ヴィーヴィル
「神凪の国の龍角の変化体とは随分と違うんだ………外の世界の龍って、人に近いんですねぇ」
「そういう訳ではない。龍にも多くの種がいるのだ。このヴィーヴィルは偶々、人に近い形を保っているに過ぎない」
「ふーん、そうなんだ」
水蓮も、妖精の森の主であるプーカほどではないけれど、長い時を生きているあちらさんだ。故にこそ、妖精と呼ばれるもの意外への造詣も深い。
人に対する知識はさておき。好んで人と関わるのでなければ、人を知るあちらさんは少ないものだ。
それに関しては、龍にも言えることだけれど、ね。
「素馨、本題に入って。あと帰ったらまた知識面のお勉強だね」
「うっ、頑張ります―――それで、ヴィーヴィルの………貴方、名前は?」
「『………』」
透明な瞳が瞬く。動きが止まり、首が傾げられた。
「『知らん』」
「知らないって………」
「『生憎と私は一人で生きていてな。名など、持つ必要がない』」
「どういうこと?親はいるんでしょ」
「『いる。だが―――私は臭いらしいからな』」
………本来、ヴィーヴィルは群れで水場に暮らす龍種だ。そして下半身の形をわざわざ人にすることもなく、基本は前述したような半人半龍の姿である。
群れがあるならばそこに名は生まれるが、確かに識別する必要すらないのであれば、名前というものは不要と言える。
ふむ。それよりも、臭いという言葉。不思議な事だ。
「随分と、その言葉を嬉しそうに言うものだね」
普通に考えれば罵倒だからね、それ。けれど、このヴィーヴィルは、仲間から臭いと言われたことを気にしていない所か誇っている。
「匂いなんて全然しないけど。………先生は、どうです?」
「ん?んー、そうだねぇ」
さて。どこまで助言してみるか。
俺は鼻がいい方なので、ヴィーヴィルの女性の言う匂いの正体は分かっている。
臭いと言ってもそれはもうかなり風化しているし、街に出れば霞んでしまうようなものだろうけれど。そもそも、その匂いが付いたもの自体が本来は自然にあったものだ。
価値観そのものの異なる龍種からしてみれば、それは異質なものなのかもしれないが。
「するよ。薄くなっているけれどね」
ここはちょっとだけ、多めにアドバイスしておこう。素馨が得意としている魔法や能力は聴覚に寄るものが多い。
そして、まだ感覚を研ぎ澄ますような魔法や技術は教えていない。出来る事であれば見守るけれど、まだその力が無いのであれば、口を出すのも師の務めってやつだろう。
「匂いの元は二つかな。古びた祈りを抱くように、随分と―――大切にしているようだ」
「『………我々が大切にするのは当然だろう』」
「違うよ。君たちの習性通りの事を言っている訳じゃない。その当時のまま、その思い出を慈しむようにしていることを言っているんだよ」
「『―――未来視かそれとも過去視か?』」
「どちらも使ってはいないさ」
透明な瞳が細まって俺を見つめる。俺の薄らと微笑ながら、視線を合わせた。
数瞬の間そうしていると、ヴィーヴィルの女性が視線を外し、溜息を吐くように言葉を落とす。
「『魔女か。善良なモノに出会うのはひどく久しい』」
「いやいや、俺は魔法使いだよ。確かに、魔女の血もあるけれどね」
「『ふん。どちらも変わるものか』」
あくまでも、俺は魔法使いであり魔女でもあるという風に存在していたい。
まあそれはさておき。素馨の方に振り向いて、続きを促す。
「さ、素馨」
「分かりました。それじゃあ、えーと………ヴィーヴィル。この原石、なんでテレンティウスさんのお店に届けているの?」
「『テレンティウス。あの人間は、そんな名前なのか』」
「え、名前も知らずに行ってたの?というかどうやって………」
「力ある存在ならば、まあ容易い事だ。アストラル学院の結界を破るのでなければ、年若いヴィーヴィルとて街に入り、好き勝手をすることも可能だろう」
とはいえ、と水蓮が言葉を続ける。
「腐ってもカーヴィラの街の中心地。魔法に長けたヴィーヴィルでなければ問題となっていただろうがな」
「そうだねぇ。あくまでも敵意の無い隠密行動だったから街の防衛者たちに露呈しなかっただけっていうのは、大いにあるね」
カーヴィラの街は幾度と戦乱を超えている都市である。国家の侵略、魔物や魔獣の侵攻、発生する怪異の対策、人に敵意を持つあちらさんや龍への対抗等々。
利権を多く持つが故に、防衛手段は豊富なのだ。都市の守備隊である騎士や魔術師も、他の都市に比べ数が多く、練度も高い。
シルラーズさんがその筆頭だね。あの人の魔術の腕は本当にこの世界でも最高クラスだ。あの人がいるだけで、国家レベルですら都市への侵攻を躊躇するほどに。
そんな防衛者は特に敵意や害意に対し目ざとく、細かい手掛かりすら零さず集める。
龍種ですら、単騎でカーヴィラの街を滅ぼすことは不可能であり、姿を隠して街に潜入することすら難しいのである。
この眼の前のヴィーヴィルは、それが出来る数少ない例という訳だ。それとて、敵対意思を持っていれば見つかっていたわけだが。
………あ、あちらさんの悪戯は例外である。害意を持たない彼らのいたずらはまあ、カーヴィラの街ならではのモノとの言えるからね。結構、厄介ごとにまで膨らむ事例も多いけれど。
「『それで、私がなぜ原石を届けているか、だったか』」
「ええ。テレンティウスさんが困っているって訳じゃないけど、不思議がってたから」
「『………』」
「ヴィーヴィル?」
む、というように口を結ぶと、ヴィーヴィルの女性はそのまま声を出すのを辞めてしまう。
素馨が首を傾げ、段々とその角度が深くなっていった。そうして暫く彼女たちが互いを眺めていると、半眼となった素馨が溜息を吐いた。
「言いたくないの?」
「『ふん』」
「もー、なんで意地張ってるの!!というか何に意地張ってるの?!」
「『………子供にはわからん』」
「子供じゃにゃい!!」
「子供だろう。まあ、そういう点に関して言えばお前もそうだと思うがな」
「『黙れ、妖精』」
金色の髪が逆立って、ヴィーヴィルの女性の周囲に鋭利なガラスのような物質が形成されるが―――瞬時に、圧縮された水に貫かれ、砕けて消えた。
ヴィーヴィルは古くから存在する龍種だ。故にこそ、古い匂いと水蓮も俺も表した。しかして、生物の輪廻の中に存在する命であることに相違はなく。
今、俺達の前に立つヴィーヴィルは年若い個体であることに、疑いようはない。
当然ながら、人間の寿命とはスケールが違うんだけれどね。
「一人で生きてきた弊害か、お前の魔法はこと攻撃に関しては歳の割に未熟だな」
「『………忌々しい、暴れ馬め』」
「ふん。本来の姿を見抜くだけの眼はあるか」
うーん、なんか険悪になってきた気がする。
こほんと咳ばらいをすると、良く聞こえるように手を叩く。全員の視線を俺の方に向けると、一歩前に出て帽子を取った。
「素馨。君は耳がいいんだ。もっとちゃんと、言葉や息遣いを聞くべきだ。俺が嗅覚を以て魔力を感知し、想いを知るように、君もまたその音を、声を以て識ことが出来る―――それと」
ヴィーヴィルの女性に視線を向ける。少しだけ近づいて、彼女の透明な瞳を深くまで見つめた。
「ふぅん。言いたくないそれでしょう?それはとても古いものだ。君の本来のモノに劣らぬ力すら持つ。それが、二つ。君はヴィーヴィルとして飛びぬけた力を持つことになるだろうね」
けれど、言葉を重ねる。
「繋がらなければ想いは通じない。何もなく、無条件に伝わるものなんて、この世には殆ど存在しない。誰しもが、察してくれるわけじゃないんだ。時には、自ら歩み寄ることも必要だよ。それとも、嫌いなの?」
最後の一言だけは、ヴィーヴィルの耳元で。
片目を閉じてそっと離れると、取っていた帽子を頭に戻す。
再びむすっとしたヴィーヴィルの頭に思わず手を伸ばしそうになって、苦笑して止めた。
一応、彼女は年若いヴィーヴィルだけれど、俺の年齢よりは長くを生きているからね。あまり、露骨な子供扱いは止めておいたほうが良いだろう。
獣角を何度も揺らす素馨がヴィーヴィルの前に立つ。そして、しかと眼を開いて前を見た。
「言って。困ってるなら、相談に乗る。必要なら助ける。私も、人の子とは言えないけど………意地ばっかり張ってたって、何も解決しないよ。魔法使いを頼って」