契約完了
「気に入らんが、最低限託せる相手ではあるらしい」
「理解が速くて結構。だがもっとお利口になってほしいな―――ッと」
話は決着か、と椅子の背に深く凭れ掛かろうとしたゼーヴォルフが勢いよく葉巻を吐き出した。
それと同時、葉巻が一刀両断され、机の上に落ちる。舌で唇をなめとったゼーヴォルフが、敵意のこもった視線でミールちゃんを見た。
斬った………いや、抜いた。もちろん、剣をである。俺の目には見えなかったけどね。唯一、剣の圧で飛んできた風から鉄の匂いを感じただけだ。
「おいおい、騎士さん。なにをする?」
「最低限では駄目ということだ。礼節を以ってイブ姫と接してもらわねばな」
「海の上では私たちがルールだが?」
「知らん。そこの馬鹿姫の事を好いている人間もいてな。傷一つ付けては顔向けが出来ない」
「なんだ、恋仲のやつでもいるのかい?貞操まで護衛するとは、難儀だな」
軽口を放ちつつも、ゼーヴォルフは腰のカトラスから手を離さなかった。臨戦態勢ですね。
「あの、えー。落ち着きましょう、お二方。というかシルラーズ。止めてください」
「ん。ああ、好きにさせておけ。どちらも引き際は分かっているさ」
「本当ですか………?」
いやまあ、ミールちゃんは別にブチギレ状態ではないのでシルラーズさんの言葉も間違ってはいないだろうけれど。
「お姫様の貞操を狙ってるのはお前の飼い主か?それとも兄弟?」
「妹」
迷わずに言葉を発したミールちゃんの態度に、ゼーヴォルフが何事か得心したように息を吐く。
カトラスの上の指先が小躍りして、リズムを刻んだ。少しだけ、刃のような気配が収まったように感じる。
「………へぇ。肉親の情か、そりゃ結構。分かった分かった、荷物としてではなく客人として扱おう。剣を収めてくれ、情に厚い騎士殿」
「ふん」
「あの。あの、あの。変な方向に話が転がっていますよね?風評被害凄いですよね?あの、お二人とも?話聞いてます?」
俺、ミーアちゃんに貞操狙われてる事になってるけど?帰ったら怖いですよ?
というか。今の短いやり取りのなにでお互いのことが分かったんでしょうか。いや、人の感性、感情に論理的なものを求めるのは間違っているというのは俺も分かるけれど。
だとしても、敵意をぶつけて次の瞬間には仲直りっていうのはね?少しばかり理解を超えているのですよ。
「海賊にとって船の仲間とは家族。そして家族は家族のために持てる力の全てを注ぐのが常だ。………ま、他の海賊がそうしているかは知らんがね、少なくともゼーヴォルフ海賊団はそういう風に生きている」
ゼーヴォルフの視線が俺を向く。
「故にこそ、だ。家族のために刃を振るえる人間の言葉は、信用できる。そしてその信用には応えなければならない。お姫様には難しい話かもしれないがね。荒くれものの矜持、ってやつさ。これは決してお姫様を批判しているわけじゃないが」
そして、横の大男の禿頭を指先でつついた。
「こういうのは男の矜持ってのに近いものかもしれないな。私は女だが、男を従える。そこの情に厚い騎士殿は、男にすら勝る。こういうことをしている人間特有の感性ってのは独特な形をしているものさ。お姫様みたいに美しい在り方や感性もそれはそれでありだとは思うが、我々の思考回路とは別物ってことだよ」
「………男の、矜持ですか………あ、ええ………ははは………」
遠回しに俺には男の矜持的なものは理解できないだろって言われている訳ですが、俺は一応だけども男だったんですよ。
おかしいなぁ、カバーがしっかり纏えているってことでいいのかなぁ。うん、そう思っておこう。精神と肉体が人間性を失いつつあることよりもそっちの方が地味に傷つきますので。
カバー取ったら男らしい所見せるとしましょう、はい。
「では契約成立という事でいいな、ゼーヴォルフ」
「いいとも、シルラーズ。君たちの航海は我々ゼーヴォルフ海賊団が保証する………ああ、だがしかし、あれの対処だけは君たちに任せるよ」
「請け負った。元よりああいう手合いは私の―――いや。イブ姫の管轄だからな」
「………そういうことですか。分かりました、大丈夫です。きっと私がいれば何の問題にもならないでしょう」
「何がだ」
「こちらの―――海に出てからの話ですよ。大したことではありませんから、ミールは気にしないで?」
「む………まあ、いいだろう」
強靭にして強壮なる海賊団でも、いいや。船を駆るものであれば必ず恐れるもの。それらの対応は俺達の方が得意だから。
元々、俺が海の上で演技を外すのはそれのためだからね。
俺達の返事を聞いたゼーヴォルフが満足気に頷くと、それと同時にシルラーズさんが羊皮紙を取り出す。手をかざすだけで文字が浮かび上がるその羊皮紙には魔力が込められていて、契約が破られた場合に罰が及ぶようになっているらしい。
こういったものは黒魔術に由来する物であり、つまり。
「誓約の書とは、随分と古い呪いを扱いますね」
「いつだって仕事を請け負う船乗りはこういった契約を交わすものだ。ま、そんな船乗りも最近は少なくなってきているが。余程、腕に自信がないのだろう。我々は違うがな、何せ家族を信じている」
「ちなみに契約の内容は?」
「船乗りの天敵を君たちが遠ざけること。そして、目的地まで我々ゼーヴォルフ海賊団は命を懸けて運び、そして連れ帰ること。破ればまあ、私たちは死ぬな。君たちは腕が一本、千切れるくらいだろう」
「随分な誓約内容ですね………」
「そのようなことは起こらないのだから無駄な心配だ」
わぁお凄い自信。でも、その自信は独りよがりなものではなく、己が率いる集団に対するものだ。
群れの長が己の家族を信じること、それは当たり前の事であり、そうであることこそが群れをより高度な段階へと引き上げる。ゼーヴォルフのその自信は、全くもって正しいものであった。
「ヌオ、契約完了だ。他の連中にも知らせてきな」
「………了解した、お頭」
ヌオ、と呼ばれた禿頭の大男が椅子から立ち上がり、道の向こうへと去っていく。
それを見送る前に、ゼーヴォルフも同じように立ち上がった。
「出立は明日の夜だ」
「夜ですか。危険では?」
「問題ない。並の船乗りと一緒にしてくれるな、お姫様」
「あら。それは失礼しました。では、その言葉を信じて従いましょう」
「………君からは人誑しの気配がするな。まあいいさ、気のいい仲間の方が船の旅は楽しいものだからな」
誰が人誑しですか。
「シルラーズ、お姫様、そして情に厚い騎士殿。支払いは任せた」
「儲かっているだろうに、食い逃げか?」
「飼い犬を養うにも金は要る。少しくらいケチにもなるさ。………ではな、懐かしき魔術師よ」
「ああ。懐かしき海賊よ」
そういって、ゼーヴォルフとシルラーズさんが別れを告げた。そのままの流れでシルラーズさんが店員を呼びつけると、金貨を握らせて全ての片づけを任せる。
………ま、なんとなくは分かっていたけれど、ゼーヴォルフとシルラーズさんは旧知の仲なんだろう。この人の過去は全くもって想像がつかないけれど、アストラル学院に在籍するまでにいろいろとやっているようだし、顔も広いし、どこで何をしていようと違和感はない。
街の外の事にも詳しいし、海の事にも精通している以上はかつてこういった港町にいたこともあるのかもしれない。本当に、謎が多い人である。
でも。頼れるという事実に変わりはない。ミールちゃんとはいっしょに行けないけれど、神凪の国までシルラーズさんがついて来てくれるのは正直、心強いのも事実である。
「船の手配も終わったことだ。今日と明日の昼間はゆっくりと休むがいい。イブ姫、君は船酔いする性質かな?」
「いいえ。大丈夫よ、シルラーズ。恐らく、だけれど」
「ま、我々の場合は酔い止めの呪い程度、いくらでも使える。問題はないだろうがね。………水蓮は?」
「一緒に来ると思うわ。まあ、私の影の中にいるあちらさんとなれば、問題なく入れると思うけれど」
「ふむ。………そうだな、恐らくは大丈夫だろう。懸念材料はその程度か」
そうしていち段落したあと、レクラムちゃんがぼそりと呟いた。
「こう話が纏まるか。面白いものだな、人と人の交渉というものは」
「レクラム。君もいずれはすることだ」
「この足でか?」
「絨毯があるだろう」
「………やれと言われればやるさ」
レクラムちゃん、アストラル学院への完全就職コースですね。しかも割とシルラーズさんにこき使われそう。
頑張ってね、応援しに行くから。邪魔だって追い出されるかもだけれど。
さてさて。では船の手配も済んだことだし。
「もう少しだけ、観光しましょうか」
つかの間の休息、もう少しだけ満喫しないとね。