旅へと
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「良い風ですね」
「………海に身を乗り出しすぎだ、落ちるぞ」
「大丈夫ですよ、ミール。落ちるのもそれはそれで一興ですので」
さてさて、船の手配も終えて完全に観光モードに入った俺たちは、アルタの街の巨大な港へ訪れていた。
いやまあアルタの街そのものが港のようなものなのだが、ここはその中でも多くの出店やセリが行われている場所であり、ようは多くの人が集まる市場なのである。
街中に水路が張り巡らされているだけあって、向かいのテントに行こうと思ったら足元が小さな水路になっていて落ちかけた、なんていうのはよくあることらしい。
アルタの街の住人は皆、一様に泳ぎが達者なので落ちたところで問題はないみたいだけどね。海に祖を持つ彼らにとって海は友達という事だ。
「海との結婚も見れればよかったのですが」
「海洋との契約か。海の神の加護を得るための街を上げた儀式、だったか」
「あら。詳しいのですね、流石レクラム」
俺が元居た世界ではヴェネツィアで行われていた儀式だが、そちらでは海を宥めるための儀式であったという。こちらの世界では秘術が隆盛を誇っているため、実益として海の実りを享受するために行われる。
多くの船を並べ、海洋に住まうとされる神に対して女性が指輪を落とすのだ。故に海との結婚と称される。
これが行われるのは五月から六月だけれど、ずっとやっているわけではないからね。今回は時期が合わなかったため参加は出来そうにない。
「でも、ミールたちは見れますよね?是非、感想を聞かせてください」
「私も興味がある。アルタの街は海の加護を強く得ているが、その要因の一つが儀式にあるのは確実だからな。探求者として腕が鳴る」
「………私は興味ないが、まあいい。イブ姫の頼みだ、見学しておこう」
「ええ、よろしくお願いします」
―――俺がいつ帰ってこれるか、分からないけれど。でも、この約束は確実に戻るっていう意味でもあるから。
今生の別れなどではない。だけど、長旅なのは事実である。少しだけ、寂しくなるね。
「ミール、キール君やレクラムと仲良くするんですよ。喧嘩は駄目です、いいですね?」
「ええい!ミーアのようなことを言うな!!」
「少々心配です………」
「お前は私の姉かなにかか?」
「一応、私の方が年上なんです。たまにはこういう風にさせてくださいな」
「………姉に構う妹にしか見えないがな」
こらレクラムちゃん、そういう事言ってはいけませんよ。見た目が幼くなっているのは自覚しているんだから。
雰囲気は別としても顔そのものは割と童顔よりだからね。女性ではなく少女という定義の方が近しい事を自覚している。
さて。観光と言っても今はまだお土産を買うわけには行かないし、景色を見るにしても明日は早い時間から行動するため疲れすぎるわけにもいかない。
なにせ船旅の中で、俺にもやらなければならない仕事があるからね。
………港に浮かぶ、幾つもの巨大な船たちを眺めながら、息を吸う。
「数奇なものですね。私、これから船に乗って神凪の国に向かう訳ですから」
目が覚めたら西洋風の異世界で、魔女に乗っ取られて依頼を受けてこの世界を旅する。
うん、まさにファンタジー。でも、悪くはない。何せ楽しいし、充実しているのは確かだから。
一番の要因はたくさんの仲間がいるからだけれど、ね。孤独ではないという事実は、この世界に根を下ろす覚悟の背を押した。
―――ああ。まだここまで、これだけだけれど。旅っていうのはいいね。俺は旅が好きなんだと、強く理解した。
未熟な俺ではまだ無理だけれど。いつか、この世界をもっとたくさん旅したいと思う。そうして、たくさんの人と出会いたい。出会って、その人生に触れたい。
そう、思った。
「イブ姫。ここまでの旅路は、楽しかったか」
「ええ。次を焦がれるほどに」
「そうか。ならば、次はミーアと一緒に行くといい。あいつは引っ込み思案だが、お前とならば旅もできるだろう」
「………ええ。いつか、次が来れば必ず」
強く港に向けて風が吹く。
俺の白い髪を揺らして、その風はどこか遠くへと消えていった。
閑話はここまで。観光もこれで終わり。さあ、物語の続きを編むとしよう。何せ俺は魔法使いだからね。
いざ、神凪の国へ。未知にして既知たる海の旅へ。
―――そうして。魔法使いは、遠い国へと向かうのだ。