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闇の中の夢


***




闇の中を歩く。ただ、ただ。

どこを見ても闇は続くばかりで、けれどその奥には輝く紅い瞳がこちらを覗いていた。


「そっちに行けば、いいのね」


獣のような瞳が瞬く。頷きの代わりだろうか。

私は彼らに夢を見させてもらった。それは一瞬の白昼夢だったけれど、それでもこちらから彼らの元に足を踏み出せば、その夢の中で消えてなくなってしまえる。

幸福の代償が私なんかの命であるのならば、私はそれを躊躇なく差し出す。これでいい、これこそが私の望んだ結末なのだ。


「まだかな」


少しだけ息が上がる。後ろを振り返るけれど、やはりそこに在るのは暗闇だけだった。

杖を強く握って、更に向こうへと歩き出す。やがて、私の周囲を覆っていた闇に紅い霧が混じり始めた。

その霧は夕焼け空のように世界を彩り、徐々に私の願う夢を―――私を置いて行ったあの人たちの、真実の思いを紡ぎだす。

ふと思った。彼らは、なんなのだろう。

私に夢を魅せた彼ら。マツリが、近づくなと言った彼ら。

………直感で分かる。彼は良くないものだ。だけど、明確な悪意があるものでもない。ただ人とは相容れないというだけの存在、或いは………人が、恐怖し、畏怖するナニカ。

マツリなら明確な答えをくれるのだろう。私に分かっているのは、彼らは幸福な夢を見せてくれる存在という事。

そして、その夢の中であれば、どんな願いも叶うし、どんな過去の真実も映し出せるという事だけ。

結局のところ、私は私を置いて行ったあの人たちに囚われているのだ。それを、自覚してはいても逃れることは出来ない。

どれだけ優しくされても、どれだけ憐れまれても、どれだけ救いの手を差し伸べられても。

「どうして、私を置いて行ったの」って。それを問いかけずにはいられない。

紅い霧が晴れて、甘く危険な匂いが世界を覆う。そうして、私の前にあの人たちが。私の、両親が立っていた。


「お父さん………お母さん………」


私の姿も、随分と幼くなっている気がした。当然だ、紅い瞳の持ち主は過去を映し出すことが出来るけれど。そして見たい夢を見ることが出来るけれど。

存在しない真実だけは、生み出せないのだ。

過去という鏡像を再現するだけ。それで、いい。その中で、私はあの時問いかけられなかった思いを、この最期の時間で吐き出すのだ。

杖を持つ父と、その横に立つ巫女服の母に手を伸ばす。


「―――どうして、私を連れて行ってくれなかったの?」

「………危険だからだよ」

「それでも、私は一人でこの国に残りたくはなかったよ」

「………そうね、私たちも、貴女と離れたくなんてなかったわ」


母も、父も。どこか泣きそうな表情で私に微笑む。

手を私の頬に伸ばして、母が呟いた。


「私たちは、きっとこの先………生きて帰ることは出来ない旅時に出る。貴女を、巻き込みたくなかった。これは、私たちの我儘よ」

「どうしても、行かなければならなかったの?」

「ああ。悲しい事だけど。いつか、誰かが僕たちが対峙した闇を払うかもしれない。けれどそれまでにそれを抑える者も必要なんだ。本来ならば死んでいた僕が返せる唯一の物が、それだけなんだよ」

「崇高な使命ってやつ?」

「………愛する一人娘を置き去りするようなものが崇高なものか。それでも、誰かがやらなければならない」


母の服を強く掴む。


「私よりも大事なことなんでしょ」

「………違うわ」

「それでも、私よりも優先した」

「………それは」


事実だからだろう。母も父も口ごもり、目を伏せる。


「例え一緒に消えるのだとしても、私は一緒に行きたかった。どんな風に私を思っていたのだとしても、結果的に私が捨てられたことに変わりはないんだ」

「素馨」

「私は半端者。一生それは消えない事実として私に纏わりつく―――ねえ、お母さん、お父さん。これは呪いだよ、辛いよ………」

「聞いてくれ、素馨」

「あなたたちは私を確かに、愛していたのかもしれない。だけど、その愛がどうしようもなく私の内側を蝕んでいく。遺された愛なんて、捨てる当てもないんだよ」


だから。


「―――だから、私はもう、この愛を消してしまうんだ」


愛とは命。二人に愛された私が、私自身を捨てることでようやく、この祝福(のろい)から解き放たれる。


「答えを聞けて良かった。あの時と同じことを聞けて、良かった。これで私はもう悔いなく、この世界から消えられるよ」


紅い霧の中で、静かに二人から視線を逸らす。ゆっくりと眼を閉じて、再び覆う闇の中にこの身体と意識を投げ出そうとした瞬間、耳の奥に聞きなれない声が届いた。

清流のような清らかさと、激流のような荒々しさを内包した音。水の底から浮き上がる、密かな呟き。


「―――ふん、余程に腹が空いているのか。随分と、貴様らにとって良い言葉だけを語る。お前たちの瞳は、そういうモノではないだろう」


言葉と共に飛沫が上がり、闇の中に入り混じる紅い霧が怯んだように揺らいだ。

思わず、目を開けて………その瞬間、私は抱きしめられていた。誰に?いや、そんなの。

私の、両親に決まっている。


「私たちの想いを素馨に。愛していたと、そう分かるように。私たちは、愛していたことすら伝えられなくなるから」

「そして、親の愛情という魔法を以て―――君に、幸福が降りかかるように。その孤独を癒してくれる存在に、出会えるように」


僕たちの、私たちの祈りはそうして君に捧げたのだと。


「一人遺される貴女が、自分の幸福を見つけられるように。少しでも、傷つく事の無いように」

「いつか、君を見つけてくれる人が。手を取って、浮かび上がらせてくれる人が現れるから。そう、この世界と素馨に、僕たちは願いを込めたんだ」

「………出会える、ように?」


脳裏に白い髪の魔法使いの姿が踊る。あの、薬草と煙の臭いを纏わせた、美しい人。


「出会えたんだろう?」

「手を伸ばされたんでしょう?」


両親が私から身体を離す。私は手を伸ばしかけて、その手を降ろした。


「私たちが残した祝福は、確かに今この瞬間の貴女の孤独は癒さないわ。だけど必ず、その歩みが誰かとつながるように―――ごめんね、伝わりにくい親心で」


両親の姿が消えていく。黒い髪に獣角を持った母親と、黄金の瞳を柔らかに細める父親が、滲むように静かに溶けていく。


「大事だから、守りたい。この命に代えても、生きていてほしい。これは、素馨の言う通り呪いなのかもしれない。だが、それでも」


親は、子の幸福を願うんだ。


「だから、この呪いをどうか、受け止めてほしい。酷い我儘だって、分かってはいる」


それでも愛されていたという真実を、忘れないでほしい。それで、君の思うがままに生きてほしい。

私は静かに両親に背を向けた。ゆっくりと歩き方を思い出して、一歩踏み出す。その背を二つの手が優しく、力強く押す。


「………ありがとう、顔も知らない魔法使い。そして、水の隣人。過去の水鏡の僕たちだけど、既に本物はこの世にいないけれど。素馨に、思いを遺すことが出来た」

「あとはどうか、この子をお願いします。そう、お伝えください」

「―――旧き友の思いにこたえよう。私も、子を思う気持ちは分かるからな」


そう声が聞こえて、そして。一歩踏み出した足がずるりと黒い闇の澱む沼の中に沈んだ。

紅い瞳の持ち主は私がここから去ることを許さないだろう。彼らは人の最期に望む夢を見せて、そして喰らうのだ。私は両親との邂逅で、夢を見た。思いを果たした。

だから、本当ならこのまま彼らにこの身を委ねるべきなんだ。そういう、契約だから。それが摂理だから。それこそが私の選んだ運命(おわり)だから。

だけど。だけど………。


「帰りたい、なぁ。マツリ、に。また魔法を教えて貰いたいなぁ………」


”『運命は、転輪する』”

そう、呟く。彼女から授かった魔法を。

―――意地を張るのを、やめて。姉のような、母のようなあの人に、今度こそ。


師匠(せんせい)って………呼びたいなぁ………」


………紅い霧と闇が震える。一筋だけ涙が零れて、その瞬間に。


「………?」


一時、束の間。闇が晴れた。

いや―――晴れたなんてものではない。生み出された淡い翠の光が、闇を喰らっているのだ。

視線を自身の胸元に移せば、その光は魔女の石のタリスマンから発せられていた。

やがて光はその形を変えて一筋の道を示す。闇と赤い霧の向こうへと。


「何を呆けている。帰るのだろう?」

「………っ?!だ、誰?!」


足元から水飛沫が上がる。声と共にその中から現れたのは白い体毛を持ち、蹄の代わりに水掻きを持つ馬の姿。


「水蓮。お前たちの言うところの妖精だ」

「この声、さっき一瞬だけ聞こえた………というか一体どこから?!」

「そういった思考は後にしろ。マツリの授けた道筋も、奴らの領域の中では長くは続かん。帰るなら、私の背に乗れ」


白馬、いいや水蓮が身体を沈める。帰るなら、と。この人はそう言った。

躊躇は一瞬だけ。そうだ、思うがままに生きてみよう。それを、私の両親は許してくれるはずだから。

水蓮の背に乗る。そういえば手に持っていた筈の杖はどこに行ってしまったのだろう。まあいいや、それよりも今は―――帰りたいと、そう思うから。


「行くぞ。掴まれ」

「………うん!」


激流のような軌跡を遺して、異形の白馬が駆ける。紅い瞳が無数に見つめる闇の中に、一筋の流星が生まれた。





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― 新着の感想 ―
[一言] えがったえがった
[一言] さて、このまま大人しく帰してくれるか… 師匠!出番ですよ!
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