魔力の音
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「………うー………」
「あはは、ちょっと疲れちゃったかな。まあ睡眠と食事以外ずっと魔力探知の訓練を続けていればそうなるよ」
翌日の、太陽の位置は凡そ正午くらいだろうか。
家の屋根の外に降り注ぐ日光を日陰の中から眺めつつ、机の上で頭の獣の耳、獣角を抑えながら唸り声をあげる素馨に対して微笑みかけた。
熟達した魔法使いや魔術師は呼吸をするように行う魔力探知だけれど、慣れない初心者には酷く集中力を奪われる重労働だ。
その精神の削られ具合は多少の眠りやご飯程度では全く癒されない―――という。
「そうだなー、まあ代り映えしない音を探るっていうのもちょっとだけ大変だよね」
「頑張れば聞こえるし………でも、すぐに消えちゃう。あと近くに石を並べると混ざって音が分からなくなる」
「それは魔力の混線だね。魔力総量の多い大陸の方がそう言ったことは起こりやすい。なにせ神凪の国とは違って魔力を持つものが多いわけだから、その分雑多に魔力が入り混じって捉えにくくなるんだ」
そう言いながら、机の上の赤い石をいくつか手に取る。
「だからこそ探知、聞き分けることが必要になるんだけれど………ちょっとだけ、難易度を落とそうか」
「ちょっと、馬鹿にしないで。出来るし、頑張るし」
「馬鹿にもしていないし出来ると思っているよ。だけど君には効率が悪い。耳が良すぎるというのも考え物だね」
素馨の頭を優しく撫でる。
一日で素馨は最も小さな石の魔力を聞くことが出来るようになっている。これは間違いなく才能だ。
小さな石に籠めた俺の魔力は極少量で、基本的に魔力の扱いが大雑把な魔法使いはそれを探知するのに時間がかかる。細かく精度の高い魔力の扱いにおいて、基本的に魔法使いは魔術師の足元にも及ばないのでそんなものだ。
探知においてもやはり、魔法使いより魔術師の方が速く、精度が良かったりするが、まあそれはさておき。
そんな耳のいい素馨だけれど、いや。だからこそというべきか、集中するとこの小さな音を含めたすべての音を聞いてしまっているらしい。先程は混線と表したが、素馨の場合は探知能力が足りずに魔力が合体してしまったという感じではなく、単純に全部が聞こえているため判別できないというだけの事なのだ。
きちんと聞き分けのコツを掴めば、素馨は聞こえてくる音、即ち魔力を分解して捉えることが出来るようになるだろう。そのためには、やはり聞こえやすい音に変えるべきだよね。
手に持った幾つかの赤い石を掌の中に包み込む。
「素馨、俺は基本的に魔法を自分のためだけには使わない。けれど、君はこの世に生きる人間だ、自由に使うといい」
「………?」
「癒すためにも守るためにも、魔法は使える。精度や効率では魔法は魔術に適わないけれど、圧倒的な魔力量による持続性と出力は魔術では辿り着けない魔法の利点だ。それらを踏まえた上で、自分と、後は多くの人の利になるように魔法を使うといい」
俺の精神や肉体は人とは呼べなくなりつつある。だからこそ、俺は人の害になることは基本的にしないし、嘘なども口に出来ない。
でも素馨は違う。半分は妖人の血を持つ彼女だけれど、妖人はこの世界の真っ当な住人だ。少なくとも俺はそう定義する。
ならば素馨は俺とは違って純然たる人なのである。魔法という力を、自在に使えばいい。使い方を間違えたなら、師として俺が止める。
「何が言いたいの?」
「魔法にはいろんな使い方があるってことだよ」
掌をそっと広げる。それと同時に赤い石は解けて血となり、空に渦巻いた。
俺はその渦巻く血に息を吹きかけると、それは宙で形を変えていく。
小さく膨らみ、赤色は薄まるように広がって。そしてその姿は幾つかの風鈴のものへと変化した。
素馨が宙で生まれたその変化を見て、眼を見開く。
「………綺麗」
「見た目だけじゃないよ」
これは素馨のために作り上げた魔道具のようなものだ。風に揺られて風鈴が音を鳴らせば、魔力が籠った音色が響く。
風鈴ごとの魔力量に応じて、様々な音を届けるのだ。
「同じ音を聞き分けるより、違う音を識る方が身になる。なにより………」
指先で宙を舞う風鈴を風が抜ける家の軒下に移動させ、そのままくっつける。
「これなら、日常的に探知をする訓練にもなる。素馨は既に第一段階の魔力探知そのものは終わっているんだ。きちんと集中すれば、魔術師でも苦労する程度の魔力を認識できるわけだからね」
俺が作り出した小さな石の魔力は並の魔術師では捉えることが難しい。シルラーズさんならば当たり前の顔をして見つけるだろうけれど、ええ。超人と一緒にはできないですね。
「探知が出来るなら、後は聞き分けとそれが日常になるまで繰り返す、反復の領域になる。ね、こっちの方が効率がいいでしょう?」
「………難易度を落とすなんて言うから」
「実際に落ちているよ。でも他の勉強も始めるから実際は上がることになるね」
「マツリ、実はちょっと性格悪いでしょ」
「そうかな?あはは、可愛い弟子に対してはそうかもね。さて」
頬を膨らませる素馨に対して、向き直る。まだ、彼女は姿を本気で隠している水蓮は捉えられない。それでいいのだ、もう暫くは。
「魔力の探知が終わったならば、次はもう一つの基礎―――魔力の操作に入ろう。魔力を自在に操れなければ、とてもじゃないけれど魔法を編むことは出来ない」
魔力を操れてからが本当の魔法のお勉強だ。
魔法も魔術も秘術と呼ばれるからには、それは連綿と受け継がれた知識による術法である。感情のままに魔力を振るう事は魔法とは呼べず、やがて必ず災害を引き起こす。
俺や素馨のように自らが膨大な魔力を生み出せるとなれば尚更に、ね。力の使い方を間違えた魔法使いたちはやがてあちらさん達の助力を得られず、魔法を喪う事になるけれど、俺達はそうではない。
彼らの生み出す大気の魔力がなくとも、自らの魔力だけで魔法が使えてしまうし、その生み出す魔力も振り切れるほどの感情が生まれれば命を削って魔力として顕現することになる。
魔法には冷静さが必要なのだ。感情を理解しても、感情に飲まれない程度の冷静さが、ね。
魔法使いが達観してるとか年寄り臭いとか言われている理由のいくつかは多分、これなんだろう。まあ術を使う際に冷静さを求める事に関しては魔術師も同じはずなんだけれど、彼らの場合は感情が乱れると注ぐ魔力が上振れて効率が悪化するからという理由なので、魔法使いとはやや違う。
そんなことを考えつつ、俺は素馨の手に俺の杖を渡した。
「魔法使いが魔法を使う際には、こうした杖を使う事が多い。使わなくても出来るけれど、杖があったほうが操作しやすいし、魔法の効果も上がるんだ」
「補助具、ってこと?」
「そうだね。指示器といってもいいかもしれないけれど」
少なくとも増幅器ではない。ただでさえ強い魔法使いの出力を増幅したら何が起こるか分からない。
「これは私でも使えるの?」
「………どう思う?」
問いかけに対し、敢えて問い直す。素馨は少し俯いて考えると、そっと耳を澄ませた。
「駄目。この杖、マツリと同じ音がする。多分、私には使えない」
「正解だよ。それは俺専用の杖だからね。まあ持っても手を焼くようなことは無いけれど、かといって何もメリットにはならない」
杖によっては他人の物を奪って使おうとすると言う事を聞かなかったり、強奪者の命を奪う仕掛けがあるものもあるので注意が必要である。
それよりも魔力探知をきちんと使う選択肢が取れるあたり、やはり素馨は優秀だね。
「基本的に、杖は自分専用の物を使うのが好ましい。そして自分で作ることが多いね、その方が材料からどんな魔法が使いやすいのかとか魔力との相性とか、色々と調整できるから」
「そうなんだ。マツリのも自作?」
「んー、俺のは貰いもの。あちらさんからの、ね」
杖を影の中へと落とすと、手を合わす。そして、素馨に視線を流した。
「それじゃ、素馨。魔力操作のために………杖を作ろうか」