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航海の終わり


***





「『英雄は征く 海原を超えて、屍を超えて 遠く遠く郷愁すら置き去って 船と共に数多の海鳥を引き連れて』」


―――謳う。

甲板の上で、ただ詩を謳う。水面では炎が弾け、船の周りでは風が舞う。その中を、くるりとローブを翻しつつ喉を震わせる。


「『死は踏破するもの 愛は乗り越えるもの 迷宮を恐れることもなく やがて美しいものを手の中に』」


古代、いいや神代というべきか。

歌とはムーサと呼ばれる九人の詩神によって齎されたものであり、神々からの恩恵であったという。故に詩には力が宿り、多くの人々を魅了する魔法に成りうるのだ。

信仰の原初、人々は意思の疎通や群れの意識を一つのものへと合わせるために詩を用いたのは、それを考えれば当然のことだったのかもしれない。

この世界でも詩による魔法は最も古き秘術の一つだ。巫女や祈祷師は詩にて魔を祓った。

………俺のこれはそれほどの力はない。先も言った通り、俺は英雄オルペウスではないからね。詩だけでセイレーンを退けることは出来ない。そもそもとして、この歌は決して彼女たちを傷つけるものではない。

癒すものであり、透過するもの。互いに領域の外にいるのだと、分からせるためのものだ。


「―――ふう」


海面のすぐ下が蠢く。そして、海流と見間違えるほどの密度を以って、彼女たちが一斉に移動を開始した。

魔法を用いた攻防が鳴りを潜め、天罰の獣号の周囲を飛び交っていた羽刃や人を狂わせる美しい歌声も止んでいく。

それを見て、俺は空に敷いていた夜を引っ込めた。

霧が晴れるように月だけを覗かせていた暗闇が輪郭を失っていき、気が付けば晴天が俺達の肌を焼く。


「セイレーンの海域、突破完了だな。お疲れ様だ、マツリ君」

「まあ、そこまでの重労働ではなかったですよ。最近、魔法を使ってもそこまで身体が痛まなくなりましたし」


人外に近づいているからね。既に半分ちょっと人間じゃなくなっているため、魔法の行使により適した存在に変わりつつあるのだ。

最初に千夜の魔女の肉体へと変わったばかりの頃だったら、この程度の魔法を使うだけでも疼痛を感じただろうけれど。


「ふむ。とはいえ魔法を使えば疲労も溜まるだろう。なんだかんだ言って一晩近くは魔法を使い続けていたわけだからな」

「そんなに経ってました?」

「確かにずっと夜だった故、時間間隔は狂ったかもしれないが………というよりマツリ姫、術者なのに時刻が分からなくなったのか?」

「あくまでも先程の魔法は夜を敷くだけの魔法ですからねぇ」


夜の中を己の領域に転じるような、掌の中に世界を転がすようなものではない。

言うなれば結界に近いものだ。結界を張っても時間を認識できるようになったりはしないでしょう?

………まあ、魔術師にとっては別かもしれないけれど。魔法使いと違って魔術師は己の魔力しか使えないから、どれだけの時間、魔術を使い続けたかどうか認識しておかないとすぐに魔力が枯渇する。

魔法に比べて魔術は使用魔力が少ないにせよ、無限ではないのだ。


「それにしても、だ。マツリ姫、存外に歌がうまいじゃないか」

「褒めても何も出ませんよ、ゼーヴォルフ。ごくごく普通の歌声だったと思います」

「男くさい海賊船の中では格別に美しく響くのだろうさ。存外、セイレーンの歌声が妖しい魅力を誇るのはそれが原因かもしれないな」

「ああ、成程?」

「おいおいシルラーズ、人の褒め言葉に好き勝手裏を付け加えるな」


肩をすくめるゼーヴォルフにあははと笑いかけつつ、天罰の獣号が進む海の先を見つめる。


「付近に魔力を持った者はいない。暫くは平和な海が続くだろう。………ふむ、奇妙なものだな。マツリ君がリヴァイアサンやセイレーンを生き物と呼んだのもある意味では納得だ」


顎に手を当てながら、シルラーズさんも海風を浴びる。白衣を風に揺らしつつ、先程まで攻防を繰り広げていた背後の海域を振り返った。


「セイレーンが居なければ、リヴァイアサンはこの周囲を暴れまわり、とても船が航海できる状況ではなかっただろう。だが、逆に岸に近い海域にリヴァイアサンが縄張りを持っているせいで、セイレーンが近海を取り囲み、船の航行を妨げることもない。彼の魔物たちが生物として縄張り争いをしているが故に、我々人間は甚大な被害を受けずに海路を使えるという訳か」


―――そう。それが、俺がリヴァイアサンやセイレーンを滅ぼすことが出来ない大きな理由である。

俺は基本的に生物、特に人間を殺すことは出来ないし、彼らの害になることも殆どの場合では出来ないけれど、魔物や魔獣であればその例外として殺生すること自体は出来る。やりたいかどうかは別としてね?

しかし、だ。その魔物の排除が間接的に人類の害になるのであれば、俺は何もしない。今回はまさにそのパターンだった。

リヴァイアサンとセイレーンが互いに生存競争をすることが、人類の生存圏を広げているのだ。もしも俺がセイレーンを力づくで滅ぼし、リヴァイアサンとの勢力の均衡を破っていたら、数日後には航海都市アルタから繋がる海路は全てリヴァイアサンによって封じられ、大きな被害が出ていただろう。

まあ。そもそもとして更に時代が下れば彼女たちセイレーンは完全に肉体を持つ種として定着する。いつか隣人になるかもしれない彼女たちを力任せに滅ぼすというのは、俺がやるべきことではない。


「良くも悪くも海は繋がっているという事か。やはり楽しいものだな、海の上というのは………さて。マツリ姫、見えてきたぞ」

「そのようですね」


リヴァイアサンの領域にセイレーンの海域。それらを一心不乱に駆け抜けたが故か。

或いは単純に、彼の島の周辺が歪んでいる(・・・・・)が故か。予定していた期間よりも大分早く、俺達は目的地である島国へと辿り着こうとしていた。


「………見るだけで分かる。どうやら我々はあの島に辿り着くことは叶いそうにない。波の流れも風の流れも歪み、傾ぎ、全て戻されている。景色すら虚構、か」

「神凪の国を守る古代の魔法ですね」

「あれがあるからこそ、神凪の国は不可侵であり続けるのさ。型式としては翠蓋の森の結界に近しいものがあるだろうな」


まさにその通りだ。お爺ちゃんこと旧き龍、枯草のモーディフォードの護る森と、その在り方は近い。

つまるところ、許されたものしか入ることのできない、人智も神智すらも及ばない異界。ゼーヴォルフ海賊団には、この異界に触れる限界である、神凪の国近海まで連れてきてもらうことが契約だった。


「契約に従い、私たちはここで君たちを待とう。食料や水は潤沢だ、ひと月分程度はある。さらに野郎どもに節制を促せばひと月半は持つ。だが、それを超えるようであれば一度我々は戻り(・・)、再びここにやってくる」

「本来なら帰って終わり、では?」

「我々は君を気に入った。なんとしてでも連れ帰るつもりなのさ。またの御贔屓を得るために、ね」


ウィンクしつつゼーヴォルフが俺に笑いかけた。

そしてそのまま、表情を切り替えてシルラーズさんに視線を向ける。


「任せたぞ、シルラーズ」

「私がどうにかできることは少ないがね。出来る限りのことはしよう」

「ゼーヴォルフ。………多分、大丈夫ですよ。俺が戻るつもりさえあれば、すぐに戻ってこれますから。それより小舟を出して貰えますか?上陸するので」


魔法使い帽子をかぶり直す。そして、長い髪を払った。

神凪の国は異界なのだ。だからこそ時間という概念に関してはそこまで問題ではない。きっと何も無ければすぐに帰ることになる。

何も、無ければね?

海賊船から小舟が落とされ、それにまずシルラーズさんが乗り込む。彼女にエスコートされつつ、俺も揺れる小舟の上に降り立った。そして、上を見て海賊団の面々に微笑みかけた。


「―――行ってきます」

「待っているよ、この船の上で我々一同がね。そして、陸の上では君の従者たちが」

「はい」


手を振る。では、行くとしましょうか………最終目的地たる、神凪の国へ!




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[一言] ついに上陸か
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