闇の中の赤い瞳
***
物心がついた時から、私は一人だった。
神凪の国に於いてただ一人、私は妖人意外の血を引く半端者だった。妖力ではなく魔力を持って生まれた歪な存在であった。
私は角はあるが尻尾はない。故に、思いを発することが出来ない。受け取ることだけしか出来ない。この国の人たちが悪い人ではないというは分かっている。
彼方へと旅立った両親の代わりに孤散様や他の人達は私を助けてくれたし、風邪を引いたりしないように手をかけてくれた。
彼らがいなかったら私はとっくに死んでいただろう。だけど、いや。
………だからこそ、そうしてずっと世話を焼かれる半端者である自分自身が、どうしようもなく嫌いだったのだ。
さっさと消えてしまえれば良かった。両親と共に、国を去れたなら良かった。
あの人たちは最後に私におまじないを遺したけれど、果たしてそれは―――私を真に救えるものだったのだろうか。
いや、決まっている。私を救える魔法があるならば私はこうして孤独を纏い、一人死ぬことなんて選んではいなかったのだ。
「でも………もう、私は歩ける」
マツリという、変わった魔法使いは私に歩くための方法を授けた。魔法と、杖。これがあれば私は今度こそ、進める。
そうとも、私の終わりに向けて。
「寝てる、よね。………マツリ?」
「………」
「うん………よし」
杖を作り終えて数日後。幾つかマツリから魔法や杖を用いた魔力の使い方を教えてもらった私は、彼女が作った家から抜け出そうとしていた。
きっとマツリは私を魔法使いにしたいのだろう。だけど私は、その願いを半分しか叶えることは出来ない。
魔法を、学びはした。だけど、私はそれを人のために使うことは無い。そして、私の役に立たせることもない。
これは私が終わるための力。これがあれば、私はあっちに行ける。願いの彼方へと。
「じゃあね。起きてるときは言えないけど、ありがと、マツリ。感謝は、してるよ」
杖を握りしめて、下駄を履く。空は曇り空で、澱んだ月の光が分厚い雲を薄らと光らせていた。
少しだけ、怖さを感じる夜だと思った。そんな想像は投げ捨てて、私は一歩踏み出す。
「………?」
一瞬だけ、私の影が揺れた気がするけれど、気のせいだろうか。
じっと目を凝らしても何も分からないので首を振って改めて駆け出した。向かう場所なんて、決まっている。
私の終わり、私が終わらせたいと願った場所、私の祈りが届く場所。
―――紅い瞳の夢の中。真実か幻想かなんてどうでもいい。あそこに行けば、私は私の願いを果たして消えることが出来る。
大事なのは、それだけなのだ。
「は、はっ………!」
雨も降っていないのに地面がぬかるんでいる。不思議なことだけど、どうでも良い事だ。
耳を澄ましても、なんの声もしない。それでいいのだ。
強く、強く杖を握りしめる。縋りつくように。
そうして、夜の闇を駆け抜けて。私はようやく、私の目的地………森の中に聳える大樹の元へと辿り着いた。
息を整えてから、杖を掲げる。息を深く吸い込んで、魔力を操る。
「『風の音 雪の音 払魔の響き 玲瓏ゆらめき鏗鏘を編め』!」
言葉に表すことのできない音が鳴る。その瞬間、ジロリと何かが私を見た。
「っ!!」
息が止まる。身体から力が抜ける。
紅い、紅い目が私をじっと捉えて離さない。いいのだ、これで。襲い来る眠気と闇に抗うことなく、私は意識を手放す。
手にすら思える真っ黒な意思を持つ闇が幾本も大樹の洞から現れて、私の身体を掴む。そのまま、洞の中へと私はひきこまれた。
ぼやけた視界の中で、首にかけたタリスマンが揺れたのが分かった。ああ、これ。持ってきてしまった。
弟子にはなれなかったけれど、それでも私があの人の教えを受けたという事実を遺すために、これをマツリに返そうと思っていたのに。
一瞬の意識の浮上。けれど、それは真実に時計の秒針が何も刻めぬほどの刹那であった。
すぐに私は眼を閉じて、そして―――杖も私の影もなく、ただ夜の中で大樹だけが孤独に森の奥で佇んでいた。
***
家の屋根の上で、雲間から一瞬だけ顔を出した月を眺め、溜息を吐く。
「行っちゃったか。まあ、あの子の選択っていうのなら仕方ないけれど、ね」
鼻を動かす。素馨の魔力が籠った魔力の匂いを辿る。
案の定、彼女は力を手に入れた瞬間にあの場所へと行ってしまったらしい。それも仕方のない事だけれど、俺の言葉だけでは救えなかったというのは少々残念である。
まあそういうものか。人は得てして言葉だけでは何も学ぶことのできない存在である。いや、納得できないというべきかな。
言葉よりも経験。これは良い意味でも悪い意味でも絶対的な真理なのだ。
「それでも、だ。俺は君の手を完全に離したわけではないよ。君を待つ者がいるという事を、覚えておいてほしい」
闇の彼方に手を差し出す。一瞬だけ覗かせた月の光の中で、淡く微笑みを浮かべる。
屋根の上から裸足のままの足を投げ出して、小さな歌を口ずさむ。
歌詞もない、ただの音階だけのもの。どこか、人の心の奥底に郷愁を湧き立たせる古い音。
もう少しだけ、ここで待つ。君がその目を開く時まで。
独りで立ち、歩き出すその意味を。本当の意味で知るまで。
「さあ」
素馨。君はどうしたいのか。
その問いを、君自身の言葉で答えられるように。そうなることを、俺は祈っているよ。
そのまま、俺はひとたび眼を閉じる。微睡むように、夢見る様に。
………運命は、転輪するのだ。彼女自身の意思と願いによって。それに気が付けば、君は本当の意味でどこへでも行けるのだから。ねえ、素馨―――君の言葉を、俺は待っているからね。
夜の闇はまだ世界を覆う。月明かりもなく、ただそれぞれの願いと思いを溶け込ませて。
そして、運命は訪れるのだ。