ヴィーヴィルの想い
「………恋心じゃない。じゃあ、原石はラブレターってこと?」
「『なんだそれは』」
「あー、人の文化とは違うから知らないのか………えっと、好きな人に対して想いを綴ったものを贈る習慣っていえばいいのかな」
「最近恋愛小説物を呼んでいる経験が生きたな、素馨」
「恋文くらい神凪の国にもあったよ!送ったことは無いけど」
まあいいや、と溜息を吐く素馨が、杖を強く握る。
「貴女が宝石を送った理由は分かった。テレンティウスさんにそれを教えればそれで依頼は終わりだけど………」
素馨が俺の方に困った顔を向ける。
―――随分と、魔法使いが板についてきたね。いいよ、君の好きなようにして。
頷いて、素馨に言葉を促す。
「貴女はどうしたいの。ただ、このまま名もなき原石の送り手として、テレンティウスさんが死んでしまうまでじっとしているつもり?」
「『………それ以外に何が出来る。私は龍だ、ましてや一度傷つけた相手の前に姿を晒せるほど、恥知らずでもない』」
「関係ないでしょ。貴女の話が正しいなら、宝石を大事にし続けている貴女を嫌う筈が無い」
「『そもそも私の事を覚えているかすら分からない』」
「いや、どう考えても忘れるわけないと思うけど?!」
「『人の事は私には分からない。そういう場合も………』」
「―――色々と理由つけて引きこもろうとしないで。好きな人の前に出るのが恥ずかしいだけでしょ」
「『………』」
むっとしたヴィーヴィルが素馨を睨み付けた。掌にあった宝石の瞳が彼女の片目に戻り、光を宿す。
「『私は龍だ。どうして人の傍に居れる!』」
「やってみなきゃわからないでしょ」
「『手段もなにも、ありもしないだろう!』」
龍の威圧。即ち咆哮。叫びが素馨へと放たれて、それを水棲馬の姿へと戻った水蓮が防いだ。
静寂の中、獣角を揺らす素馨が一歩前に出て、しっかりとヴィーヴィルの顔を見つめる。
「手段がないかは分からない。貴女がどうしたいか、どうなりたいか。それだけでしょ。私は、私たちは魔法使い。出来る限り、貴女達の言葉を聞いて、願いを聞く。だから」
彼女の太陽のような金色の瞳が煌いた。
「言って。貴女は、どうしたいの?」
………本当に、この短い間で成長したものだ。
やはり素馨は良い魔法使いになる。淡く微笑むと、近くの枝から一枚の葉を貰って、空へと投げた。
そして対峙するヴィーヴィルの女性と素馨の間に入った。
「ねえヴィーヴィル。少し、アドバイスをあげよう。君の瞳に宿ったその二つの石はジルコンと呼ばれる宝石だ。それは持つものの可能性を広げる石と呼ばれる。そしてテレンティウスさんの言葉を引用するならば―――宝石が、君を選んだ」
「『………私は、そこまで言っていない筈だが』」
「なんとなくわかっちゃったんだよ。ま、それはさておき。その可能性を広げる石に選ばれた君だ。少しくらい、欲張った願いを持っても、良いと思うよ?」
そして素馨と水蓮の後ろに歩いて移動する。
「俺達は魔法使い。願いをかなえることは出来る。多少、いや。かなり難しい願いでも、それが幸福につながるならば手を尽くそう………ね、素馨」
「はい!」
元気よく返事をした素馨の肩に手を当てる。
水蓮もまた、素馨の上でじっとヴィーヴィルの姿を見つめていた。
暫くの間視線が通じ合っていると、諦めたようにヴィーヴィルが溜息を吐く。
「『人間とは、私が思う以上にこうもお人好しばかりなのか?あの男といい、お前たちといい』」
「それもまた人によるとしか言いようは無いわ」
「『だろうな。そしてお前たちはどうにも、奇特な側の存在なのだろう。だが………』」
岩場に腰掛けたヴィーヴィルが空を見上げた。太陽に照らされて、彼女の透明な宝石の瞳に光が宿る。
煌くように揺らめいて、その美しい瞳が納められた目を細めた。
「『隣に居たい、どうなっても。それがだめならば、せめて………一目だけでも。会いたいのだ。会って、礼を言いたい』」
「それだけ?」
「『―――人とは、こういう時にどうする物なのだ?』」
「んー………先生?」
「そうだねぇ。まあ、最初に心に浮かんだ想いを掲げるものさ。………龍と人の恋はまあ、御伽噺でしか語られていないからねぇ。現代でってなると、色々と難しいだろうけれど」
それでも、やり様はあるものだ。手段はいくつか存在しているのだから。
「君の最初の願いを実現する方法はあるにはある。まずは一つ。テレンティウスさんが君の元へと移る事。ヴィーヴィルは龍種だ、どの街に居ても………例え、このカーヴィラの街であろうとも、不要な災いを引き起こす。それを回避するには、人の側が移動するのが最適だろうね」
まあ、街の影に姿を隠している龍種というのもいるんだろうけれど、そう言った類のものはかなりの変わり者であり、そして何かしらの目的を以て潜んでいる訳で。
人と繋がるために街へと下る龍というのはあまりいない。その人そのものが龍の弱点になってしまうというのもあるからね。
龍は宝を守る習性がある。それが宝石や貴金属であればいいのだが、その宝が人になってしまえば―――血は、流れよう。
「『駄目だ。………迷惑を、かけたくはない』」
「うん。だろうね」
そのためにこそ、このヴィーヴィルはカーヴィラの街を密かに訪れ、テレンティウスさんに姿を晒さないままに原石を送り届けているのだから。
「二つ目。こちらは権力とかを無理やり突き通すやり方になるけれど、カーヴィラの街には役職持ちの知り合いがいる。その人たちにお願いをして、数年の間だけ君を街の中で匿ってもらう」
幾つかの工作は行う必要はあるだろうが、カーヴィラの街とは元々そう言う場所だ。傷ついた水蓮が送られてきたように、或いは素馨についての依頼が俺に舞い込んできたように。
他の場所ではどうすることもできない神秘に関する問題。それを解決する場所でもある。
あちらさんと距離が近いという事は、それだけ古い神秘が生き残り、幾つもの魔法的な手法が残っているという事でもある。
そのカーヴィラの街の特徴とでもいうべきものを巧く使えば、数年の間ならヴィーヴィルという龍をかくまうことも出来るだろう。ただし、これには問題もある。
「ヴィーヴィル。この場合は、君にそこまでの自由はなくなってしまう。実際にテレンティウスさんに会える数は、恐らく数えるほどになってしまうだろうね」
数年の間で、数回だ。それに対して、街に匿われる際にヴィーヴィルが支払う対価や時間はあまりにも多い。
カーヴィラの街とて無償で問題を解決するわけではないからね。
「どれも、いい案とは思えないです」
「そうだね。俺もそう思う」
「なにか、無いんでしょうか。私が、先生に救われたように、こうして外に出れたように、幸福な結末へと至る道筋は」
「………ん。素馨、少しだけ間違えているよ」
決して、素馨を神凪の国から連れ出したことが、完全無欠なハッピーエンドだったかと言えば、決してそんなことは無いのだ。
「君をこうして俺の弟子にするために、俺はかなりの無理を通した。あの時はまあ、喧嘩みたいな感じだったけれど、逆に言えばそうして力を示すことが対価だったんだ。強い願いであればあるほど、それを実現させるためには如何に魔法使いとはいえ対価を求める。そうして、願いはかなえられる」
勿論、できうる限りはそんなものを求めずに幸福へとつなげたいものだけれど―――強い力があればあるほど、遠く願いが満ちれば満ちるほど、その実現には高い壁が待ち受ける。
対価は言い換えれば代償だ。強い魔法には魔力と贄が必要なように、あまりにも強く、遥か彼方へと聳える願いを実現するためには相応の覚悟が必要になるのである。
ヴィーヴィルは龍だ。大抵の願いであれば、当人自身で叶えられる。それでも叶えられない程に分不相応な願いとなれば………魔法使いが二人居ようとも、対価は必要になる。
「とはいえ、だ。天秤の傾きはあってはならない。それは間違いないよ。その点で言えば、二つ目はあまりにもヴィーヴィルにとって不利だからね。これは、提示こそはしたけれど、魔法使いとして取るべき手段じゃない」
不安げに俺を見上げる素馨の、その獣角に唇を近づけた。
「存外に、突拍子もない方法が実現する可能性もあるものだよ。魔法使いなら、その魔法の使い方を考えないとね」
魔法は術であると同時に想いの宿る、強い力だから。覚悟があれば―――その分不相応な龍の願いにすら、手が届く事もある。
「『………なにか、方法があるのだな、魔法使い』」
「ふふ。かもね、君次第だけれど」
「ん、と………突拍子も、ない?」
「うん。そうだよ、素馨。こういう手段も時にはあると、憶えておいてね。さて、ヴィーヴィル」
左手を彼女の方へと差し出した。
「覚悟があるのなら、最後の選択肢がある。喪うものもあるだろうし、それが幸福となるかどうかは当人たち次第だ。けれど、君の願いを最も叶えられる選択肢だろう」
翠の瞳が輝く。突風に揺られて、白い髪が大きく揺れた。
「―――人へと還る。そんな選択を取る覚悟はある?」
そう、告げた。