君の事を知りたい
***
「ん~」
小鳥のさえずりを聞き流しつつ、目を開ける。
昨日は夕飯を食べた後、素馨がのそのそとベッドの上に行って寝てしまったので、彼女の上に毛布を掛けて俺も寝たのである。
まあ久しぶりにお腹いっぱいになるまで食べたから眠気に負けてしまったのだろう。十二歳の少女だ、体力だって気力だって大人よりはどうやったって少ない。
普通に考えれば素馨はどちらかと言えば大人びているように見えるけれど―――精神はまだまだ幼子のままだ。そこを忘れてはいけないだろう。
「さて、と」
「………ん、ぅ………」
まだ眠っている素馨に微笑みつつ、俺は自分のベッド代わりの椅子から降りる。木と蔦で作り上げた長椅子だ、普通のものに比べれば柔らかいけれど、椅子は椅子である。
一晩中使っていると多少は体が痛むけれど、運動すれば消えるでしょう、うん。
時刻は朝七時くらいかな。特段早起きってわけでもないけれど、せっかくこの時間に起きたのだ。朝食の準備やら色々と済ませてしまおう。
ちなみに昨日の食料の残りは氷室に放り込んである。そんなにはないけどね、食材は結構な量を使ったから。
髪を一本引き抜いて、手の中で握りしめる。もう一度手を開けば、その中には茉莉花………ジャスミンの花が現れた。それを素馨の寝顔の傍に置くと、ローブを纏った。
「もう少しだけゆっくり寝ていると良いよ、素馨」
帽子を被って杖を出し、回収したボロ小屋の扉を開いた。
朝日に目を細めつつ小屋を後にすると、まずは周囲の確認だ。昨日は素馨と初めて出会って親交を深めたり、ボロ小屋を改修したり、夕飯を確保するために魔法を使ったりで小屋の外、この周囲の環境にはなかなか目を向けられなかった。
色々な意味で拠点周辺の情報は集めておいたほうが良い。魔法使いや魔術師は秘術を用いた実験場であり、研究所でもある工房を作ることも多いし、その場合には大気の魔力の流れや術者の魔力を阻害しない環境の選定が求められるからね。
今回の場合も、素馨に魔法を教える際に障害とならないかを確認するつもりだ。
………それ以外の理由も当然あるのだが。
「素馨についての情報がそんなに俺の元に来ていないのが少し厄介だなぁ」
孤散様も八十さんも樹雨さんも、素馨の簡単な生い立ち程度しか話をしてくれなかった。
それだけでは彼女の孤独を理解し、その心に寄り添うことは難しい。魔法を乱用すれば、彼女の心の中を無理やりに覗くことも、話をさせることも出来るけれど、そんなことをしても辿り着くべき結末へは到達できない。
少しばかり、意図的に隠されている気もするなあ。恐らくは気のせいではない。
孤散様のいう通り、話せない理由もあるのだろうが、敢えて話していないこともあるだろう。孤散様からはそういう匂いがした。
―――悪意では、ないんだけれどね。だからこそ厄介というか。少なくとも孤散様は素馨のことを本当に娘のように思っていて、現状を何とかしたいと考えていることは事実である。
「ただの悪意ならいくらでも消し潰せるけど」
以前、水蓮を襲った悪意を祓ったように。善意となると困りものだ。どこを解けばいいのかが分かりにくく、蜘蛛の糸のように張り巡らされた思惑は気が付いたら逃げようのない罠に嵌められていることだってある。
息を吐きながら、地面にしゃがみこんでその土の上にそっと指を置く。神凪の国の大地は古くから存在している、人の手が極限まではいっていない土地だ。
分かってはいたけれど、自然の中に満ちている魔力は千夜の魔女との争いの時代とさほど変わらない。多分だけど、今頃シルラーズさんはこの土地の魔力について研究を重ねているんだろう。何せ暇だろうし。
俺が緊急事態と判断した時に即座に駆け付けられるようにはしているだろうけれど、そのような事態がほとんどない事も理解している。だったら余る時間を有効活用するのがシルラーズさんだ。
後で、見つけた知識や研究内容を共有して貰おう。使う事があるかもしれないから。
土の魔力を感知した後、そこに石を置いて立ち上がる。そして空を見上げた。
………太陽は少し高くなっている。そろそろ素馨が起きてくる頃かな?その前に戻らないとね。
食料を採集して戻ろうか。今日も今日とて、弟子から信頼を勝ち取らないとだからね。
***
「や、おはよう素馨。いい朝だよ?」
「………あっそ。どうでもいい」
「あはは、朝ごはん出来てるよ」
「………ん」
うーん、やはり何事もまずは胃袋を掴むことが大事なのか、不満そうな顔をしつつも素馨が文句も言わずに椅子に座ってくれた。
美味しいご飯には抗い難いよね。分かるよ、うん。
ちなみにメニューは昨日の夜に引き続き山菜がメインである。ただ、それだけでもない。
近くにある川から魚も取ってきた。家の近くにある泉を遡った上流で手づかみしてきたのだ。昼間だからできたことである。
いや、うん。夜でもできたけれど、魚がしっかりと獲れる綺麗な川があるのは今日初めて知ったから。匂いで清流が存在していること自体は分かっていたんだけれどね。
にしてもだ。やはり調味料とか油とかが全然ないのが厳しい。食材は手に入れることはできても調理が味気ない。味噌とかは欲しいよね。
せっかく新鮮な野菜があるんだからお味噌汁とか………この悩みは師匠云々ではなくてただの料理人としてのやつになってきている気がする。一旦この思考は置いておこう。
思考と共に食器を置いて、素馨の瞳をじっと見つめる。
「なに?」
「素馨について、俺に教えてほしいんだ。俺はまだ君のことを何も知らないから」
「………知ってどうするの」
「師匠は弟子の事を知っているものだよ」
「あんたは私の師匠じゃない。私は魔法使いにはならない」
「うん。だとしても、俺は君の事を知りたいと思うんだよ。仮に君が本懐を遂げるのだとしても、このままいけば君の最期を見届けるのは俺になる。その俺が、君を知らないわけには行かないでしょう?」
「知っていても知らなくても人は死ぬし、消える。別に知ってもらいたいなんて私は思わない」
「―――寂しいじゃないか、最期を見届けられずに、その意思も本当の願いも知られずに消えていくなんて」
それに、そうしてこの世を去ってしまえば。きっとその死は歪められる。
「なんのために生きたのか。何故、消えることを望んだのか。せめて、君の保護者である孤散様や、心配している八十さん達に伝える程度のことはしてあげるべきでしょう?」
「………孤散様は、関係ないし」
「どうなか。俺には冷え切った関係には見えなかったけどね」
寧ろ、大事だからこそ遠ざけようとしている様にも感じるのだ。
自らが原因で彼女たちに傷を負わせないように。被害が広がらないように。
………喪った、喪わせたと。そんな感情を与えることが無いように。孤独のままに消えようとしているのだと、俺は感じてしまったのだ。
「素馨。君が仮に静かに溶けるように死んだとしても、孤散様は悲しむだろうし、八十さんも樹雨さんも力不足だと嘆く。せめて、言葉を尽くすべきだとは思わない?それとも、君は大切な人たちを徒に悲しませたいのかな」
「違う!!私は!!………」
目を伏せた素馨が、キッと俺を睨み付けた。それに対して、静かな微笑で俺は答える。
「君にとっての最善が誰かにとっての最善とは限らない。それは君自身が知っている筈だ」
「私の事を何も知らないんじゃなかったの?」
「うん、知らないよ。俺は君の想いまで理解はしていない。だから、知らないのと一緒だ。だけど、推測は出来る」
そっと目を細める。翠の瞳で、素馨の瞳を射抜いた。
「君を取り巻く祝福、加護。愛情という名の魔法。君を災いから遠ざけ、危険から守るモノ………君を愛した君の親が遺した最期の贈り物だ」
きっと素馨の事を思って、その幸せを願って両親が施した守りの呪。それは確かに素馨を助け、彼女の命を救い続けたのだろう。
だけど、その呪いは彼女の孤独を癒さない。元より神凪の国に住まう妖人とは違う存在として生まれた素馨だ、本来彼女の両親が施すべき祝福は、彼女がこの国の人々に馴染めるような、そんなものである。
勿論娘の幸福を願った素馨の親の心情を蔑ろにするつもりはないけれどね。でも、一番は―――両親が、彼女の傍に残る事だった。
そうしなければならない理由があったのだとしても。それでも、家族を取るべきだった。
………もう、何を言っても遅い事だけど。
「素馨、君はどうやったって一人で消えることは出来ない。俺がこの地を訪れなくてもね。だからせめて、もしも本当に消えることを選ぶのだとしても。君の話を、言葉を聞かせてほしいんだ。俺は魔法使いになることを強制はしない。才能がある君にはなってほしいと思うけれど、それでも無理やり弟子にするという事もしない。強引な勧誘はするけれど、力に任せて言葉を引き出したりはしない………だから、ね」
思いを込めて、唇を静かに動かす。
「君を知ることを許してほしい」
「………魔法使いって、あなたみたいな人ばかりなの?へんなの―――勝手にすればいいんじゃない」
頬杖を突いて、素馨が朝食を再開する。否定の言葉が出なかったから、きっと許してくれたのだろう。
そういう事にしておこう。きっと改めて問い詰めれば、彼女は意地を張って嫌がるだろうから。とにかく対話が否定されなくてよかったよ。根が良い子である素馨は、そんなことはしないとは思っていたけれど。
………いつか。君の素直な心を、開いてくれるといいんだけれど、ね。