手配された船
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机の上に用意された飲み物(酒類含む)の液面が揺らぐ。
それはミールちゃんが静かに発する怒気のせいであり、そんな気配にも動じない体面に座る大男のせいでもあった。
「………私は賛成できん。イブ姫を護る役割を担う存在だぞ。だというのに、何故―――」
剣すら抜き放ちそうな勢いで、ミールちゃんが大男に対して指をさす。
「何故、海賊になる?」
うん。まあ口調は静かなままなので、怒り心頭という訳ではないんだろうけれど。ある意味では当然の疑問ともいえる問いを、ミールちゃんが言い放ったのだった。
さてさて。この会話からわかるように、シルラーズさんが用立てた船乗りというのは何故か海賊たちだった。
この辺りでは有名な海賊団らしく、大男が身体に刻んでいるタトゥー―――ジョリー・ロジャーを見た街の人たちがあらまぁ、というような反応をしていました。
ちなみにジョリー・ロジャーとは海賊旗の事であり、髑髏にクロスされた骨という意匠が一番有名だろう。あれは海賊の乗組員を定めるためのものであり、本来は海賊船に掲げられるが彼の場合は身体にも刻んでいるようだ。
彼の海賊団の意匠は獣の皮を被った髑髏に爪跡が交差するという形状のもの。元々威圧的な海賊旗だけれど、随分と攻撃的な意匠だとは思う。
「ま、お前ならそういうと思ったがね。私の判断だ、問題ない」
「………学院長。お前は実益や効率ばかりを重要視して問題児を大量に投入するだろうが」
「否定はしないさ。お前のその一人だしな。だが中途半端に優秀な人材よりも、多少頭の螺子が外れていても腕が立つことの方が重要だろう?」
「………」
今にも唸りそうなミールちゃんの背中を撫でる。よーしよし、大丈夫だぞー。
ちなみにレクラムちゃんは話に関しては我関せず………というよりは傍観に専念している。話がどう転がるかを見分しているようだ。水蓮は影の中で寝ているのでとりあえずはそっとしておこう。
「ええと、私は海賊に運ばれるというのでも問題はありませんよ?」
「君はそう言うだろうと思ったよ」
「イブ姫、いいか。海賊は略奪、人さらい、虐殺に禁制品の密輸等々様々な犯罪行為を行う者どもの総称だ。中には好んで船を襲い、殺害することに快楽を感じている糞もいる。信用すべきではない」
「と、おっしゃっていますが。そこの海賊の方、これは事実ですか?」
この時代の海賊というのは本当に恐怖の象徴であり、強かったという事実は俺も知っている。神凪の国とは違って海賊に関しては魔女の知識も及ぶし、ミールちゃんが説いている危険な存在であるという情報も理解できている。
それを加味したうえで―――眼の前の男性から、俺は嫌な気配を感じることは出来なかった。
なので、ずっと黙り通している彼にこちらから聞いてみることにしたのだ。
「大多数の海賊は………そうだろう。だが………俺達のお頭は、そんな真似はしない………」
すっと、ミールちゃんの眼が細められる。視線は大男の瞳を貫き、そしてその身体の隅々までを透視しているかのようだった。
いや。多分同じようなことをしているんだろう。俗にいう達人の領域に立っているミールちゃんは、剣士の勘として肉体情報や心理状態を丸裸にできる。
ミールちゃんの感性がすぐれているのは先天的なものもあるけれど、半分は剣術を達人の域にまで収めたことによる経験の蓄積。だからこそ、相手の言葉の真贋が理解できる。
「お前がそう思っているのは事実だろうが、そのお頭とやらが裏で何かをしていない保証はない」
「………そんなことをする方じゃない」
「人が裏で何を語っているか、何をしているか。それらをすべて知っている訳ではないだろう」
ああ。冷静に頭を回しているときのミールちゃんは本当に強い。
激昂しやすい質だけれど、彼女の素質は一国の将に成れる程のものだから、本来ならば舌戦だろうが斬り合いだろうが波の相手では勝負にならないのだ。
「ミール。言いすぎよ」
「お前を預ける相手だ。慎重になるのは当たり前だろう」
蒼の瞳がさらに引き絞られて………その直後。
ぐるりと、俺の背後に視線が向けられた。
「イブ姫から離れろ。斬るぞ」
「この距離で気が付くのか。気配は隠していたが………成程。護衛していた当人がこれほどの実力者なら、生半な相手に託すのを嫌がるのも納得する。板挟みはつらいな、シルラーズ?」
「全くだ。というよりお前が一番最初に話をするべきだろう。悪戯なら後にしてくれ、私は真面目な仕事中だ」
「悪かった。だがイブ姫とやらの護衛についていた人間がどんな騎士なのか、気になってな」
………長身。日に焼けた肌に垂れるのは栗色の毛。腰の中ほどまであるそれは所々編み込まれていて、エキゾチックな色気を醸し出していた。
服装は大胆で、胸元は一枚の布で覆っているだけ。腰回りも男性が履くような短パンを身に纏っているだけだった。
背に下げているのは海賊の剣として有名なカトラス。そして、胸元には大男と同じ意匠のジョリー・ロジャーが刻まれていたが………一か所、明確に違いがあった。そのジョリー・ロジャーには、獣の皮を被った髑髏の上に、王冠が一緒に刻まれていたのだ。
どう考えても目立つ彼女だというのに、俺はその存在に全く気が付いていなかった。ミールちゃんは気が付いていたみたいで、近づこうとした瞬間にこう、殺気を飛ばしたらしい。
「鋭利な騎士よ、初めまして。そこの男の飼い主だ。名はゼーヴォルフ。よろしく頼むよ」
「初めましてで人を試すような行動をする人間とよろしくするつもりはない」
「………手厳しいな。激昂する性質だと聞いていたが、随分と冷静だ。隣のお姫様のせいかな」
「ミールは元々いい娘ですよ」
「論点はそこじゃないよ、お姫様。まあいい」
キザな態度で首を振ると、大男の隣の椅子に勢いよく腰掛ける。椅子の上で片膝を胡坐にして、もう片方はだらりと垂らす様子はなんというか、海賊らしい荒々しさを感じ取ることが出来た。
首元のアクセサリーが音を立てる。紐に繋がれたそれらは宝石類で装飾されていた。
「鋭利な騎士。君の言葉に答えよう。我々ゼーヴォルフ海賊団は公式の海賊だ。この航海都市アルタに認められて海賊行為を行っている、という訳だな」
「ああ、成程。プライヴェーティア………私掠船でしたか」
「おやおや、お姫様は知っていたか。そうさ、我々は私掠船―――この街や、この街と契約した国家の敵対者にのみ海賊行為を行うのが仕事でね。我々の戦利品も全て、違法海賊や敵対する街の船から奪ったものなのさ」
「略奪行為に相違はない。私掠船だろうが海賊は海賊だ」
「ごもっとも。だが信じてもらうしかないな。ゼーヴォルフ海域団はこの周辺海域を旅するならば最も安全に航海を進められるのだから。大切なお姫様がいつの間にか海の底、なんてのは嫌だろう?」
「………」
ミールちゃんの鋭い目線を意にも介さず、大男から葉巻を受け取ると先端をカットして火を着ける。
深く肺が膨らんで、煙が吐き出された。
「航海技術、威光、実際の戦闘能力。ゼーヴォルフ海賊団にはその全てがある。金さえもらえれば、そしてこの街と敵対しなければ、我々は必ず君のお姫様を送り届け、そして迎えに行こう」
「そうか」
不機嫌そうに、ミールちゃんが腕を組んだ。
彼女から敵意の匂いはしない。それは、多分ゼーヴォルフという名の女性が、本気で言葉を語ったからだ。つまりは、信用したのだろう。彼女の言を。
俺も、ゼーヴォルフから嘘の匂いを感じることは無かった。己の名と、己の海賊団に心底誇りを持っているが故の言葉。信じる他は、ない。