もう一つの闘争
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孤散殿から貸し与えられた家の一角で、静かに煙草をふかす。
そんな私の横で、ソケイ嬢が櫻渦の城の方角を静かに見つめていた。
「さて、そろそろマツリ君は、この国の主と話を始めた頃だろうか」
「………先生は何を話しに行ったんでしょう」
「うん?そりゃあ君の処遇だろう。君は混血とはいえ妖人だ。神凪の国は外の世界に妖人という存在を露呈させることを嫌がっている節がある」
というよりは国家全体を隠遁する気でいるという方が正しいだろうか。
最低限の情報を獲得し、文明の発展を確かめつつも神凪の国そのものがそこに介入することは無い。同じ星の上に共に在るというよりは異界から人間社会を盗み見ている様に近いだろう。
妖人の王である孤散という存在が妖人を愛し、守護しているのは間違いないが、そのやり方は過保護が過ぎるというのも事実である。
まあ他国の人間とも魔術師とも異なる遠い隣人相手に、一介の都市の魔術師である私がとやかく言うことは出来ないし、興味もないのだが。
「私が先生と共に外に出ることを、孤散様が認めない………ってことでしょうか?」
「ふむ。八十点の答えだ。妖人という存在に伝わる血脈を考えれば、マツリ君も含めてこの土地に縛り付けておきたいと考えていると見ていいだろう」
「私たちの、血………?」
「知らされていないのか、ああいや。当然か」
妖人は魔女や魔獣との戦争の記憶が薄い。それどころか感慨すらない。
殆どの人間が千夜の魔女という存在に忌避感を抱いていないのがその証拠だ。推測すれば妖人は恐らくこの土地の土着の神と魔獣の混血であるという事は理解できるだろうが、それは己たちの血脈が外の世界の人間とは決定的に違うと知識として知っていて初めて疑問が湧くものである。
妖人の文化と歴史しか知らないのであれば、推測しようとすら思わない筈だ。
「なぜ、先生も」
「ソケイ嬢、覚えておきなさい。マツリ君がその身に宿している呪いは千夜の魔女の肉体へと変じるというモノ。そして千夜の魔女という存在は外の世界では忌み嫌われる、災厄そのものなのだ」
「………確かに、先生の力が怖い時がありました。それでも、先生は先生です。優しい魔法使いです」
「君は良い子だな。マツリ君が助けるのも分かる。だが人間というやつは偏見や色を付けて他人を見る。孤散殿がマツリ君を神凪の国に閉じ込めようとしているのは、その被害に遭わないようにするためだ。一応は、彼女なりの優しさであることは間違いないが」
待っている人間が、帰る場所があるのであれば。如何にマツリ君といえその誘いを蹴るだろう。
「さて」
―――その程度の事はこの国の主も想定している。
争いになることも、考慮の内だろう。そして恐らくは本気を出したマツリ君の力を己の力で超えられるか確証がない事も把握済み。
だからこそ彼女は別の手を打っている。己のみでは手が足りないならば、他人から力を借りればいいのだ。実にその思考は合理的である。
「ソケイ、素馨。ふむ、呼び方にも慣れてきたな。さて素馨嬢よ、少しこちらに寄ってくれ」
「え?分かりました………?」
「うむ、そこでいい」
白衣のポケットから幾つかの宝石が受けこまれた手袋を取り出す。それを左手にはめると、そのまま新しい煙草を口に咥えて、火を着けた。
煙が揺れ、周囲を漂う。風もないのに、ゆらりゆらりと空間を埋め尽くす。
「………これ、ま、じゅつ?」
「静かに」
人外の存在になりつつあるマツリ君だが、その心は人道的だ。魔術師である私より遥かに清い心を持っている。
まあ潔癖という訳ではなく、清濁併せ呑むのも事実だが、それとて人間としては普通の範疇だろう。
己の力で成しえないならば、別の手を取る。素馨嬢を先に手に入れることで、マツリ君の行動を縛り付ける、実に効果的だ。故にこそ、マツリ君もそれを警戒して私に素馨嬢の杖を調べてよいという対価を差し出したわけだが。
基本この国では私は傍観者でいるつもりだったが、用心棒として雇われれば話は別だ。対価分の仕事はする。
………今頃、マツリ君と孤散殿は闘争を繰り広げているだろうが、彼女二人が打った手によって私と彼女らの戦いもまた始まるという訳である。
そうだな。強いて言えば、私はマツリ君ほど優しくはないということか。
「『力、輝き、狼』」
魔力を込め、力ある言葉を放つ。
用いたのは立った三つの単語だけ。しかして、効果は強烈であった。
「………先制された!!退避!!」
「ふむ、反応が遅いな」
視認すら難しい炎の槍が数本生み出され、家の壁をすり抜けて家を包囲している妖人の群れへと突き刺さった。
更にそこから爆発。悲鳴が上がるのが聞こえた。
「『大地、熱、溶解、水』………多少の怪我くらいは覚悟してくれたまえ」
次いで大地から炎の噴流が巻き上がる。
やはり破壊するという点において炎を用いた魔術は便利だ。生きている存在であれば尚更に火が有用である。
煙草を吸って息を吐いた。懐から鏡を取り出すと、指先で軽く叩く。
「『鳥の目を』」
簡素なスペルを告げると、鏡の中にこの家を中心にした風景が現れる。
「凄い、綺麗な音がたくさん………全部、魔術なんですか?」
「そうとも。ふ、君は魔術を綺麗と表現するのか、面白い」
「いろんな音があるんです。種類がたくさんで、だけどその全てに不協和音が混じらない。しかも、合わさって更に美しさを増す………」
「それこそが魔術の本懐だ。多くの知識を得、多くの魔術を治め、それを自在に操ることで人が生み出した神秘たる魔術は魔法と並ぶに至った。本来自然と相対し、人を導く魔法とは異なり、魔術は人が己を守る盾であり矛であった。しかして、人が編んだ技である以上、そこに芸術の如き真理が宿るのは当然と言えるだろう?」
「確かに―――魔術は、芸術みたいです、ね」
随分と目を輝かせるものだ、成程………マツリ君のいう通り、彼女には才能がある。
アストラル学院に、是非迎えたいものだが、さて。マツリ君はそれを許すだろうか。
まあいい。その前に私の仕事を済ませなければね。
「出てきたまえ、一応言っておけば私も悪魔ではないからな、投降してくれれば不必要に暴力を振るうことは無いと保障しよう」
「………それはこちらの言葉です。どうか、素馨を返していただきたい」
破壊音が響いた後、家の壁を切り刻んで少女が現れる。私の魔術は物質を透過して彼女らに攻撃を加えたため、外の彼らと対面するのは初となる。
「やあ、八十殿。孤散殿が差し向けるのであれば君たちであろうと思っていた」
「………マツリ殿も中々に厄介だ。貴女を守護に付けるとは」
「いやいや、私だけではないよ。先天的な物か後天的なモノかは知らないが、彼女にはある程度の危機意識はあるようでね」
思慮深さと言い換えてもいい。いずれは国家や都市間にすら陰謀を張り巡らせることも出来るかもしれない。今できないのは、単純にその経験がないからだろう。まあ、神秘の学徒たる魔術師である私が言うのもなんだが、人間は慣れが肝心だ。慣れれば、誰でもその程度の事は出来るようになるものだが。
「櫻渦城を護る近衛兵がこの家を取り囲んでいます。どうか、投降を。素馨を救った恩人に傷を付けるわけには行きません」
「………あ、あの」
「素馨嬢、何も不安がる必要はない。恐れることも、心配も不要だ」
私を見上げる素馨嬢の頭をなでる。不要な言葉など、発するだけ無駄だ。
「何故かといえばだね、彼女らでは私に触れることすら出来ないからだ」
小さい金属製の釘を取り出し、地面に突き刺す。異音が響いて、境界が別たれる。
一切の音も気配もなく、どこまでも効率的に魔力が動き、魔術が行使された。
「さあ」
片手を出して手招く。
「かかってきたまえ」