど、まあ何かあったら水蓮に頼んでね」
これ程の大儀式に一切の事前準備なく飛び込むものなど、そうはいないので余計な心配なんだけどね。
魔法も魔術も体系化されたものである以上、相応の結果を出すには相応の準備が必要だ。それを怠ったものに、神秘の微笑みは投げかけられない。
あちらさんですら、そうなのである。人間やそれに準じるものなど、比べるべくもない。例え千夜の魔女に準じる化物であれど―――いや、そういう者であれば出来なくもないだろうけれど、そう言う手合いは違う手段をとるだろう。
じっと俺の方を見つめる素馨の獣角がぴんと立つ。俺がこれからやることを一切、見逃さないようにと言わんばかりだ。
うん、まあ。向上心があるのは善い事である。魔法は見て覚える方が効率が良い事も多いからね。書物を読んで得られるものもあるけれど、魔力の流れを肌で感じることも重要なのだ。
こほんと、咳ばらいを一つ。
杖をくるりと回して、地面を強く叩いた。
「『静寂を 鎮静を 痛みもなく、怒りもなく』」
ローブの内側に手を差し込むと、空へと二つの宝石を放り投げる。それは、俺の呪文に鳴動するように脈動し、枯れ落ちた世界樹の上へと浮かび上がる。
そして、それと同時に祭壇の内側に膨大な魔力が満ちた。
………祭壇である石柱を魔力が巡り、回転する。儀式とはいえ、だ。
人還りは対して時間がかかるものではない。相応の対価を貰っているからね。
「『力を外に 想いを内に 願いを前に 後悔を背後に』」
それでも、この短時間の中には膨大な魔力と願いが潜む。
それはまるで、星が大地に降り注ぐように。月が墜落するように。それほどの魔力が混ざり、膨れ上がり、そして収束する。
「さあ、願え」
君がどう在りたいのかを。どうなりたいのかを。俺達はその背を押そう。
………世界樹の苗の洞に身体を丸めるヴィーヴィルの、その空いた眼孔の内から魔力と血液が流れ出る。それは、空へと浮かぶ二つの宝石へと流れ込んだ。
「………共に。ただ、それだけで、いい」
人の声で、龍であった存在が言葉を発する。ヴィーヴィルの姿が草木で編まれた繭に包まれて、そしてその存在そのものが変貌する。
宙に浮かぶ宝石が融合し、紅と緑が混じり合った複雑な色彩へと変貌する。龍の力が閉じ込められた、魔法の結晶が生み出される。
光が落ちて、影を飲み込む。そして、草木の繭が静かに枯れ落ちた。
「―――おはよう」
新しい世界へ。新しい人生へ。
祝福を齎すものとして、一つ贈り物をしよう。君のこれからの命へと捧げる、名を。
「愛を貫き、人へと転じた存在………かつて君だった名を、君に―――ねえ、スフェラ」
宝玉と。そう名を与えられた人間が、目を覚ました。