素馨と水浴び
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時間は進み、そろそろ正午に差し掛かろうという時。
家の中に作られたベッドの上に寝転んでいた素馨が静かに立ち上がった。
その姿を見失わないように俺も立ち上がると、彼女の背中を追う。
「素馨、どこへ行くの?」
「………水浴び」
「ああ、そっか。まあ重要だよね、身体を清潔にすることは」
とても日本に近い国である神凪の国には当然温泉文化があるが、だからといって素馨がいるような山奥にまでひかれた温泉はない。
秘境秘湯を探せば一つくらい見つかるかもしれないけれど、ただでさえ時間の猶予があまりない状態で、そんなことをしている暇はない。
素馨自身も温泉を探したりはしないだろうからね。
となると、身を清めるのには近場の泉を使う事になる。年頃の女の子には流石に身体を洗わずに過ごすという選択肢は無いようで、俺から顔を逸らしつつ素馨が泉に向かうのが見えた。
「………ふーむ」
さて、どうするべきか。唇に指を当てて少し考える。
近くの泉であれば俺の目も届くため、一人で行かせてもいいのだが………まあ、せっかくだし一緒に行こうか。
俺の身体は基本的にある程度の汚れを自動的に堕とす構造になっているけれど、半分程度は人間の身である以上、水浴びや温泉は俺も好むわけで。
後で入るなら、今素馨と一緒に入ったほうが効率が良いよね、という事である。裸の付き合い的な意味も込めて何かと丁度いい。
という事で帽子と杖を手に取りつつ、俺も立ち上がった。
「素馨、俺も一緒に行くよ」
「え。………離れた場所に行ってよ?」
「一応臨時の保護者的な存在だし、流石にそれは出来ないかなぁ」
素馨の言葉をやんわりと拒否しつつ、彼女の後を追う。
ちなみに家の中にタオル等はない。代わりに古びた麻布があって、どうやら素馨はそれで身体を拭いているらしかった。
綺麗な肌をしているのに、手入れしないなんて少し勿体なく感じた。いや、あまりお洒落をしない俺が言えたことではないんだけれど。
ミーアちゃんとかが居たら嬉々としてお洒落させに行くんだろうなぁ。
なんだかんだ、結局振り回される素馨の姿を想像して、思わず唇が緩んだ。
「ちょっと、行かないの?」
「行くよー。少し考え事を、ね」
小走りで素馨に追いついて、その隣に並ぶ。
隣に立たれたことになんとも言えない表情を浮かべた素馨だけれど、溜息を吐くと泉の方を向いて歩き出した。
とはいえそこまで距離がある訳ではない。あっという間に大きな泉に辿り着くと、素馨が身に纏っているボロ服をさっと脱いだ。
俺もローブを取り、帽子を置いてからシャツのボタンを外す。ブーツにスカート。ボタン付きのシャツと神凪の国にはあまり無い服なので、素馨が俺が脱いだ服を興味ありげに覗いているのが面白かった。
やっぱり女の子である、きっとお洒落もしたいんだろう。小さくとも、女性は女性だからね。
厳密には女性と言い切ることのできない俺には完璧には理解できない心情ではあるけれど、最近は女の子がお洒落をする気持ちも察せるようにはなってきた。
淡く笑みを浮かべながら、服を脱いで下着姿に。その下着にも、素馨が視線を向けていた。
「………どしたの?」
「珍しい下着………」
「あー、確かにそうかもね」
神凪の国ではこの西洋風の下着も珍しいだろう。ブラにパンツ―――先進的な都市であるカーヴィラの街だからこそ普通に流行っているものではあるにせよ、そもそも東洋風の文化を持つ神凪の国に西洋文化の服装がやってくること自体、あまり無い。
鎖国化である神凪の国も、海外の製品が流通してはいる。けれど、それを統括する孤散様だって下着よりは他の有用な品物を優先して国内に入れるだろう。神凪の国にも伝統の下着はあるのだから。
だから、素馨たちにとって俺の纏う服装は全体的に物珍しいもので、興味があるようだ。
いや、うん。だとしても下着をじっと見られるのは恥ずかしさもあるけれど、ね。
微妙な顔を浮かべながら、ブラのホックを外す。下も脱いで全裸になると、その下着を岸の近くに置いて足先を泉に沈ませた。
「でか………なにあれ、肌も綺麗………」
「うん?どうしたの素馨、入らないの?」
「は、入る!」
顔を逸らした素馨が泉の中に飛び込む。
「あ、急に飛び込んだら………」
「冷たい!?」
「でしょうねぇ」
苦笑しつつ、ゆっくりと泉の中に身体を沈める。初夏に近いこの季節でもまだまだ泉の温度は低いのだ、急に飛び込んではその冷たさに悲鳴を上げるのは当然と言えた。
それにしても深い泉だ。けれどとても透き通っている。
泉の底が見えるほどなのだから、その綺麗さは察することが出来るよね。
この山は人の手があまり入っていない。勿論、この付近で生活しているのは素馨だけである。泉の上流には動物も少ないらしい。
大気に満ちる魔力の少ない神凪の国はカーヴィラの街があるような大陸に比べて、植物を始めとした自然の生育が緩い。
いや、神凪の国の速度が普通なんだけれどね。大陸の黒い森がおかしいだけで。妖精の森は当然ながらおかしいけれど、それ以外の現地の方々にとっては普通と思われている森もよくよく考えれば植生が通常の森林より広く、長い。森林の再生能力も高いし。
でもこの世界の一般人はあちらさんや怪異を前提として生きているため、心理も肉体も割と強靭だ。黒い森にも採集しに出ている方々もいるからね。
「うう………」
「あはは、まあ沐浴だもの、落ち着いてやろうよ」
少し泳いで、泉の深い所に移動する。そして、清らかな泉の中に潜った。
俺の癖の強い髪が水の中で踊る。肌を水が撫でて、水の底で影が揺れた。水蓮もこの泉はお気に召したようだ。
まあ人の気配が限りなく少ないこの泉は、アハ・イシカにとっても好むものだろう。
くるりと水の中で回ると、水面へと浮き上がる。
「ぷは!………うん、気持ちが良いねぇ」
「無駄に気持ちよさそうなのちょっと腹立つ」
「えー?」
こちらを見つつ頬をやや赤く染めている素馨。その視線があちらこちらと彷徨っていた。
「そういえば!あなた、何歳なの?随分と、その、えっと。大人の女性みたいな、身体つきしてるけど」
「俺の年齢?一応、十七歳だよ」
少し前に誕生日を迎えたからね、あと素馨の言葉があくまでも大人の女性みたいな、な辺りが俺の見た目が少女と女性の間にある事を表している。
確かに胸とかは大きいからなあ。身長は低いので決して大人の女性に成りきれないのが悲しい所だけれど、肉体的には成長できないので仕方がない。
「意外と齢とってないんだ」
「あらま、俺が随分と年上に見えたのかな?」
「別にそこまでは。でも、語る言葉が普通の人じゃないとは思ってた」
「まあ半分以上人間じゃないからね。語れる言葉は普通の人のものにはなれないんだ」
言葉遊びのように、素馨の言葉をくるりと回す。
そして水を吸った髪を持ち上げて頭の後ろで結わくと、少し泳いで素馨の背後へと回った。
「そんなことより!折角二人で沐浴してるんだから、身体を洗ってあげるよ。独りだと洗いきれない場所もあるでしょう?背中とか」
「………私の背中を?」
「うん。俺も背中も洗ってくれるとありがたいけどね。やってくれる?」
「いい、の?」
「………?もちろん」
揺れる瞳のまま、素馨がその頭の上の耳を垂らす。そしてそっと背中を差し出した。
―――なにか、俺が知らない意味があるのかな。だとしても、俺の取る行動は変わらない。
彼女の背中に手を当てる。その鼓動を受け止めて、少しだけ体を寄せた。