タリスマンの作成
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「魔力が安定しない………なんで?」
一晩明けて再び日中。雨の匂いが大地を満たす午後の空気の中で、素馨がそう唸った。
魔法陣を用いたタリスマンの作成は、呪物の構築である。つまりは普通に難易度が高い。
魔力の制御法は本来、時間をかけてゆっくりと学ぶものであり、そして杖の製作もまた魔法を学び始めて数日で取りかかるようなことではないのだ。
この世に存在する魔術学院や魔法学校では、杖は卒業時の製作課題になっている場所もあるそうだからね。
そういった秘術を教える学院の総本山たるアストラル学院では、杖などではなく魔導書の作成と提出、或いは禁書の解読結果などが卒業課題になるそうだけれど、まあシルラーズさんが学院の長を務める場所だ、あそこも大概普通という概念からは遠ざかっている。
それはさておき。
「魔法陣は一定じゃないからね。意味のある言葉や絵は、線や図形単体の陣に比べて魔力をより多く吸い込む。魔法陣を道でイメージしてみればいい。魔力が淀み、切れてしまう場所には壁が存在している、とね」
ちなみに魔法陣の意味をしっかりと理解していて、魔力を自在に操れるのであれば魔力そのもので魔法陣を書くことで、そのような魔力を流し込む際の困難というのは意識しなくてよくなる。
当然ながら今の素馨には難しいけれど。本来ならば不定形で現実に物質的な意味を殆ど齎さない魔力を空間に適用させるのだから、これは高度な術なのだ。
設置罠として作用する系統の魔法陣に関しても、あれは魔力が非常に通りやすい陣で作られているためタリスマンのように守護の効果を与えるタリスマンの制作には適さない。この世の摂理として、創造や守護の方より破壊の方が容易いのである。
「………魔力の道って、言葉通りなんだ」
「そうだよ。結局魔力はそのまま力、エネルギーだ。物理法則にしたがうものでは無いけれど、それでもこの世界に満ちる力に変わりはない」
「川の流れと同じ、ってこと?」
「うん、その考えで正しいよ」
そう言いながら、素馨が力を籠めるのに失敗したウィッチストーンを手に取る。
ふぅ、と息を吹きかければ、ウィッチストーンに中途半端に込められた、澱んだ魔力が放出された。これでこの石に力は無くなった。もう一度、護符としての力を込められる。
魔法陣の中心にウィッチストーンを置いて、机の挟んで素馨の前に座る。
魔法使い帽子を置くと、指先をそのウィッチストーンに当てた。
「手本を見せよう。本来魔法や魔術の研鑽は、相当に深い師弟関係でもなければ己一人で行うものだから、見本なんて見る機会は無いんだけれどね」
そもそも師と弟子の魔法が一致するとも限らない。意図して一致させる者もいるけれど、数の少なくなった魔法使いは特に、弟子を取る際に己の魔法の系統と全く同一の弟子を取ることはかなり珍しい事象となりつつある。
全ての魔法を極めたという霧の魔法使いや魔術そのものの祖である星の魔術師、或いは彼女たちと敵対した千夜の魔女そのものであればどんな秘術も思いのままであったけれど、神代よりはるかに下ったこの時代ではそこまでの使い手はそうはいないのだ。
「魔法陣はサークルだ。円形であり、球体である―――円を描く際には中心から腕を置き、廻したほうが効率が良いように、力は中心より注ぎ、中央に意味を成す」
魔法陣とは言うけれど、実際にはこの陣形を二次元的に捉えるべきではないのだ。卓越した秘術であればあるほどに、魔法陣は平面だけで考えるにはあまりにも複雑な形を描き出す。
俺達魔法使いの使う魔法陣は、悪魔から身を守る魔法円とは違う。重ねた円によって身を護る魔法円に対し、魔法陣は正しく呪いの道具である。
「中心から流れた力は魔法陣に満遍なく注ぎ込み、より力を増すんだ。そうして魔力に満ちた陣には、きちんと意味が宿る。宿った意味は中央に返り、形を成した現象として宿る」
護符などは、そのような力の流れの果てに生み出されるのである。
慣れれば素馨が作ろうとしているような護符は一瞬で組み立てられるけれど、少なくとも魔法使いとして十年は生きた存在がようやく”慣れた”と定義できる世界だからね。
この程度の護符であれば、魔法使いを本職としてはいない所謂占い師でも作れるけれど、ああいった存在もそれなりに自己研鑽を積んでいるものだ。
占いの精度は天性の才角もあるけれど、やはり知識と経験も影響するからね。
「魔力の流れをきちんと聞くんだ」
目を細め、指先から魔力を流す。
陣の中心から流れた魔力は満遍なく行き渡り、陣そのものを潤す。これは陣の外から魔力を流し込む場合と違って、非常にバランスよく陣を満たすのだ。
魔力を吸い込む意味ある言葉の抵抗等も、こうした方が解決しやすい。
ちらりと視線を向ければ、素馨が頭の上の獣角を動かして俺が実践している魔力の流れを一生懸命に聞いていた。
流し続けた魔力は魔法陣を巡って意味を形作る。けれど、その意味が成される前に、俺は魔力を注ぐのを止めた。
「はい、ここまで。色々と分かったようだね、素馨」
「最後までやってくれないんだ、いじわる」
「これは君への試練だからね、俺が解決するわけには行かないよ。これすら作れないなら、杖を生み出す儀式なんてもっと出来ない訳だし」
もう一度息を吹きかけて、先程まで循環させていた魔力を吹き飛ばす。護符から護符としての力を削ぎ落すと、改めて素馨に渡した。
両手で受け取った素馨に微笑みかけつつ、そっと手で魔法陣を示す。
「………音の流れが聞こえただろう?魔力を感知する方法は視覚が一番多いけれど、それが最も優れているとは限らない。嗅覚や聴覚による魔力の流れの把握は、存外視覚に寄るものよりも精度が出る場合もあるんだよ」
一長一短、というよりは適材適所というべきだろうか。広範囲の魔力を把握するのであれば視覚による魔力感知はやはり便利だが、ただ一つに集中した場合は他の感覚による魔力探知に劣ることもある。
例えば、触覚による魔力探知は範囲こそ狭いが、その精度は限りなく高い。当然、各々が探知感覚を磨き、極めていればどれも差異は無くなるけれど、人間の短い生ではそれも難しいものだ。
さて、素馨の聴覚による魔力の把握は、集中すれば単一事象に対する把握能力はかなり高い。魔法陣の構造理解など、容易く行えるほどだ。
故にこの子には一度やって見せることが望ましいと判断したのである。
一つ頷いた素馨が目を閉じて、魔法陣の中心、ウィッチストーンに手を振れる。そうして、静かに魔力が励起した。
「中心から音が響き渡る………うん、まるで鈴の音のように。大丈夫、分かった」
そっと笑みを浮かべる。
魔力の扱い方は個人によって異なる。俺が魔力を煙や霧のように扱うように、素馨もまた己に適した魔力の使い方がある。
―――魔法陣による魔力操作の練習は、そういった形質を知るに適しているのだ。
素馨の魔力が循環し、魔法陣を満たす。惑星のように魔力を帯びた陣は立体を示し、中心にあるウィッチストーンに力を与える。
ああ、分かるとも。ウィッチストーンの匂いが変わった。魔を一度だけ払い、道を示すという力を持つ護符として、その在り方を変えたのだと。
「………やはり君は筋が良いね、素馨」
帽子を頭に被る。出来上がった護符、タリスマンを手に取って額に当てた。
きちんと力が籠められている、十分だ。瞳を閉じてそれを確認して、眼を開く。
俺は自分の髪を数本引き抜いて、息を吹きかけると紐へと造形を変える。ウィッチストーンにその紐を結び付けると、小さく揺らしながら素馨に視線を向けた。
「別に、普通だし。ねえマツリ、これで杖が作れるん、だよ、ね?」
「うん………ああ、素馨。ちょっと後ろを向いて。折角君が作った護符だ、付けてあげよう」
「ん。別に、要らないけどまあいっか」
背後を向いて髪をかき上げ、うなじを晒した素馨の首にウィッチストーンの護符をかけてあげる。その後に、その頭を優しく撫でた。
「君に、幸あるように。闇に打ち勝つ力があるように」
「なにそれ?」
「護符を作るための魔法陣に刻まれた意味ある言葉だよ。さて」
ローブから、もう一枚の魔法陣が描かれた羊皮紙を取り出す。
「次が本番だ。明日の夜、空を満たす満月の灯。チャンスは一度だけ。きっと、成功させてね、素馨」
俺が出来ることはもう終えた。後は、彼女次第だ。静かに、帽子を目深に被った。