魔術師の戦い
「………かかれ!!!」
八十殿の号令によって、鬼の角や龍の角、獣の角を持つ鎧姿の武者たちが殺到するが、その先頭が刀を以て私を切りつけようとしたところで、全てが止まった。
「刀が動かない?!鬼角の怪力だぞ」
「魔術か、不用意に攻撃しても体力の浪費だ!妖術隊、かかれ!!」
ゆっくりと煙草を吸って、殺到する火球を見やる。それらは全て、私たちの周囲に存在する見えざる壁に激突し、消えていった。
「素馨嬢、覚えておくといい。通常、秘術を用いた戦闘というものは手札の多さが結果に直結する。相手より多くの手段を持つという事はそれだけで優位なのだ」
勿論、個人同士での決闘の場合では、だが。戦争となればまず人数、次いで装備、戦略に士気等々になる。
「そして、手札の使い方。これも重要だ。同じ手札を持っていれば、使い方が巧いもの程勝率が上がる。逆に手札で優っていても、使い方が下手であれば手札の数に劣る相手に負けることもある」
火が通用しないと気が付いたのか、飛来する物が雷であったり水であったりに変わって行くのが確認できた。
「では、どう相手より優れた手札の使い方をするか。それは、牽制と守護を組み合わせることによって、相手を知ることから始まる。相手の魔術や魔法を理解出来れば対策を取ることは容易だろう?」
「動きの先を知れるから、ですか?」
「その通りだ。相手が出してくる手札を予測できれば、或いは完全に知ることが出来れば、ただそれを潰すだけでいい。有利な手を打つだけでいい。当然、理解するためには前提となる知識が必要だがね」
まずは相手の出方を探るというのは、どんな時でも有効なのだ。
「ふむ。基本の妖術は破壊に特化した魔術に近いか。呪いのような搦め手は不得意か?」
妖術で空間を歪めた孤散殿の例があるため断定はしないが、あれが非常に高等な技術に分類されるものであるとすれば、神格たる孤散殿に並ぶ腕が無ければ使えない術であるという推測が出来る。対策はしておくが、さりとて意識を割きすぎる必要はないだろう。
呪いとなれば、適当に心臓を止める呪いでもかければこの場は一挙解決となるだろうが、マツリ君は殺生を望まないだろう。国家や都市間の関係性を鑑みても、神凪の国の住人の命を奪う事は止めておいたほうが良い。
私たちは妖人の血をひく素馨を連れ出す上に、そもそも孤散殿は強力な存在だ。敵に回すのは世界にとってリスクとなる。
「やれ、殺せないというのは面倒だな」
魔術は局所的な破壊や限定的な効果に優れているが、魔法とは違い大規模であったり長期的な効果というのは不得手である。魔法陣等を用いて持続的に発動可能な魔術ももちろんあるが、大抵の場合それは儀式的な物を含んでいたり、設置が可能な状況こそが限られていたりとどこでも使用できるようなものでは無いのだ。
魔法と魔術の明確な差である。魔術は魔法より余程器用に秘術を用いることが出来、千差万別に効能を齎すことが出来るが、さりとて魔法のような規格外の、奇跡のような現象を引き起こすことは出来ず、魔法程に法外に魔力を使い続けることも出来ない。
だからこそ、魔術師には工夫が必要なのだ。
「一切の妖術が通らないか―――樹雨!!」
「了解した」
「単純な術が通じない、そして怪力も通じない。そうなれば巨体という質量を用いる。成程、合理的で有用だ」
しかし、相手が悪い。
左手の指を鳴らす。やや青みがかる宝石が一瞬だけ発光した。
「御免………!!!」
「いいや。君には不可能だ。どういうべきかな、ふむ」
煙草の煙を灰に取り入れ、静かに吐き出す。龍角を持つ樹雨が巨大な龍体になると、空で身体を翻し、私たちを押しつぶそうと迫る。
じっと空を見ている素馨の頭に手を乗せ、ついでに彼女の影に視線を向ける。揺れる影が、止まった。
「ああ、そうだな。おすわり、か」
「む………な、に?!」
素馨の影の中に潜むものが、その力を発揮する必要などない。私だけで十分だ。
―――樹雨の巨体が、地面に叩きつけられる。そしてどれだけ藻掻こうとも、そこから浮き上がることが出来ない。
「魔術師殿………何をした?!」
「種を明かす魔術師などいない、と言いたいところだが、まあ大した術でもない。教えてあげよう。触媒を用いた魔術さ。私が先程使ったのは、”重力が宿る石”を用いた魔術という訳だね」
宝石には力が宿る。この大地が長い時をかけて生みだした産物である以上、それは必然だ。
この世界において人の世は長く、けれどそれ以上に千夜の時代も長かった。その長い時代、多くの戦で溢れた神代から、或いはその遥か以前―――龍が龍である前に、人が人である前に。星という概念も知らず、大地が名もない地平であった頃に生み出されたものに、力が宿らないわけがないのだ。
故に、魔術師が宝石を用いる例は数多い。私も好んで使うモノの一つだ。当然、宝石をどのように魔術として生かすかも魔術師の腕なのだが。一般に、宝石にはそもそもとして力があるが、それ故に魔力も宿りやすい。その性質を利用し、宝石そのものを使い捨ての魔道具のように使用する魔術師が多いが、それは当然ながら非効率で美しくない。
私の場合は、宝石が持つ力、意味。それを効果として発現させる。宝石を私の魔力が通りやすくなるようにカッティングし、魔方陣を刻む事で自在に術を発動させることが出来るようにする。
良い宝石を使えばそれだけ効果が上がり、魔力の使い方でさらにその効率も上がる。地力がある魔術師ならば、こういう手法を用いることが最も強力な宝石の使い方となるだろう。
「あまり重力を増やせば人など簡単につぶれてしまう。例え龍体とて、生物である以上はあまりに重い力は抗いがたいだろう。故に動けない程度に抑えておいた。じっとしていれば、怪我もしないさ」
「………ふざ、けないで、もらおう………私たちは………孤散様の………親衛隊………直属の、配下、だ………!!」
「結界とて無際限に展開できるものでもあるまい。その魔力とて、有限の筈だ!かかれ、攻撃の手を緩めるな!!人数差で押しつぶせ!」
「ふむ」
軍隊が魔術師を捉えることがあるように、確かに魔術師に物量は有効だ。世界に満ちる魔力を受け取ることのできる魔法使いと違って、魔術師の魔力は有限である。多くの工程を経れば自然の魔力を魔術師が利用することも出来るが、それには多くの時間と手間がかかるため、実践や急な戦いにおいて実用的ではない。
………煙草を吸い終わったので、もう一本取りだすと火を着けた。さて。だがしかし、だ。
「この程度の人数ではね、物量などとは言えぬさ」
世界中から多くの魔術師が集まるアストラル学院の長を務めるという事は、そこに集う学徒及び教師陣、それら全てを相手にして容易に勝てる実力があるという事だ。
そうでなければたかが一都市の一学院など、どこぞの国家の手に落ちている。人間というのは狡猾なものなのだから。
「―――おや」
空を見上げる。大気が揺れて、彼方の果てに夜そのものの訪れを理解する。あまりにも強力な、古い魔法の気配を感じた。
なんとまあ、神代の秘術の激突か。この眼で見れないのが残念だ。
だが、あれ程の規模の術がぶつかり合うという事は、彼女たちの戦いは終焉へと至るのだろう。
ならばこちらも、終わらせてしまおう。彼女たちの物語の余韻に、私たちの争いは不要である。
「………まだだ、絶対に素馨を手に入れろ!!」
「いいや。不可能だ」
ゆるりと吐き出した煙が彼女たちの周囲を漂う。少しばかり異質な色をしているそれは、不可視の煙だ。
私が、或いは素馨嬢か、その影に潜むものくらいにしか認識は出来ていないだろう。なにせ敵対する彼女たちは本質的には魔術師ではなく、孤散殿を守る戦士なのだから。
「ッ!?これ、は、毒、か………?」
「まずい、吸い込む、な!」
「毒ではないさ。ただ、眠らせるだけの魔術だからね。さて、ゆっくりと休むがいい。君たちはできうる限りの責務を果たした。誇りなさい」
己の役割を全うする物には礼節を向けるべきだろう。
煙草の火を消して、素馨嬢に向き直る。
「………ありがとう、シルラーズ、さん」
「気にするな。私が請け負った、私の仕事だ。さあ」
君の師匠を待とうか。私の言葉に、素馨嬢が力強く頷いた。