対価は支払われ
「まず一つ。これから行う儀式は、いわばもう一つの人生を歩ませる事の出来るものだ。それだけに、相応の代償が必要となる」
「『蘇りに近いもの、ということか?』」
「そうだね。概念としては、それと同じだろう」
まあ命を一から再構成している訳ではないので、まだこちらの方が楽かもしれないけれど………龍の命、在り方を変えるというのはそれにも劣らない所業であるという事は間違いない。
代償の全てを全てをヴィーヴィルから貰う訳ではなく、俺も負担はするけれど、それでも重い代償を支払うことになる。
完全なる生まれ直しなんて、この時代どころか神代においてすら前例が少ないのだから。
「『私は何を支払えばいい。覚悟はできている』」
「………そう。じゃあ」
帽子のつばを下げて、一歩ヴィーヴィルの元へ近づく。ふわりとローブが揺れて、互いの髪が宙へと舞う。
彼女の透明な瞳と、俺の翠の瞳が混じり合った。
そして、俺は指を伸ばして彼女の左の瞳へと触れた。コツン、と音がして。硬質な感覚が伝わる。
「人となれば、君は光を喪うだろう。だって、君はその瞳を対価とするのだから」
ヴィーヴィルの瞳。龍の抱く宝物の中でも至宝ともいえる、それ。
かつてテレンティウスさんより授かったというそれこそが、ヴィーヴィルが支払う対価となる。
普通なら、ね。
「『………瞳、を………か』」
眼を見開いたヴィーヴィルが、唸る。
視線が彷徨い、迷いの感情が匂いとして伝わってきた。まあ、そうだろう。
己の願いと彼からの想いを天秤にかけられるのか?そう問われれば、答えに窮するのは当たり前だ。
左手に伸ばした手を、俺は自身の唇へと当てる。安心させるように淡く微笑むと、言葉を重ねた。
「うん。でも大切にしてほしいという願いと共に君へと託されたそれを、如何に儀式の対価としても受け取るのは、俺の魔法使いとしての在り方としてあまり好みじゃない」
宝石こそがヴィーヴィルを選んだ。そして、その宝石の意思をとある男は信じ、傷ついた龍と触れ合った。
その邂逅は例え一瞬としても。それでも、想いによって二人は繋がれた。その想いの象徴たるヴィーヴィルの宝石を全て奪うなんて、良い結末とは言えないでしょう。
「『だが、儀式なのだろう?瞳は………この宝石は、必ず支払わなければならないものなのだろう?』」
「誰かが対価を代わりに支払う事も、出来なくはないんだ。時と場合に寄るけれど―――少なくとも、俺は君の瞳の対価となりうるものを持っている」
ただし、と言葉を続けた。
「それでも半分は君自身が支払うことになる。その対の宝石の、片方を喪う事にはなるだろう。それでも、いいかい?」
俺が魔法使いとして出来る譲歩はこれが限界だ。
そして、これだけの対価を差し出したとしても、人として大地に立った後の彼女の人生が、彼女の望んだとおりのものになるとは限らない。
人として生きるという事は理不尽や不条理に行く手を阻まれるという事でもあるのだから。
………ああ、でも。きっと、彼女は選ぶだろうけれど、ね。
「『感謝する、魔法使い。必ず―――いつか、必ず。お前の助けとなろう』」
「あはは。気にしなくていいよ、魔法使いとしてかってにお節介を焼いているだけだから。習性みたいなものなんだよ。さて」
ヴィーヴィルの美しい金の髪を少し崩す。左目が隠れるようになったところで、俺は人差し指を立てて見せた。
「あとは、一つお願いがあるんだ。これからやること………君の左目を抉りだすことと、もう一つ。それを、黙っていてほしい。君に掛ける魔法も、俺に掛ける魔法も含めてね」
「『………?どういうことだ』」
「素馨には対価は正しく支払うべきといった手前、君の対価を肩代わりしたという事はバレるとまずいんだ。素馨が、同じことをしても困る」
「『………ああ、成程。お前の手段は、普通のものでは無いのだな』」
「うん。まあ、そういう事だ。それじゃあ、準備はいい?」
「『―――いつでも』」
しっかりと俺を見て頷いたヴィーヴィルの、その髪で隠れた左の瞳。それを優しく指先で叩く。
龍が唸り、苦痛の声を上げるが、ここで止めては逆に彼女の痛みが増すだけだ。故に、一息に彼女の瞳を―――ヴィーヴィルの宝石を、取り去る。
対価として龍から瞳を奪うのはヴィーヴィル自身が瞳を外すのとはわけが違う。これで、このジルコンの瞳は彼女のものではなくなった。
これで、半分だ。もう半分、対価を支払う必要がある。
ジルコンの瞳を掌の上に浮かべると、もう片方の手で俺は自分の右目に手を当てる。そして、そのまま抉りだすと、宝石の瞳の横に同じように浮かべた。
「『………お前』」
「由来は千夜の魔女の瞳だ。対価には十分でしょう?放っておけば治るんだ、何も問題はないよ」
治るものが対価になるものか―――という点についてはまあ、千夜の魔女だからという暴論で全てが通ってしまう。
旧き龍も神も、この大地すら喰らった千夜の魔女はそれだけ規格外なのだ。肉片一つですら、儀式の贄となってしまうほどにね。
悪用されれば大きな力を引き出されるし、最悪千夜の魔女が蘇る。だからこそ、千夜の魔女の肉体はこの世界に於いて存在が許されない。世界を流浪する精神に関しては滅ぼすことすら難しい。
俺がカーヴィラの街以外で変装していたのは、それだけ千夜の魔女の肉体を持つことが露呈すると面倒につながることの裏返しでもある訳だ。
まあ、それはさておき。
「『千夜の魔女の血を引くとしても、少しくらいは己を気遣うべきだろう』」
「うん?んー、別に俺は自分を犠牲にしているつもりはないよ。出来るからしているだけだもの」
宙に浮く二つの瞳が、ぐにゃりと融けて混ざり合う。
そして、緑柱石を思わせる宝石となって手元に落ちた。俺の翠と彼女の透明が合わさって、この色になったのだろう。これで、儀式に使うものは手に入った。ローブの内側にそれを落とすと、深く息を吸う。
後はもう一つ、やることがあるのだ。俺が君に望む幸福と祝福を―――己のもう片方の目を、指先で摘まんだ。
「『………?!なにを』」
「両の目で、君の新しい世界を見るんだ。思い続けた君には、それだけの権利がある筈だよ」
彼女のあごに手を伸ばし、持ち上げる。そして、空洞となった左目に、翠の瞳をそっと落とす。
とはいえ、今現在では物質的に風景を見ているわけではないのだけれど。魔法を使えば、色々と出来るのだ。
「大丈夫。君だけを特別扱いしている訳じゃないからね」
「『………誰にでもこんなことをしていると考えると、そちらの方が厄介だと思うが』」
「あはは。耳が痛いなあ」
苦笑しつつ杖で地面を軽く叩く。煙霧が広がり、煙の中から樹木が励起する。腰辺りまで一瞬で成長した後に、その先端に別の植物が現れた。
ミスルトー、即ちヤドリギ。俺が良く用いるタイムやセージと同じくらい、或いは魔法や魔術、魔女という点においてはそれ以上に万能と言われるハーブだ。
それを摘まむと、空へと投げる。投げたヤドリギは煙となって、俺とヴィーヴィルの頭上を覆った。
「これでよし。じゃ、内緒にしておいてね」
「『………ああ。ありがとう』」
しっかりとお礼を言えるのであれば、人に還ってもうまくやっていけるでしょう。
さて。こちらの準備はもう終わりだ。素馨の方はどうなっているだろうか。
ここは妖精の森。多少は苦労するだろうけれど―――まあ、有能な魔法使いの卵なら、きっと問題ない筈だ。それまで、暫し待つとしよう。