宝石を纏う龍
「………意外と、街から妖精の森って遠いですよね」
「まあ、そりゃあねぇ。カーヴィラの街はあちらさんとの距離は近いけれど、だからといって彼らの領域に近すぎれば良くないことも多くなる。適正な距離っていうのはあるものだよ」
とはいえ、素馨のその言葉はまあ、あながち間違ってもいない。なにせ、俺達の家からは森は近いけれどテレンティウスさんのお店はカーヴィラの街の中心部に近い場所にあるのだ。
都市国家であるカーヴィラの街は例に倣ってほぼ円形。中心から森に向かおうとすれば、中々の距離がある。
魔法の箒でひとっとびっていうのも出来るけれどね。当然、俺はそんな目立つことは出来ないのでそうなると素馨だけで飛ぶことになるけれど、不測の事態が起きた時に対処が厄介になるので却下。
となると、こうして地道に歩いていくのが最適解になる訳である………さて。
「残響はまだ聞こえる?」
「はい。森の奥です」
「うん。じゃあ行こうか」
彼らの領域、妖精の森に足を踏み入れた瞬間、素馨の足元の影が揺らぐ。
「わっ!」
水面のように波を打って、彼女の影から姿を現したのは人間体の水蓮であった。
俺によく似た顔立ちと、全く性質の違う髪質。その長い髪を揺らして宙に浮く水蓮が声を発する。
「………古い匂いがするな」
「古い?」
「ああ」
「水蓮、水蓮。あんまり、話過ぎちゃダメ」
「今の私は素馨と契約状態にある。どちらかと言えばこの娘の側に立つのは当然だろう」
「んー、まあそうなんだけどねぇ。ま、いっか」
確かにその言葉にも一理はある。水蓮もまた、素馨の持つ力の一つであることは事実なのだ。
ふぅむ。そうだねぇ、まあ大丈夫か。初仕事だ、多少の助力には目を瞑るべきだろう。
なにせここは妖精の森だ。魔力を扱う事が出来ない一般人ですら厄介ごとに多く巻き込まれる。彼らを見ることのできる俺達のような魔法使いとて、油断すれば連れ去られてしまう、という可能性もあるのだ。
強力なあちらさんである水蓮が壁になってくれているというのは、素馨の安全を守るには丁度いい。
「………子供扱いされてる気がする」
「事実として素馨、お前は子供だろう」
「先生と大して見た目は変わらないのに」
「何事も見た目だけで判別するべきではない」
「あはは。段々と二人一緒にいるのも普通になってきたね」
「………そうでしょうか。私はまだ慣れません」
神凪の国での出来事以降、水蓮は素馨の影の中が定位置だ。
まだまだ互いに素っ気ない所もあるけれど、この二人は必ず良いコンビになる。互いにかけているものを補える存在だからね。
少なくとも―――水蓮は、素馨を護るという意識が存在している。喪ったものに彼女を重ねているのかもしれない。
魂を惹かれている訳ではないから、成長の結果なんだろうけれど、ね。
「あ。かなり音が近くなってきました」
「ふむ。水場が近いね。妖精の森には色々と水場があるけれど」
色々なあちらさんが住まうからこそだろう。或いはそういう条件だからこそ、彼らが集まったのか。
さて………俺は少しばかり、口を噤むとしよう。
ここから先は素馨の仕事、素馨が進ませる時計の針だ。帽子を深く被ると、静かに一歩下がる。
「素馨、一応杖は構えておいてね」
「分かりました」
木漏れ日が落ちる樹々を抜けて、水音が耳に届く。
杖を構えた素馨が短く息を吐いて、水場へと足を踏み入れる。水蓮は宙に浮いて、彼女を後ろから見守っていた。
小さな水音は清涼なる泉から小川となって流れ落ちるもののそれか。小さな岩が中央に鎮座するその静寂の泉に、一つ。
………黄金の髪を持つ、彼方の存在が坐していた。
滑らかな肢体には衣服をまとわず、みずみずしい肌に覆われた長い脚が半分ほど、泉に浸かっている。
「………あなたは」
「―――?」
瞳は色を持たない透明色。その中に密かに沈む縦長の瞳孔が、俺達の姿を映した。
「道理で古い匂いがする訳だ」
「うん。彼女だったみたいだね」
俺と水蓮は、彼女の事を知識として知っている。魔法使いじゃなくても、恐らくは彼女の事を伝承で聞いたことはあるだろう。
それくらいにその存在は古から在り、そして魔法と親しみのある者だ。
「『誰だ』」
「っ?!脳内に声が」
「『私は言葉を持たない。少なくともお前たちと通じ合える言葉は』」
透明な瞳が光を宿す。それは、敵意と呼ばれるもの。
「『私を狙っているのか。それとも、私の―――』」
「危害を!加えるつもりは、ないの。聞いて」
杖を下ろした素馨が、息を深く吸い込んで口を開く。
「カーヴィラの街で不思議な事が起こってる。毎日、小さな宝石の原石が届くというもの。その魔力の残響を追いかけていったら、貴方に出会った」
「『………魔法使いか』」
「そうよ。残響と貴方は同じ音がする。犯人は、貴方?」
「『そうだ』」
黄金の髪を揺らし、水滴を弾いた彼女が水から上がる。
「えっと。服とか、着ないの?」
「『なぜ私がそんなものを着る必要がある。衣類を以て己を着飾るのは人間と妖精だけだろう』」
「そうなんですか、先生?」
「んー、断言はできないかなぁ」
知性ある魔獣とか、魔物にはまあ。そういう文化を持つ存在もいる。だけど、彼女には人間とあちらさんくらいしか生物の区別はついていないのだろう。
人類という種とはそもそもの系統樹が違う。彼女たちは、人間からは生命として非常に遠い存在なのだ。
どちらかと言えば、近いのはあちらさん側だろう。
彼女は、彼女たちが属する種の中ではかなり秘術に親しい存在だからね。
「何故そんなことを………いや、えと。その前に」
獣角をぴょこぴょこと動かし、思考を整理する素馨。警戒するように黄金の髪の女性は素馨と俺たちを見つめ、水蓮は静かに素馨の背後に佇む。
暫くすると、素馨が唇を揺らした。しっかりと彼女の瞳を見つめて、問いを投げかける。
「貴方は、誰?」
「『私の姿形を見て分からないのか』」
「最近魔法使いになって、最近故郷から出てきたばかりだから」
「『成程、道理で。何も知らぬのであれば、欲をかくこともないか。それとも、お前の師の影響か』」
透明の瞳から敵意が消える。水蓮が目を細め、素馨の影の中に戻った。
うんうん、保護者になりつつあるねぇ。さて。
「『まあ良い。私を知りたいというのであれば、答えを返そう。私は―――ヴィ―ヴィル。宝石を纏う龍だ』」
「………?え、龍?」
―――ヴィ―ヴィル。フランスの古い伝承に登場する、宝石の瞳を持つと言われる龍種だ。
一般的には上半身が美しい女性のそれで、下半身は蛇を思わせる姿であるとされるが、魔力によって姿形、認識などどうにでもなるのがこの世界である。
理由があれば、人の姿になることもあるだろう。
瞳に、或いは額に凄まじい魔力が込められた宝石を持つといい、それを盗んだ者は巨万の富を得られるという。
この世界では、彼女は魔法を自在に操る、新しき龍の一族だ。
そもそも、新しき龍は生物という存在の頂点に立つモノだ。だが龍にもそれぞれに種族があり、一族がある。それに従って得意とする物も違う。龍種は殆どが魔力を扱えるうえに、姿形も割と自在に変えられるのだが、ヴィ―ヴィルはその中でもとりわけあちらさんに近い、魔法を得意とする種なのである。
………そんなヴィーヴィルが、何故か宝石を渡す側となっている。さてさて、これは実に不思議な事だ。