妖人
「そもそも妖人には三つの源流となる種がある。始まりの妖より分かたれた三つの血は、それぞれ角の形をとって妖人に顕現したのじゃ」
「というと、孤散殿の獣の耳も角の一種、ということかな」
「魔術師殿の推測の通りじゃ。妾やそこの四藤の持つ獣の耳は、獣角と呼ばれている。樹雨のものは龍角、そして八十は鬼角じゃの」
孤散様が自身の緋色の髪の上にある耳に触れると、言葉を続けた。
「そしてその血によって代わる三つの角は、それぞれに特性がある―――樹雨の龍角は既にみたのじゃろう?」
「龍体に変化する、でしたね。人によってその龍体には性質があるとも教えていただきました」
俺の確認に頷いた孤散様が、樹雨さんを近くに呼んだ。それに従って樹雨さんが孤散様の横に片膝を立てて座る。そして、孤散様が彼女の角に優しく触れた。
「結晶のような質感を持つ二つの角。これは龍角種の証じゃ。龍角を持つ者は己から生み出される妖力を変化として使用する。他の龍角持ちは樹雨程の巨躯は持たぬが、炎を吐き出したり、天候を操ったりすることも出来るのう」
………それを聞くと、樹雨さんの様な龍角種は正真正銘の龍種に近い。
勿論新しき龍の方だ。概念が形を成した旧き龍とは違い、全ての生命の頂点に立つ龍種は自然現象に例えられる力を持ち、事実自然ですら龍を駆逐することは出来ない。
山のような巨躯も、火山を思わせる炎の息も、嵐を体現する雨を司る能力も、最強の生命体である龍が持つ能力である。
「そして八十。肌から延びる、先端が赤みを帯びた骨のような角は鬼角種の証じゃの。鬼の名を冠する鬼角種は無双の怪力と強靭な肉体を兼ね備えた生粋の戦士じゃ。神凪の国の軍隊を構成する者の中で最も多い種でもある」
後ろの方で八十さんが頷いた。孤散様の先程の龍角の説明を参考にすれば、鬼角種は妖力を肉体強化で使用するのだろう。勿論、そもそもの人としての性能が違うというのもあるだろうけれど。
なんとなく匂いと肌の感覚で分かるけれど、八十さんは一切妖力を使わなくとも怪力を身に宿している。恐らくは、鬼角種は生来の力持ちであり戦人なのだと思われる。
そんな力が、妖力を使用することでさらに跳ね上がる―――成程、神凪の国がここまでずっと鎖国をし続けられた理由もわかるというものだ。
如何に島を覆う強力な結界があろうと、決して無敵ではない。世界には魔術師や魔法使いが存在し、そして千夜の魔女を始めとした世界を蝕まんと蠢く呪いや、強大な魔獣等もまだ存在している。そんなモノたちから身を守るには、相応の武力が無ければならない。
「そして四藤は獣角種………ふむ、実はこれがちと特殊でな。獣角種が持つ特性は群れを成すためのモノなのじゃ」
紅い爪を持つ小さな手が動き、人差し指を立てる。
「客人たちの言葉ではなんというんじゃったか………確か、テレパスだったか。獣角種は獣角種同士で言葉を用いぬ形での意思疎通ができるのじゃ。どこに居ようと、関係無くな」
「常時通信状態、ということかな?」
「うむ。神凪の国の果てと果てに居ようとも、獣角種同士であれば思考を通わせることが可能じゃ。勿論、意図して疎通を遮断することも出来る。妾などは獣角を持つものの、殆どの場合外部に対して意思を飛ばすことは無い」
「………成程。でも、獣角種の特性ってそれだけじゃないですよね。獣角種の頂点であろう孤散様の姿を見ていれば、それ以外にもあるという事は分かります」
「おや―――そうじゃのう。その通りじゃ、マツリ」
金色の瞳が細められた。鋭い視線に対し、俺も微笑みを返す。
………孤散様、先に触れたのは貴女ですよ。貴女は、俺の身体の事を理解していただろうに。
「獣角を持つ者は、妖力の扱いが他の二つの角持ちよりも巧い事が多い。簡潔に言うとじゃな、妖術を最も巧く、多様に操るのじゃ」
「四藤さんもですか?」
コクリと頷く四藤さんが、片手を前に出した。そしてその上に、青白い炎が浮かび上がる。
狐火、というのだろうか。妖術の名が現すように、その炎からは魔力の気配は一切感じず、魔術や魔法とは全く体系の異なる秘術であることが理解できた。
握りしめると同時、青白い狐火はすぐに掻き消える。
「私の、妖術などは孤散様のそれに比べれば、子供のお遊び程度のものです。長きに渡り、神凪の国を収めてきた孤散様は正真正銘、神凪の国にて最も強い妖人でございます」
「獣角は正面切っての戦に向いた能力では無いんじゃがのう。何故だがそうなっておる」
情報のやり取りも妖術も便利ではあるが、確かに鬼角や龍角に比べれば戦いに向いた能力という訳ではないのは確かだろう。
でもそれは普通の獣角持ちの話であって孤散様にそれは当て嵌まらない気がしているが、まあそれは今は関係ないか。
「妖人の特性についてはこんな感じじゃな。何か他に聞きたいことはあるか?」
「………そうだな。では私から質問をさせて頂こう。妖人は、どうやって生まれた?明らかに君たちは大陸の人間とは存在の基底からして違う。探求者である魔術師としては気になって仕方がない」
シルラーズさんが眼鏡の奥の瞳に光を宿しつつ、孤散様に問いかけた。それに対して、腕を組んだ孤散様は小さく唸る。
「魔術師殿よ。実を言えば妖人にもそれは分からぬのじゃ。恐らくは古の千夜の魔女との戦いの中で生まれた種族であろうが、あまりに長い時間が経ち、妖人の中にも当時の記録を持つ者はもう居らぬ。………だが」
「だが?」
「神凪の国に伝わる神話であれば、教えることは出来る。聞くかのう?」
「是非とも」
二つ返事に応えるように、孤散様が息を深く吸い込んだ。
………そこから語られるのは、詩にも似た神と獣の物語。かつて、俺がこの世界に来てすぐに読んだ千夜の魔女の物語に近い、語り部の言の葉だった。
―――神凪の国に一人の始まりの神あり。一人の終の神あり。
神は傷ついた獣と出会い、恋に落ちる。仲睦まじく笑みを交わし、禁忌を犯し、混ざりあい、愛を生む。
神と獣から産み落とされるは、異形の角持つ三姉妹………始まりの三姉妹。
姉妹は人と交わり、血は伝わる。
やがて神が土へと還り、獣が命を終えるとき、神の凪いだその地には、妖の息吹が宿る。
神に見放されし神凪の国。獣に愛されし神凪の国。閉ざされた楽園、妖人の住まう人界の果て。
彼らを守るは三柱の獣の子。神と獣の名に於いて、この地、永遠の楽園と成らん事を―――
「………ああ」
そっと、右目を抑える。とても痛む右目を。
膿んだように蠢き、熱を帯びる。少し強めに瞳を握りしめると、滲んだ液体ごと振り払った。
「以上じゃ。参考になったかの、魔術師殿」
「多少は。見当もつかないことも多いがね」
「さもありなん。妖人ですら分からぬことを急に来た外部の人間が解き明かせるものでもあるまい。マツリはどうじゃ、何か他に聞くことはあるか?」
「いいえ。特には」
俺の返答に満足気に頷いた孤散様がさて、と仕切り直す。四藤さんからお茶を受け取り、唇と喉を潤すと静かに語り始めた。
「では、本題に入るとしよう。マツリ、お主に導いて貰う弟子―――素馨についての話じゃ」