夕飯、調理
「じゃ、お料理を始めよう」
むすっとした表情で素馨が俺の方を見ているけれど、俺の行動を止めたりはしない。
止めても無駄だという事が分かったのだろう。いやまあ、実際に無駄だからね、それが正しい反応である。
さてさて、献立はどうしようか。カーヴィラの街の家と違ってここには調理器具が少ないからね。
「あ」
思わず声を上げた。そういえばすっかり忘れていた、ここに来る前に調味料程度は貰ってきた方が良かったかもしれない。
なにせ………神凪の国の食事は俺の故郷に馴染みのある食材が多いからね。夕飯時にはお味噌汁の匂いがしていたし、川や海が近く魚類を多く獲ることが出来るという環境からか魚を生食したり焼き魚として食べたりもしているようだ。
孤散様によってもてなされた時は、白米に焼き魚、漬物やお味噌汁に茶碗蒸しといった和食が出されたので本当に神凪の国は日本に文化が近いという事が窺い知れる。せっかく懐かしいものを作れるならばそうしても良かったかもしれない。
ちなみにシルラーズさんは流出することの少ない神凪の国の文化に興味津々な顔をしていた。
「というかあなた料理できるの?その綺麗な手じゃ薪を割ったこともなさそうだけど」
「あるよ。あー、まあ。確かに薪を割る経験は少ないけどね」
カーヴィラの自宅では調理場は魔道具で動くから、殆ど現代の焜炉に近い構造である。暖炉には薪をくべるけれど、俺がこの世界にやってきてからまだ冬は訪れていないので、薪を用意して使用したのは春の中で珍しく寒さが厳しくなった数回だけだ。
やろうと思えば今回みたいに魔力で物理現象を肩代わりさせることが出来るから、魔法使いにとっては必ずしも肉体労働にはならないんだけどね。
「………意外と家庭的ね」
「他の魔法使いは知らないけれど、俺は割と普通の人間と同じように生活してるからね。料理が出来ないと生活に無駄にお金が掛かっちゃうでしょう?
家が街から遠いせいで時間もかかるし、自炊は必須だ。
そう言いながら薪を数本竈の中に放り込む。素馨がそれを見て首を傾げた。
「少なすぎじゃ」
「ん、大丈夫だよ。普通の火じゃないからね」
神凪の国には古い姿のあちらさんしかいないけれど、あちらさんが決して存在しないわけではない。
特に四大元素に関わる彼らはその起源が古く、西洋世界で知られた姿ではなくとも、それに類する存在は神凪の国にきちんといるのだ。
………まあ、この国の風土に合わせて姿を変えているようだけれど、ね。
「手伝ってくれるかな?」
「―――」
声なき声で彼が答える。透き通った姿で返されたのは頷きで、そして薪が勢い良く燃え上がった。
「わっ?!」
「驚かなくていいよ、これは決して人を傷つける事の無い炎だから」
あちらさんの力を借りた魔法の炎だ、単純な熱量ではない。
ただ単純に燃え広がることは絶対に無く、対象を選び作為的に燃やすことが出来るこれら秘術の火は悪用すればこの世から証拠を残さずに人を消すことが出来るけれど、物は使い方次第である。
平和的に活用すれば、このように安全に料理に使うこと可能という訳だ。ということで更に魔法を大判振る舞いして、今度はサクッと錬金術を行う。
土塊の中から金属部分を取り出し、それを鍋やフライパンの形に変えるだけなのでそこまでの労力ではないけれど。
「………変な音。薬草魔法とは別の種類の魔法でしょ」
「分かるの?いい感覚をしているねぇ」
素直に感心する。魔法の知識が全く無い状態で魔法の種類を感知できるのは才能がある証拠だ。
普通はこんなに様々な魔法を使い分けることもしないけどね。魔術でも同じである、魔術師は一子相伝で秘術を伝えることが多いし、そうでなくとも流派ごとに別れて自身の技を磨いている。
古の幻想からなる産物である魔法と違い、人の技術である魔術は今も発展を続けているが、だからこそあれもこれもと手を広げることは難しい。
とはいえ俺の使用した錬金術はかなり初歩の初歩だ。黄金錬成ではないし不死の妙薬を作ったわけでもない。特殊な魔術的効果を持つ薬品でもないし、ただ土の中から鉄を抜き出して構造を作り変えただけ。
この世界では錬金術の初歩で学ぶ、同一物質の再構成………水蓮の依頼の時に出会った錬金術師、フィーグさんならば溜息で応えるであろう品質である。
ま、使えればいいのである。課題でも芸術品でもないからね。
竈の上のフライパンを置いて熱する。その後、植物油を注ぐと自然から頂いた山菜類やキノコを炒めていく。なお、それらはフライパンに投入する前に影の中に入れて水蓮に洗ってもらっています。
影の下でこんな雑事に使うなという声が聞こえるけれど、都合よく聞こえないふりで乗り切った。
幸いにしてまだ素馨には意識して隠れている水蓮を看破する術はないからね。
「林檎に軽く切れ目を入れてっと」
包丁も錬成して手早く処理を施す。縦に幾本も入れた切れ目に甘い花の蜜を注ぐと、葉で包んで竈の火の中にそっと置く。それとは別に林檎を小さく切って、頑張ってくれている名もなき火の精へと渡した。
「………いい匂い………」
「お?食欲出てきたかな、いい事だよ。食べることは生きることだからね」
「急に食欲なくなった。要らない、私寝る」
「駄目だよー、はい」
本当に、この娘は生きることを頑張って諦めようとしているらしい。
未だ心の中に生きたいと願う思いがあるだろうに。
竈から視線を外してベッドに向かおうとする素馨の手を取ると、席に座らせる。そして最初から小屋の中にあった箸を渡して手を合わせる。
「いただきます。ほら、素馨?」
「………いただきます。なんであなた神凪の国の食事の挨拶しってるのよ。そもそも言語だって違うのに」
「ん?あー、んー」
え。大陸と神凪の国で言語違うの?でもシルラーズさんは対応していた―――ああ、いや。孤散様もシルラーズさんも言語を幾つも習得していても違和感がない人たちだし、秘術や魔道具で翻訳している可能性もある。
俺の肉体は自動的に言語を俺が理解できるように変換するから言葉が変わっているという事を認識できなかったのか。
便利に使ってきた呪いの側面だが、こんなところに弊害があるとは思わなかった。これが他の大陸の国であれば外からやってきた存在がなぜか自国の言葉を流暢に操るという不可思議な現象となる。
この世界にもバベルの塔に似た逸話があるのだから、言語が分かたれているという想定はするべきだったね。
さて。そんな内心は笑顔の奥に隠してしまって。
「ま、言葉に関して俺は不自由しないんだ。幸運なことに………ああ、いや。不運極まりない事に、なのかな」
無条件の嘘というものは付けないので、表現するのはこんな感じになってしまうけれど。
案の定というか素馨が首を傾げると、まあいっかと言って箸でフライパンの中身をつつく。よく見ればきちんと箸は持てているし、行儀の良い食事の仕方で教育が施されていることが理解できた。
そして口に運んだ料理に目を見開いて、少しだけうっとりしている。
「あはは。おかわりするなら作るよ」
「………ちょっとだけ。ちょっとだから。別に、私、そんな」
「うん。いいよ、分かってる。でも食べてね、食べてくれると嬉しいから」
頬を付いてその様子を見守る。獣角が揺れて、美味しいものに喜んでいることが見て取れた。
ああ、とても可愛い。だからこそ、守りたいと思ったのだろう。俺もその心は分かるとも。
「デザートもあるからね」
「でざ、ん?」
「食後のお菓子だよ」
「………お菓子………!」
目を輝かせる素馨。耳がピンと立って、それを彼女が恥ずかしそうに抑えた。
こちらをチラリと確認しながらだ。俺は見ない振りをすると、竈へと移動して炎の中でじっくり焼いた焼き林檎を彼女の前にそっと置く。
―――静かに頬に触れようとして、けれど弾かれたのを自覚した。
「成程ね」
「………なに?」
「ううん。なんでもないよ。たくさん食べてね」
愛する心は祝福にも呪いにも成りうる。さて、素馨の見に宿るのは果たしてどちらだろうね。