宝石商の依頼人
「段々と気温が上がってきたねぇ」
「そうですね、先生」
部屋の窓を開ければ、少しだけ温さを帯びた風が俺達の髪を揺らす。
季節は八月に変わろうかというこの頃、素馨がカーヴィラの街に来ておおよそ一月弱が経過した。
素馨に魔法を教えながら日常を過ごしていると、気が付けばどんどんと夏が近くなってきた。素馨も段々とこの街に馴染んできて、最近は小さな買い物くらいなら一人で行かせることも多くなってきたほどである。
若い子は適応力があっていいねぇ………と、まあ俺もそこまで歳を取っているわけではないのだが。
「ところで先生、そろそろ依頼を受けてもいいんじゃないですか?」
「ん?まあ、そうだねぇ」
「私のせいで、最近の依頼は全部断っているじゃないですか」
「弟子の育成に勝る依頼は、基本的にはないからねぇ」
何かしらの緊急性を齎すような依頼だと判断したものであれば受けるけれど、幸いにしてそういう依頼は無かったのだ。
なので神凪の国での教育に加えて、それなりにこの街での過ごし方や単純な魔法のお勉強などを進めることが出来た。
それ自体は別に問題ないし、良い事なんだけれど、素馨としては自分のために依頼を断っている、と思ってしまっているのだろう。
「んー、あ」
流れてくるそよ風に視線を向けながら一つ思いついた。
いつか素馨も独り立ちし、魔法使いとして依頼を熟すようになる。なれば、その練習はしておくべきだろう。
「えっと………どうしました?」
「うん。次の依頼は素馨も一緒にやろうか。これも一つの勉強だからね」
「え。………え?」
困惑する素馨の頭をなでる。獣角が小さく揺れた。
「心配することは無いよ。依頼と言っても、基本的に現在の魔法使いに依頼されることなんてそこまで厄介な事じゃない。街や国家が揺らぐような事態であればシルラーズさんたちが間に入ってくれる。俺達がやるのは精々が街の小さな困ったこととか、人の悩みを解決に導く、その程度なんだから」
「………結構先生は厄介ごとに巻き込まれているって、ミーアさんとミールさんに聞きましたけど」
「あはは」
俺の知らないところで双子と素馨がきちんと交流しているらしい。良い事だ、うんうん。
ちなみに最近素馨の口調がどんどんと熟達しているのは、ミーアちゃんの教えであるらしい。礼儀作法とかはミーアちゃんがとても詳しい。
自身が持つ毒のせいで、他人からきちんとした人として見られる際には礼儀正しい事をアピールしておく必要があるから、という理由で習得したようだけれど、それでも彼女の血肉となる経験だ。
それ自身はとてもすごい事である。
「俺の場合はまあ、望んで………とは違うか。放っておけないから巻き込まれに行っている所もあるからね。物事と直接対峙するには、周囲から手を差し伸べるより、渦中に入り込んだ方が速い事もあるんだ」
「そういうもの、ですか?」
「普通は自分の命を大事にしたほうが良いから、おすすめはしないけどね。俺はいろいろあって、死ににくいんだ」
まだ素馨に千夜の魔女の話はしていない。あれらはあちらさん―――特にプーカがいる状態で話したほうが良いだろう。
妖人の血をひく素馨にも、遠いながらにも関係している事柄なのだから。
なお、妖人の血をひく素馨だけれど、あちらさんには好かれている。水蓮が彼女を嫌わなかった時点で推測は出来たけれど、師としては一安心。
「それで?」
頬杖を突いて素馨に視線を向ける。
「依頼、やる?」
「―――やります」
「うんうん、結構。じゃあ」
リビングの椅子から立ち上がると、影の中から杖を取り出す。帽子掛けにかけてある魔法使い帽子を被ると、軽く杖を振るって広げられている茶器やお菓子を片付けた。
もう一度杖を振るえば、ひとりでに新しい茶器や紅茶が入れられ、テーブルの上に広げられる。
その様子を見て困惑している素馨に対し、耳を叩く動作をすれば、どうやら彼女は気が付いたらしい。
「じゃあよろしくね、助手さん」
さあ、お客さんだ。出迎えに行こう。
***
「初めまして。私はカーヴィラの街で宝石商を営んでおります、テレンティウスという者です。………ええと、今は依頼を受けて貰えますかな?」
「ええ、丁度今日からお仕事を再開したんです。さ、どうぞ奥へ」
玄関を開けて姿を現したのは、頭にトップハットを被り左目に片眼鏡を付けた初老の男性であった。
右手には頑丈なトランクを手にしており、胸元にはきちんと折りたたまれた手袋が見える。
「おお、それはありがたい。ちょっとした困りごとがありましてな、魔法使いの御方に相談できるのであればとても助かります」
トップハットを胸元に抱えると、にこりと微笑んで白いひげを揺らす。うん、実に良い齢の取り方をした人だと感じた。
リビングに案内して、椅子に座って貰うとまずは隣に立つ、緊張した様子の素馨を紹介した。
「この子は俺の弟子の素馨です。今回、一緒に対応します」
「魔法使いのお弟子さんと?あまり魔法使いは見なくなりましたが、それでも引き継がれる物なのですな」
「あはは、俺と素馨の出会いは少し特殊ですけどね」
「………よ、よろしくお願いします」
「ええ、ええ。可愛らしい魔法使いさん、こちらこそよろしくお願いします―――さて」
片眼鏡を撫でたテレンティウスさんが、トランクを手にする。
「ちょっと失礼」
テーブルの上に置かれた茶器やお茶菓子を丁寧な手つきで横にどかすと、空いたスペースにトランクを置いてその中身を広げた。
その中に広がっているのは、煌びやかな宝石………その、原石であった。
種類は雑多であり、大きさも巨大な物から小柄なものまで様々。しかし共通して言えることは、どの宝石にも微かながらに魔力が籠められていることであった。
「………魔石、ですか?」
「確かに宝石に魔力は宿りやすいけれど、これは人間が意図的に魔力を込めたようなものではなさそうだね」
「ほう、魔力が?私にはとんと、そういうのは分からないもので」
「手にとっても?」
「売り物ではありませんから、どうぞどうぞ」
では遠慮なく、というと二つ手に取り、一つを素馨に渡す。
くるりと廻しながら全体を見てみるが、多少の魔力を含んでいるだけであって、これが単体で何かしらの魔術や魔法の触媒になるかと言われれば微妙だろう。
シルラーズさんが用いるような魔術用の宝石は、より魔力の密度が高く、精度や純度も高い。如何に魔力が宿りやすい宝石とはいえ、この原石単体にはそこまでの力はない。
つまりは、呪いや祝福に仕えるような類ではないということだ。まあ、これだけ集まれば何かしらに用いることは出来るだろうが、少なくとも今現在の単体の原石には、秘術触媒としての価値はそこまで宿っていない。
首を傾げている素馨の方に視線を向けると、獣角を小さく揺らしてから言葉を絞り出した。
「なぜ、こんなにたくさん………これは、えっと、購入したもの、なのでしょうか?」
「実はそこが、魔法使いのお嬢さん方に確認して頂きたいことでしてな」
癖なのか、もう一度片眼鏡を撫でたテレンティウスさんが、手袋をした手で宝石を掴んで目線の高さに持ち上げる。
「この宝石が、どこから来たものなのか。いったい、なんのために私の店に送られてくるのか。それを知りたいのです」