櫻渦城
………八十さんの説明通り、黒檀を用いた城壁に巨大な桜の花と幾つもの鳥居が立ち並び彩る様は、幻想という言葉がこれほど当てはまるものもないだろうと言わんばかりの豪奢な城であった。
勿論、城の構造はカーヴィラの街が存在する大陸に多い、西洋式のものとは違う。東洋式、というよりは明らかに日本の城に近いだろう。
まあ積み上げてきた歴史に差があるため、あくまでも近いという表現を超えることは無い。俺の世界には重力を無視して架かる橋も、浮き上がる岩山も、自在に動く回廊も存在しないからね。
「様々な仕掛けが見て取れるが、一切の魔力を感じない。ふむ、本当にこの国には魔術師も魔法使いも存在しないようだな。マツリ君たちの話によれば妖精はいるのだろうが」
「古い姿の”遠き隣人”ならば確かに存在しますが、互いに姿を見せることは無いでしょう。妖精という呼称が正しいのかすら、分かりません」
あちらさんの中でも名もなく、姿も不定形である古い存在。この国に少量のみ満ちる魔力がとても古いものなのは、それを生み出した存在もまた古から成るものであるが故、なのだろう。
「それで八十殿。神華城のあれら浮動する構造物は、何を原動力にしているのかね?」
「妖力です。魔術師殿の操る魔力に近しいものだと思って頂ければ」
「生み出しているのは君たち自身か?」
「作用に御座います。我らは己の裡から妖力を創造し、血の力を顕現させるのです。しかして単純にして膨大な妖力を持つ者は、顕現させる必要もなく、ああして力を力のまま振るうことも可能です―――長のように」
つまり、だ。八十さんの言葉を信じるならば、神華城の秘術的な構造物は全て、神凪の国の長だという人が自分で操っているのだという。
妖力は制限のある魔力に近しいものなのだろう。妖人という存在はそれを生み出し、秘術―――妖術に転ずることが出来る。
ただし。どうやら妖術として力を加工しなくても、強い力を持つ存在ならば妖力のまま、割と自由に使うことも可能ということか。うーん、俺としては意図して収集するつもりはなかったけれど、魔女の知識が段々と情報を回収し始めている。核心的なものは捉えられないだろうけれど、俺の中に存在しているこの知識も、面倒な呪いの一つであるという事を改めて理解した。ま、それはさておき。
「城下も凄いですねぇ」
黒き威容の神華城から視線を下に向ければ、そこに映るのは活気に満ちる城下町。
木造の長屋や市場が並びつつも、碁盤の目のように区画が整理されたその場所は、江戸と京都の街が融合したかのような異質な美しさを纏っている。
散々この世界で異世界風味を味わってきているけれど、元々俺の精神に親和性が高い地域であるという事も手伝い、最も違和感を覚えた景色かも知れないね、あれ。
和風世界でありながら確実に別の世界の風景を見るというのは、現実として経験できるものではないから。
「神凪の国の首都、櫻渦。当然ながら首都であるが故、国の中で最も栄えている地域であります」
「………私と、八十の出身地でもあります」
下からくぐもった樹雨さんの声が聞こえた。二人は同郷なのか。
「まあ、我ら二人は都の中心地ではなく、そこから外れた貧都の生まれですが」
「ほう?神凪の国にも、あるのか。貧しきものが辿り着く場所が」
「国家であれば、当然の事かと。長―――王があり、仕えるものがあり、平民があるのであれば身分という制度からは逃げられません」
「同感だ。王制を敷く限り、いや………例え王がこの世界から消え去っても、様々な理由で持つ者と持たざる者は生み出される。だが、君たちが私たちの案内役をしているという事は、貧都という場所もただ劣悪なだけではないようだな」
「長は………ええ。優しいですから。恐ろしい時もありますが。有用であれば彼女は重用します。我らは偶々、目に留まったのでしょう」
優しくも恐ろしい。それは民と近くにありながらも、畏怖の対象として見られていると言い換えることも出来る。
慈愛の中にも忘れられない恐怖を持つ者が王であるというのは、その実とても正しい。優しい王様は長続きしないのだ。
王は愛されるよりも恐れられる方が良い、というやつである。
さて、そんな風に城下についての話をしていると、樹雨さんが進路を静かに変えた。向かう先は神華城の中腹に存在している大広間だ。
巨体である樹雨さんの龍体が地面に降り立つにはかなりのスペースが必要となるが、如何に城下と言えど………いや、人の多い城下だからこそ、とてもじゃないが着陸する場所など存在しない。
それに敵対者がいるのかどうかは別として、俺達を危険な目に合わせないためにも城内に降りるというのが一番適しているのだろう、
「到着致しました。………マツリ殿、どうぞお手を」
「ありがとうございます」
よいしょ、と声を出しつつ、八十さんの手を借りて樹雨さんの頭の上からゆっくりと降りる。シルラーズさんも身軽に地面に立つと、それを確認した樹雨さんが、その龍体の瞳を閉じる。
空気に溶けだすように蒸気が吹き出して、巨大な龍の身体が人のものへと戻っていった。
「龍の角を持つ人は、皆さんが樹雨さんのような巨大な龍に成れるんですか?」
「いえ。樹雨のような龍角が変じる龍体は個性があり、樹雨は特に優れた巨躯を持つ存在です。まあその辺りについては長が最も詳しいので、どうぞ彼女から話を聞いてください」
「―――何せ長は妖人の原種、三体の始祖の血の一つを保持する、最古の妖人であります。その力はこの地の妖人の中で最も強く、その姿は誰よりも美しい。智慧も知識も、我らとは比べ物にならない」
「そうですか、最古の………分かりました」
妖人というのは、どうやら大陸の人類とは生まれからして異なるらしい。魔力を持たず、妖力を操るのは恐らく、それが関係しているのだろう。
この地に住まう人々は全て、妖力だけを操る。ともすれば、この国の中でただ一人、魔力を持って生まれたという存在はどれほど、その心に暗闇を纏うのだろうか。
帽子のつばをもう少しだけ低く降ろす。人の心の中など、好き勝手に推測する物じゃない。言葉と行動を尽くして、対話の果てに得るべき結果だろう。心を、不用意に読んでは駄目だ。
完全に人体に戻った樹雨さんと八十さんが俺達の前に立つと、膝をついて首を垂れる。
「それでは、改めまして。ようこそ、我らが神凪の国の神華城へ。既に逢魔が時が近くなりつつありますが、幸いにして長は夜の長酒も好む性質です」
「夜が深くなろうと、貴殿らの来訪を拒むことはありませぬ。寧ろ歓迎なされるでしょう」
二人同時に頭を上げると、その視線が俺の瞳をじっと見つめた。
「「どうぞ、我らが祈りを聞き届けてくだされ、魔法使い殿」」
微笑ながら、杖を取り出す。そして、帽子のつばを上げた。
「勿論。それが俺のお仕事ですから」
………さあ、ここからが本番。気合を入れていきましょう!