杖の作り方講座
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「ふむふむ。樫の樹に黒曜石、イラクサと彼岸花………成程」
一晩明けた次の日。素材集めのために夜更かししていたので俺達が起きたのはもう昼過ぎだ。
魔法で補強されたボロ小屋の屋根には雲間から覗く太陽が照り付け、風鈴が魔力を含んだ音を響かせている。
その中で、俺は素馨が集めてきた素材の数々を眺めていた。
「きちんと魔力が込められている、良い素材だね」
「音を聞いたもの。当然よ」
「ふふ、えらいえらい」
少しだけ得意げに胸を張っている素馨の頭をなでる。濃い魔力を含んだ月の光を浴びたこの素材たちは、他の魔術師や魔法使いに漁られていないというこの神凪の国の性質も相まってかなりの高品質なものとなっている。
結局、魔力とは自然の力の一種だ。人の手が入っていない物ほど、その質は高くなる。魔術師のように代を重ねて力を蓄えていく存在もいるし、人間が星が堕ちるほどの年月を研鑽に注いだ結果、人工的に魔力を蓄え、良い品質の素材を生み出す技術なんかもあるけれど、それでもカーヴィラの街があちらさんの素材を独占しているが故に繁栄していることからわかるように、古から存在する物の素材は貴重なのだ。
人の手の入らない未開の地。或いは常人の踏み入ることのできない妖精郷。人々がそのような秘境に入ろうとするのは、やはりそう言った物欲が大部分を占めている訳だね。まあそれはさておき。
素材を手に取って瞳に近づけると、じっとそれを見つめる。
「普通に基幹は樫の木だね?」
「そう。黒曜石を杖の芯に入れて、イラクサと彼岸花を飾りに入れるつもり」
「………そっか」
樫の木もイラクサも、強い守護の力を持つものだ。そして、黒曜石。
これは―――心を癒す作用を持つという。パワーストーンとしての意味である。彼岸花は当然、彼方に咲き誇るあの世の花。
無意識に選んだ幾つもの素材に、悲しみが宿る。そんな心の奥にどうしようもない孤独を抱えている少女に対し、曖昧な笑みを浮かべた。今の俺はまだ、君の孤独を癒すだけの距離に居ないからね、笑み以外に何も君に捧げられるものは無いのだ。
「じゃあ、早速杖を作っていこうか」
「ん、分かった。………で、どうするの?」
「簡単に説明するよ。魔法使いは自分で杖を作ることも多いけれど、手法自体はいくつかあるからね。ちなみに杖を作ることを生業とする魔法使いや魔術師もいるよ。腕のいい人は数百年先まで予約が埋まっているとかなんとか」
俺がなんとなしにそういうと、眼を瞬かせて素馨が問いかける。
「え、数百年?」
「俺達みたいなのは、長生きの存在が多いからね」
そしてそういう人たちは気が長い人も多い。時間に関しては間違いなく、人間の価値観では測れないのである。
そんなことを説明しつつ、手に持った黒板の上に、幾つか箇条書きで文字を書いていく。
「杖の作り方だけれどね、物理的に杖を作るパターンや儀式を用いて魔法で杖を加工する方法なんかが基本的だね」
「物理的?」
「俺が持っているようなものでは無くて、魔術師が使うようなタクト………指揮棒のような杖はそうすることが多いね」
素材を物理的に加工して、それを時計や金細工のように細やかな作業で組み合わせるのだ。
このような加工は魔術師側の錬金術師が得意としているものであり、そのため杖職人は錬金術師であることが多いのである。
「まあそういう繊細な杖は魔法使いが行う膨大な魔力の制御には適さないから、必然的に物理加工の杖は選択肢から外れるね」
「………ということは、儀式で作るの?」
「そうだよ。儀式に通す魔力の量や操作精度によって完成する杖の質はかなり変わるから、注意が必要だよ」
注ぎ込む魔力の量が多ければいいという訳ではないのだ。
素材に応じて適正な量を適切に配分する。そうして魔力で素材を結合させ、コーティングする。それが儀式による杖作成の最も重要な部分である。
勿論、杖への装飾や基本となる樹の削りなどは魔法を使わずに自分でやる必要があるけどね。
「儀式はやはり月の夜に行うのが一般的だね。勿論、魔力が最も濃くなる満月の夜が最適だ」
「ちょっと、満月って、明後日じゃないの?」
「そうだよ。だから素馨にはその前に儀式の方法を覚えてもらう事になるね。詰め込み教育になるけれど、まあ君なら大丈夫でしょう」
素馨は才能があるからね。地頭もいいし、儀式の方法自体は簡単に覚えてしまえるだろう。
魔法を用いて力を注ぐ方法は昔から色々と伝わっている。魔女術でも知られている古の方法だからね、その分かなり方法は極められている。
難しいのは、儀式で用いる魔力配分だ。こればかりはやってみないと分からない。
ふぅむ、短期間で素馨に儀式の方法と魔力の注ぐ感覚を理解させるにはどうするべきか。素馨はまだ普通の魔法を使えない。魔力の扱いも慣れていない。
儀式は杖を用いなくとも安定して使用することのできる魔法の一種だけれど、これが彼女にとって初めて触れる魔法であることに変わりはない。
感覚を磨くところから、一つ一つ丁寧にやっていくべきだろう。
ローブの中から一枚の羊皮紙を取り出すと、それを素馨の前に差しだした。
「まずは試験的に、この紙を使おう」
羊皮紙を受け取った素馨が、それを見て首を傾げる。
「なにこれ。何か書いてあるけど」
「それは魔法陣だよ。とっても簡単なものだけどね、それでもきちんと祭壇にはなりえるものさ」
祭壇とは儀式を執り行う場の事で、大抵の場合それには魔法陣を始めとした図形が描かれる。
複雑な意味が込められた描くだけでも難易度の高い陣があれば、今渡したもののようにとても簡易的な、護符―――お呪いのタリスマン程度の効果しか持たないものもあるのだ。
なお、祭壇には魔法陣の他、魔力を増強したり逆に流れを制御しやすくするための呪物も配置される。これにより、その祭壇が設けられた場において魔法使いは膨大な魔力を制御できる、というわけだ。
このような意味合いから推測できるように、結論から言ってしまうと杖とはこの祭壇を簡略化したものである。
この世界で最初に杖を手にした魔法使いは古い魔女たちや原初の魔法使いである霧の魔法使いで、人の世に現れた魔法使いは彼女たちを参考にして、祭壇の代わりになりうる杖を生み出した。農具は儀式の道具としても使われていたから、杖の原型が農具であるというのはこの世界の秘術に特化した文明の歴史を考えれば納得は出来る。
杖を手にしたことで、魔法使いは初めて辺境の果てで呪いごとを行う神官から秘術を自在に操る魔法使いと呼ばれる存在へと形を変えたのだ。
儀式が杖を用いなくても魔法が使える数少ない例であるというのは、杖が魔法使いの手に収まる遥か以前から、祭壇にて魔法を扱っていたからだね。
「素馨、君に渡したその羊皮紙には、守護の力をタリスマンに籠める、簡易的な護符を作る魔法の陣が描かれている」
「守護の護符………凄いものなの?」
「ん、割と一般的なモノだよ。ちょっとした悪意や、或いは偶発的な危機から逃れるための一欠けらの希望を与えてくれる、そんな程度のものだからね」
あはは、と笑いつつそう説明する。
「魔法陣はただの図形じゃない。そもそも図自体が血や薬草、果実や鉱石などを用いて描かれていて、魔力との親和性が高いものなんだ」
陣を構成する線は魔力の道。それらが意味ある言葉や絵に注がれ、祈りや呪文を介して現象として発現する。
「気を付けて、杖よりもはるかに魔力を流しやすい魔法陣は、魔力の操作を意識的に行えなくても魔法として表れることもある。不用意に描かれた陣に触れれば、不完全な魔法として暴発するかもだ」
「うぇっ?!」
「可能性の話だよ、可能性の。不必要に怖がることはないさ」
ローブの中からもう一枚、素馨に渡したものとは別の羊皮紙を取り出す。
「こっちは杖を作るための魔法陣だね。その護符に力を移す魔法陣を完全に扱えるようになれば、これを渡すよ」
「ん、分かった」
「それと。これも渡しておこう。魔力を移す先である護符、タリスマンだ。自然の力で石の中心に穴が開いたもので、ウィッチストーン―――魔女の石と呼ばれる」
この世界だと、魔女を遠ざけるという意味だけれどね。千夜の魔女のせいで魔女そのものが嫌悪されているから。俺の世界だと、悪魔を遠ざける魔女の石、という意味合いがある。
ただでさえ力の宿るウィッチストーンだけれど、いや、それ故なのか、魔法との親和性は非常に高い。魔法陣の中心にウィッチストーンを置いて、魔力を注いで儀式を行えば護符が出来上がる。
まあ、失敗したとしても力のある石であるため砕け散ることは無い。そういう意味も込めて、ウィッチストーンを用意したのである。あ、ちなみに採集したのは昨日です、ええ。
「………頑張る。ありがと、マツリ」
「どういたしまして。さあ、挑戦してみるといい、小さな魔法使いさん」
集中を始める素馨から視線を外して、外を眺める。どこか冷たい湿気を含んだ風が部屋の中へと吹き込み始めていた。