儀式の場
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「は、は………」
奔る、走る。妖精の森の中を。
人の立ち入ることのできない妖精の森は、原初の姿を持つ森林だ。神凪の国にも似ているけれど、どこか決定的に異なる森の中を息を切らしながら走る。
先生から託された、儀式の場所を見つけるというお仕事。私の、初めてのお仕事。
それを、絶対に成功させて見せる。
「どこならいいんだろ」
「そればかりは魔法使いの思考次第だ」
背後で水蓮がそう吐き捨てる。自分には関係ないと言わんばかりだけど、まあついて来てくれているだけ彼女にとっては譲歩している方なのだろう。
私が言うのもなんだけど、水蓮はかなりの意地っ張りだ。
それでも、きっとこの森を私が進むのは、水蓮が居なければ不可能だった。その点には感謝をしている。
「………また咲いてる」
虹色に輝く不可思議な花。美しいそれは、触れれば私の時間を奪うだろうということが、直観的に分かる。
魔法使いは妖精の友だ。そして、そもそもが彼らに近い存在でもある。魔法使いが彼らの国に連れ去られることも、間々あるのだ。
ある意味では慈悲なのかもしれないけど。そのうちに、人と魔法使いは相容れない存在となるだろうから。
「惑わされるな。私たちは全ての人間にとって味方とは限らない」
「分かってるよ。先生から教えられてる。人間に悪意を持つレッドキャップたちの事とかね」
ふわふわと浮かぶあちらさんを撫でながら、先生が微笑ながら語ったことを思い出す。
この世の全ては善ではない。だからこそ、魔法使いである私たちは善きものであろうとする。その心こそが、大事なのだと。
せめて幸福を望もう、彼らのために。せめて安寧を祈ろう。私たちのために。
この世に、平和を願うべきだ。願うことが出来るのであれば。この世は不幸と悪意に満ちている。だから、せめて。魔法使いだけは、善い結末を求めよう。
先生はそう言っていた。あの人の瞳には何が映っているのだろう。この世界は、私は。先生にとってどのように見えているのだろう。
時々、先生のことが怖くなる。どこか、遠くに行ってしまいそうで。そして、悲しいほどに優しくて。
「ううん。とりあえず今は、見つけないと」
耳を澄ます。誘惑する全てを切り捨てて、ただ感覚を研ぎ澄ます。
かつては劣等感の象徴であり、他者とは違うという事を明確に自覚させた、獣角を揺らす。
まだまだ、私は神凪の国の外という環境に慣れてはいないけど、それでも私はここで生きていきたいのだ。
「………」
ただ、受け身になるだけではきっと駄目だ。探すという意思を、思考をすることは必要だ。
新しき龍という生命として破格の存在を人へと還す今回の儀式。そう言うの場所に加えて、魔力を集めやすい場所であることが必要だと、私は考える。
魔力―――儀式に使う魔力はきっと膨大なものになる。そして質も必要だ。
ただ大地に存在する魔力を拝借するだけではきっと、どちらも不足するだろう。ならば、どうすればいい?
「素馨?」
「………ん」
答えは、知っている。神凪の国で、僅かながらに経験はあるのだから。
大地から得られる魔力だけでは足りないのであれば、時を合わせればいい。例えば、大地だけではなくて………空から得られる魔力を加える、とか。
そうだ。そうすれば、すぐさまにその光景は脳裏に閃く。
広い広い場所に小さな祭壇。時間は夜であり、そして空には魔力を膨大に含む、魔女の力ともいえる月が浮かぶ。大きな、大きな満月だ。
「水蓮。私を連れていって」
「………いいだろう。背に乗れ、落ちるなよ」
一々走って歩いて、そして足を止めて一つ一つ確かめて、なんてことはしていられない。使えるものは、うまく使おう。
脚を折り、屈んだ水蓮の背中に乗ると、その毛並みを掴む。ひんやりと、その毛並みはまるで清流のような質感だった。
「よろしく、相棒」
「ふん」
大地を蹴り上げる。そして、二つ数えた時には彼女は空を蹴っていた。
水面のような波紋が浮かんで、水蓮が疾走する。アハ・イシカはこうして人間を背に乗せ、そのまま溺死させてしまう事もあるという。
本来は恐ろしい存在なのだ。でも、先生と共にいるこの水棲馬には、恐ろしさは感じない。ただ、なんとなく。隣にいるのが自然と言った、そんな感じなのだ。
「どこへと行くのだ。いくら龍と言えど、あくまでも妖精の森は同胞の領域だ。あまり遠くには、あのヴィーヴィルを連れていくことは出来ないだろう」
「分かってる。とにかくは………そうだね、付近に障害物がない場所がいい。広場みたいになっていれば尚良いんだけど」
とはいえ、彼方に聳える霊峰に連れていかれても困る。水蓮の言う通り、妖精の森は龍ですら自由に闊歩は出来ないのだ。なにせ、ここは彼らの領域なのだから。魔法使いだって、分をわきまえている。
そしてあくまでも私の探すものはヴィーヴィルのための儀式の場所なのだ。
即ち、満月の恩恵を最も強く受けられる場所。それも時間帯によって月灯りが翳ったりなんてする事の無い場所だ。その条件なら、探せばこの周囲に必ずある。私たちが、訪れることのできる領域内に。
「ついでに言えば、なるべく他の同胞が近寄らないほうが良いだろう。基本的に、何をするか分からないからな」
「………あなたの前で言うのもなんだけど、その通りね」
水蓮のように理知的な妖精が居ないわけではないのだが、その数はやはり少ないとは思う。
名を持つ妖精ですらそうなのだ。力はあっても名を持たぬ存在は、その奮える力の割に幼い子供のような思考をしていることも多い。
まあ、それが妖精という存在なので、ある程度は受け入れてはいるのだが………大事な儀式のときに、邪魔をされては確かに困る。
「それを踏まえた上で、選べ。お前の思うままに」
「―――うん」
ゆらりと獣角が揺れた。魔力を音として聞く私の感覚と、音を用いる魔法は、感応するという点において非常に精度がいい。
先生の魔法は………まあ、色々とおかしいので比較対象としては除外するとして、まだ未熟な私でも出来ることは多いのだ。
例えば、耳に飛び込んでくる幾つもの旋律を分解し、求めるものがある場所へと導かせる、とかもできる。
いつだって詩歌は人間の傍にあり、卓越した詩の業は妖精や神々、旧き龍からの贈り物とされる。その業からもたらされる霊感もまた、そうであるという。
眼を閉じて、静かに私は指を伸ばす。奇妙な確信があった。全ての要点を備えた場所が、この先にあると。
「見つけた。行って!」
「ああ」
視覚は開かない。研ぎ澄ましたままの聴覚を信じて、私は水蓮の背にしがみつく。
そもそも妖精の森で物理的な視点や感覚は、あまり役に立たないのだ。見えているものが全てではない、という真理を最もよく体現している場所の一つなのだから。
ならばどうするか。先生は、そう言う時こそ第六感に頼るべきと言っていた。そして魔法使いにとっての第六感は、魔力の感知能力だ。
なるほど、確かにこっちの方が良く分かる。目に映っていたものは幻影やまやかしばかりであったと、改めて理解した。
すこしだけ本当の姿に近づいた妖精の森を駆け抜け、そして私は辿り着く。目的の場所へと。
「………いい空気だね」
「ああ。悪くない。この静謐さは、儀式に問題は起こらないだろう」
枯れ木が立つ、ぽっかりと空いた広間。周りの木々はその枯れ木を惜しむように見守り、けれど近づかない。そんな、不思議な場所であった。
私が過去を見た、あの場所にも似ているけど。ううん、首を振ってその記憶を振り払う。
「育つことのできなかった、世界樹の苗………」
「濃密な魔力はこれが原因だろう。そして、この場なら月を遮られることもない」
「………そうね」
新天地で、私の原点の一つと同じ風景を見るとはなんというか、ちょっとだけ皮肉を感じる。
或いは、前に進めという事なのか。ふ、と口元を緩めると私は懐から葉っぱを取り出し、それに口を当てる。もごもごと口を動かすと、それを空へと放り投げた。
空に浮かんだ葉は鳥の姿となり、飛んでいく。先生の元へと、届くだろう。
「儀式が始まるね、水蓮」
「そうだな。今は休め。そして、しっかりとみておけ。魔法使いの技を」
そう言った水蓮が人の姿へと変わると、暫くの間と奥を見つめる。そして、溜息を吐くのが見えた。
私は首を傾げると、まあいいかと呟いて、少しだけ目を閉じたのだった。