翻弄される狩人
力はいつでも貸せる。だけど、この人たちはそれを望まないだろう。
「立ち向かう必要などないさ。彼女は狩人、私たちは獲物。そして獲物の勝利条件とは、狩人の牙から逃げきること―――だろう?」
「まあ、我らでもあの魔獣を狩るのは骨が折れる。それが正しい」
「隣人たちにとっては海の狩人も逆に獲物になるのか。興味深いな」
まあ水蓮は水を自在に操ることのできるあちらさんだからね。水棲馬アハ・イシカの名は伊達ではない。
彼女にとって海の上はホームグラウンドでもある。清流の中に住まうことの多いアハ・イシカだけれど、海に生息する者もいるから。
「燃料の残りはどうだ」
「今もスクリューを全開に回してるからなぁ、残り半分ってところですわ」
「リヴァイアサン相手にまだ半分も残っている、と考えるべきだろうな。とはいえ次に渦に捕まれば、渦からは脱出できても追いつかれて捕食されるか」
ゼーヴォルフと船員のやり取りに耳を傾ける。
基本的にこの世界でも魔力というのは貴重な資源だ。俺のような魔法使いやあちらさんは別として、魔術師にとっても膨大な量の魔力というのは中々に手に入れにくい。
大気の魔力を使用するにしても手間と準備がかかるため、船内の不安定な環境ではそれこそシルラーズさんレベルの実力がないと集めることは難しいだろう。
だからこそ無尽蔵に魔力を生み出し続け、世界を夜で飲み込んだ千夜の魔女は恐れられ、そして世界に魔力を循環させるあちらさん達は人々から欲される。
という事で、ゼーヴォルフ海賊団の船に搭載された魔力燃料は補給の難しい消費物である訳です。
使いどころを間違えれば、すぐに船は沈むだろう。怪物の咢に砕かれて。
「スクリューはそのまま回しておけ。速度を緩めれば快速を誇る天罰の獣号ですら逃げきれないからな。ここからは操舵の腕が問われるぞ。波を見ろ、目を凝らせ、そして耳を使え」
指示を出したまま、ゼーヴォルフは海面を指さす。
「渦は急に現れたと言ったが、それは正確ではないぞ。海面の底を見ろ、海流が異常な動きをしている。海という巨大な水の塊だ、如何にリヴァイアサンと言えどその全てを急に操ることは難しいのだろう」
「なぁるほど?海面の上層を固定したまま下層で渦を作ってんのか………」
「………目を凝らせば………確かに海流を見ることで、渦潮の生まれる箇所を………予測できる」
「そういう事だ。さあお前たち、ここからは誰か一人でもミスすれば全員纏めて水の底行きだ。気を引き締めろ!!」
―――うーん、眼がいい。あと勘が良い。
正解だ、世代を下ったリヴァイアサンでは水を完全に意のままにして操ることは難しい。それでも神々よりも強力な力であることは間違いないのだが。
自在に渦を生み出す………海流操作の能力は彼女達の種に備わった権能である。
数えきれないほどの神や旧き龍を食らった千夜の魔女はその権能の幾つかを自らが生み出した魔獣たちに分け与え、人に仇なす天敵としての魔獣を確立させた。原種のリヴァイアサンは既に滅び、権能は自然に還って神や旧き龍を再び生み出したけれど、血に宿る力まではすぐには消えない。
いつか、もっと多くの世代を下ればリヴァイアサンから水を支配する力は失われるだろうけれど、それでも今はまだ、彼女たちの能力は強力で危険なままである。
「海流を見極めて利用しろ。渦と化す直前まで海流に乗って速度を上げ、渦に飲まれる前に風に乗って離脱―――出来るな?」
「誰に言ってんだよ、お頭!!俺たちゃアンタの海賊団の船員だぜ?出来るに決まってんだろ!!」
「は………応。任せてくれ………!」
「魔獣リヴァイアサンと速度比べか!!!腕が鳴るなぁ!!」
戦意高いなぁ。本当に、リヴァイアサンなんて自然の力の系譜を継ぐ人に畏れられる存在で、普通は人間が見れば抗う気力を喪失してしまう力があるというのに。
「王の器、か」
「そうだね、水蓮。偶に人の中にはこういう人たちが現れる。人の上に立ち、人々の心を湧き立たせ、進む力を与える者が」
それを魅力―――カリスマ性というのだろう。
こういう存在に指揮された集団はそれはもう、べらぼうに強い。神だろうが魔獣だろうが知ったことではないと言わんばかりに、だ。
うん、シルラーズさんもその器だけれど、あの人はそれを自覚したうえで王であることを放棄しているからねぇ。あの在り方は賢者、という方が正しいだろう。
俺のような魔法使いとしては、王の助けになることも役目ではあるのだけれど、この時代ではもう魔術師が右腕になる方が普通である。時代遅れの魔法使いは歴史の表舞台に姿を現すことはほとんどない。
「………さて」
ゼーヴォルフたちは、間違いなくリヴァイアサンから逃げ切るだろう。その事実を疑う理由はない。
だから、俺は次に備えておこう。
「―――アアアアアアアアアア!!!!!!」
「ははは、海の覇者が吠えているぞ!!そら急げお前たち、舵を切れ、帆を動かせ!!」
天罰の獣号が海流を掴み、風を受けて海上を駆ける。海の大怪物が怒り、巨大な波を渦巻かせて追い立てるが、その牙は届かない。
幾つもの渦潮が船の歩みを止めようと現れるが、その全てを天罰の獣号は嘲笑うように避けていく。
本当にとんでもない。まるで海の中が見えているかのようで。そして、船を駆る船員たちが皆、一つの生物であるかのように一糸乱れぬ動きを魅せつける。
………人の技術、匠の域に到達したそれはいっそのこと魔法と呼べるのではないか。
そう、魔法使いである俺に思わせるほどに、彼女たちの船は自在に進む。
「楽しそうだなぁ」
笑うゼーヴォルフ。船員たちも歯を見せて大きく笑っていた。あの寡黙で巨大な船員も、目元を緩ませている。
海賊とはかくあるべき―――海の怪物も暴風撒き散らす嵐も全て笑って踏み潰す荒くれもの―――を示さんばかりだ。
………手元で弄ぶ己の白髪を、二回結んだ。
「そら、超えるぞ。ではなリヴァイアサン、また遊ぼうじゃないか」
船が撥ねる。海面に荒波を起こし、そして渦と嵐がぴたりと止んだ。
ゼーヴォルフが人差し指で自身の唇をなぞりながら背後を振り向いた。赤い瞳の巨大な怪物が、一つ瞬きをして眼を細める。
そして、その巨体が徐々に海の中へと沈んでいった。
それを確認してから、俺はぱしりと手を叩いて微笑む。
「ふふ、お見事!海賊の腕前、しっかりと見せていただきました」
「満足は出来たかい、お姫様?」
「勿論です。どんなアトラクションよりも心が沸き立ちました」
小首を傾げながら合わせた手を解く。片目を瞑って、ゼーヴォルフをじっと見つめた。
「―――では。次は俺たちが役目を果たす番ですね」
………嵐は明けて、空は太陽煌く晴天へと巻き戻る。けれど、どうにもこの世界の海というやつは人にとっての天敵であり続けるらしい。
結んだ髪の毛の結び目を、一つ解いた。アレンジされたロープマジック。これが齎すのは、古き夜の形。
日は翳って、音もなく中天を覆い隠す。
それと同時に、船長室からシルラーズさんが現れた。それを確認したゼーヴォルフが、成程と呟く。
「確かに、私たちの時間ではないようだ。指示に従おう、魔法使いのお姫様」
「操舵をお願いします。あとは、俺達でやりますから」
夜の中に。愛を囁くように、魂を呪うように………ああ。どこからか―――美しい歌が、聴こえる。