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茉莉と素馨



魔法で補強されたボロ小屋の一室。優しい風が通り過ぎるその中で、小さな声が響いた。


「………ん」

「ああ、起きた?おはよう、素馨」


俺の太腿の上で寝息を立てる素馨が、静かに瞳を開いた。

頭の上の獣角が揺れて、視線が上へと逸れる。


「うん………おはよう。えっと………マツリ」

「ふふ。好きに呼んでいいよ。マツリでも、先生でも」

「じゃあ………その、先生、で、お願い、します」

「いいよ。君に好きにしてね。口調とかも、ゆっくり慣れていけばいいから」


師弟関係の体裁を整えようとして口調を正そうとしているの、可愛いなぁ。微笑みつつ顔を素馨の傍へと落として、己の垂れた白い髪の内側で彼女の額に口付けをする。

さあ、挨拶が済んだところで。俺は空を見上げた。快晴の空の下、というやつだ。朝日は昇ったばかりではあるが、その表現に間違いはないだろう。

太腿の上であぅあぅと顔を赤くしていた素馨が、俺と同じ方向を見て口を開く。


「私、何日くらい寝てたの?あ、寝てたん、ですか」

「三日くらいかな。体内の魔力を消費したからその分からだが休息を求めたんだろうね」

「杖もなしに魔法を使ったから、かな」

「だろうね。初心者は特に、杖を使わずに魔法を扱うことは難しいんだ」


彼女の頭をなでながらそう言う。だからこそ、だ。

微笑ながら、俺は胸元に手を当てた。血を滲ませつつ、胸元の奥に手を差し込むと、その手の中に硬い感触を握りしめた。


「杖を亡くしてしまったんでしょう?だから、俺が作っておいたよ」

「………え」

「俺も、杖は貰ったからね。弟子が出来たら、こうして杖を渡してあげたかったんだ」


―――材質はウォルナット。模様としてその材質に焼き付けたのは、ジャスミンの花と蔓。

真っ直ぐに整えられたそれらの先端には大小様々な鈴が飾られており、その頂点に埋め込まれたのは、桜の花を閉じ込めた半透明の薄い黄色の琥珀。

君の魔法に適したように。君が、大いなる愛を抱けるように、そして。幸福を、その身に受け止められられるように。そう願いを込めて、俺は杖を編み上げたのだ。

杖を取り出した胸元の傷がぐにゃりと結合し、埋まって消える。

血を振り払いながら杖をくるりと回せば、シャランと清涼な音が鳴り響いて、鈴が揺れた。


「受け取ってくれるかな?」

「―――いいん、ですか?」

「勿論。君のための、君だけの杖だ。魔法使いは、弟子に杖を授けるものだからね。古からのしきたりを、この一時だけでも再現しよう。そうして、素馨がまた弟子を取るときに、それを繰り返してほしい」


人の世は人の歩みで作り上げるもの。時代が進めば魔法使いもまた人となる。

素馨は俺とは違う。人の世に、生きることが出来る存在だ。だからこそ、彼女の道の果てで、魔法使いの道筋を遺してほしい。

俺の太腿から顔を上げた素馨が、正座の姿勢を取るとそっと両手を前に差しだす。俺は、その掌に杖を静かに置いた。


「今日から、君は俺の弟子だ。必ず君を守り、育て、そして導こう。よろしくね、俺の可愛い教え子よ」


瞳に光を宿し、素馨が頷く。ああ、良い事だ。彼女は長い時間の果て、孤独の向こう側で。

闇の中で蠢く赤い瞳が齎す、冥々の霧の果てで。確かに己の答えを見つけた。この娘はもう、この娘の人生を歩むことが出来るだろう。

………一つだけ、俺がやらなければならないことはあるけれど、ね。

俺は素馨の師となった。ならばこそ、やらなければならないことになったのだ。そして、それならば。俺は、それを熟そう。


「おっと。それと、改めて紹介しておかないとね。君をあの怪異の中で助けたあちらさんの事を」

「水蓮のこと?」

「そうだよ………ほら、水蓮、隠れてないで出てきなさい」

「ふん。別に隠れてなどいない」


俺の影が揺らいで、形が変わる。そして、それは人の姿を取ると、人間体の水蓮が俺達の前に姿を現した。

水蓮は素馨に視線を向けると、少しだけ視線をやらわげる。


「無事か」

「うん。おかげさまで。ありがとう、水蓮」

「私だけの力ではない。奴らの領域から抜け出すには、私だけでは不可能だった」

「まあ、彼らはそういう存在だからね。文明の生まれる前、千夜すら生まれるその前―――人が未だ人ではなく、生命が原初の姿を保った、ただの獣であった頃から存在している最古の魔だ。火を恐れる彼らだけれど、その視線に囚われた存在は本来ならば、絶対に彼らの領域の外には逃げられない」


旧き龍が生まれ、妖精の王と女王が生まれた。この世界の歴史によれば、その後に千夜の魔女とその他の魔女たちが発生して、漸く人が生まれるんだけれど、当然ながら人が虚空から生まれるわけもなし。

この世でも霊長を名乗るからには、彼ら人々は元は獣であったのだ。

魔術を操り、魔法を編み込み、勇者と賢者の力を以て千夜の魔女すら封じた人間は、生命の王たる新しき龍に並ぶ獣の王。即ちそれこそが、この世界の霊長たる所以なのである。

本来、紅く輝く獣の瞳のたちはそんな霊長の天敵である。火の加護から離れた人間を喰らう根源の恐怖の象徴であるからには、人間は彼らの世界の中から生還することは不可能なのだ。今回は、俺が渡した諸々と水蓮の協力があったからこそ、内と外から道を繋げることが出来た。そのか細い道を、素馨の意思の力と………素馨の背を押す、彼女を守る愛の力が広げた。だからこそ、素馨と水蓮はこちらに戻ってくることが出来たのである。


「水蓮だけの力ではないし、俺だけの力ではない。素馨の意思もあって、そして今まで生きて積み重ねてきたこともあって。それで彼らの道理を捻じ曲げることが出来たんだ」

「そう、なのかな」

「基本的に、人間というやつは一人では生きられないものだ。一人で生きるべきではない生物なのだから当然だがな」

「あちらさんだって、孤独に生きる存在は殆どいないけどね」


旧き存在であるプーカだって、俺や長老様、他のあちらさんと触れ合っているのだから。

さて。立ち上がって自分の杖を取り出す。そのまま床にコツンとぶつければ、ボロ小屋を補強していた草木が枯れ落ちていく。

落ちた葉が視界を遮る。髪に引っ掛かった黄色いそれに息を吹きかけると、素馨の手を取った。


「弟子になったのであれば、君をこんな場所には居させられない。戻ろうか」

「………はい」

「それと水蓮。君はまだ力が回復しきっていないでしょう?だから、素馨の影の中にいること」

「お前の中ではなく、か?」

「うん。守るべきは素馨だよ。俺じゃない」


なんだかんだ言って、自衛する手段は俺の方が多いからね。

まだまだ魔法使いとして未熟な素馨にこそ、水蓮という強固な盾は必要なのだ。基本的に水蓮がいれば、大抵の怪異や魔術師は返り討ちに出来る。今回のように相手の領域外から抜け出すなんてことはそうそうない事だからね。

そもそも弱っていても彼女は強い。その上で、素馨の傍にいることで水蓮も素馨も、お互いの力を回復させられる。

―――君たちは、そうあるべきだから。


「運命は廻りだした。君は歩みを進める。前へと、進むんだ。だから、行くよ」


素馨の黄金の瞳に、光が落ちる。陽光を煌かせて彼女が握った手に強く力を込めた。

俺は杖を翳の中に仕舞うと、帽子のつばをそっと降ろす。

弟子の正念場は過ぎ去った。次は、俺の番だ。


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― 新着の感想 ―
[一言] まつり、先生、なんて素晴らしい響きだ
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