半妖、素馨
「素馨………」
「そうじゃ。マツリ、お主に近い名を持っておるな?」
「ええ、確かに」
俺の名である茉莉―――茉莉花はジャスミンを意味するが、素馨もその一種である。同じ魔法使い同士で近い名を持つという事が、今回引き寄せ合う原因の一つになったのだろう。
「素馨は、都にはおらぬ。都より離れた山奥に住んでおる。あやつ自身が都に………他人の中に身を置くことを拒む故な。本来ならば姫と呼ばれても良い血筋を持つ、良家の娘じゃが、異質であるという事は周囲以上に当人に傷を与える。分かるであろう?」
「そうですね。まあ幸いにして俺はここまで傷を負う事もなくこの世界で生きてくることが出来ましたが、言っていることは理解できます。異質である、という事は素馨は他の妖人の方々とは異なる点があるという事ですね?それも、魔力以外で」
孤散様がわざわざそう前置くという事は、きっとこの推測は間違っていない筈だ。
うむ、と頷いた孤散様が立ち上がると、己の尻尾を指差した。
「素馨は獣角持ちじゃ。そして、普通の獣角持ちには角である獣の耳の他に、こうして尻尾がある。じゃが、素馨には耳はあっても尾はない―――そして、妖力を生み出す術を持たず、それにより他の獣角持ちと思考を通わせることが出来ない」
「………完全に思考が独立している、と?」
「否じゃ。半分が妖人であるためであろうな、受信は出来る。だが、送信は出来ないのじゃ」
それは………うん。確かに、あまりにも孤独感を高めてしまうだろう。
神凪の国の長である孤散様がこうして気にかけているという事で、明確に差別されるということは無いだろうが、それでも絶対に彼女が持つ孤独を拭うことは出来ない。
そして恐らくは心無い思いを吐き出す者もいるだろう。性善説は信じたいが、人が常に善であることは有り得ないので、必ず傷は生み出されてしまう。
俺が、彼女の心の中を勝手に定義することはしないけれど、事実としてそれに近い過去はあった筈だ。そうでなければ、素馨が都から離れる理由が無い。
「孤散様、一人で山奥に住んでいるという事ですが、素馨は一人だけで生活できているのですか?」
「齢、十二をこえたばかりの娘が一人で命を繋ぎ続けられると思うかのう?」
「………でしょうね」
神凪の国は立地が日本に近い場所にある。つまり四季が存在するわけだ。今は神凪の国は梅雨明けから初夏の間程度の気候ではあるものの、冬になれば寒さは厳しくなるだろう。
魔法が使えれば、ボロ小屋であっても暮らすことは出来るかもしれないが、素馨はまだ魔力の使い方を知らないただの少女のままである。
一人でいることなど、絶対に不可能だ。勿論、これは肉体面の話だけであり、精神面でも孤独に浸り続けることは禄でもない結果を招く。
「季節ごと、素馨に影響を与えにくい鬼角種や龍角種の妖人を向かわせ、その生活を補助しておる。以前まではそれでは耐えられぬほどに寒さが厳しくなれば妾の命令で無理やり都に戻しておったのだが………最近はそうもいかなくなってきていてな」
「と、いいますと?」
「素馨が身に秘める魔力の量が年々増えておる。もし妾の手が届かぬ時に暴発すれば、多くの災いをまき散らすじゃろう。妾は後見人の居らぬ素馨の保護者でもあるが、妖人の守護者でもあるからのう。天秤を傾けきることは出来ぬのじゃ」
孤散様の眉間に皴が寄った。確かに妖人全体の事を考えなければならない彼女にとって、素馨の扱いは悩ましい所なのだろう。
少女の幸福を望むには少女が持つ力は強く、そして異質―――だからこそ、外部の人間であり国内のしがらみを無視して素馨の味方になれる俺が呼ばれた。
「そういう訳で、マツリよ。暫くの間、素馨と共に暮らしてもらうことになる。都より少しばかり離れた山の奥で、な。客人に対して失礼だとは思うが、出来るかのう?」
「魔法使いですから。森の中で寝泊まりしたことはありますよ、問題ありません」
「ならば良い―――ああ。依頼は素馨が自身の魔力という力を完全に手中に収めることが出来るように、というものじゃが特に期日を設けるつもりはない。ゆっくりと、あの子を導いてくれ。素馨がいる正確な場所についてじゃが」
「孤散様。ちょっと待ってください」
話を続ける孤散様の言葉を遮り、その目をしっかりと見つめる。まだ、素馨について聞いていないことがある。
「………素馨の両親は、どこにいったのですか?」
妖人から突然変異的に魔法使いが生まれることはまずありえない。ならば素馨が妖力ではなく魔力を持って生まれたこと、そして魔法使いとしての才能を持つに至るには必ず明確な理由がある筈なのだ。
例えば、親のどちらかが魔法使いである、とかね。
「他人の家庭環境に深く首を突っ込むべきではないと、妾は思うがのう」
「話の論点をずらさないでくださいな、孤散様。言いたくないんですね」
「うむ。言いたくはない。故にその質問は無かったことにしてくれぬか?」
「それは流石に出来ませんね」
「………仕方あるまい」
にこりと微笑みかけつつ、続きを促す。素馨の親に関する情報だけは、きちんとここで知っておかないといけない。
「遠い、遠い地の果てじゃ。神凪の国より離れ、とある重要な使命を果たすために旅をしておる。幼い素馨を置いていったことは、あやつらも後悔していることじゃろう」
「その使命とは?」
「そればかりは流石に言えぬ。お主にも、な」
「そうですか」
まあそれはしょうがない。国家である以上は外部の人間に話すことのできない秘密があるのは当然だ。俺もそこまで、神凪の国に踏み込むつもりはないからね。
「素馨の母親は獣角種の娘じゃ。始まりの三姉妹に近い血を持つ名家の娘であり、神凪の国の外より迷い込んだ魔法使いの男と恋に落ちた。そして、素馨を産んだのじゃ」
「孤散殿、迷い込んだとは?」
シルラーズさんの疑問に、一瞬考え込んだ孤散様がそう説明する。
「どこまで言うべきか………ふむ。まあいいじゃろう。神凪の国を覆う結界は古の大魔法に分類される秘術じゃ。それ故分かっておらぬことも多くてな。ごく稀に、結界は特定の人間を引き込む性質を持っておる。素馨の父親もそうして結界に取り込まれ、神凪の国に現れた魔法使いなのじゃ」
「取り換え児、いや。神隠しというものか」
「うむ。神凪の国近海を旅する者を取り込むこともあれば、全く違う大陸にいる存在を捉えることもある。この大結界ばかりは、どうしようもないのじゃ」
「―――ま、舞台装置みたいな魔法については考えるだけ無駄でしょう。それよりも、素馨の両親は彼女のことをきちんと大事に思っていたのか………それが、一番重要です」
視線を向ければ、孤散様がしっかりと頷いた。
「愛していたじゃろうな。そうでなければ、妾に幼い素馨を預けるものか。………マツリ、素馨の事を頼んだぞ。妾の友の忘れ形見なのじゃ」
「………はい」
帽子のつばの隙間から翠の瞳を輝かせる。
「その願い、必ず。素馨に幸福を届けましょう」
―――そうして、依頼が始まる。