海の街の旅行気分
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「それにしても、つつがなく旅が進んでよかったですね」
微笑ながらそういうのは、航海都市アルタの海沿いの喫茶店の中だった。
潮の香りが薄いアルタの地域では、道の向こうに船と海が広がるという景観においてすら、嗅覚に優れた俺くらいしか潮の匂いを感じないようで、同席している二人は海風を頬に受けても海の匂いを感じることはないらしい。
視線を向ければ晴れた海に、マリンブルーの透き通った海という光景。随分と爽やかな雰囲気を与えてくれる。
さて。そんな雰囲気の中で言った俺の言葉ではあるが、ミールちゃんは溜息で、レクラムちゃんはジト目で答えてくれました。
「………つつがなく?どこがだ、おい」
「グレミアの事件程ではなくとも、出会う人間が困っていれば手を差し伸べていた気がするがな」
「自己解決可能なものは多少道を示しただけに済ませていますよ」
「その時点でお人好しだ。普通は無視する」
うーん。魔法使いが占いをする程度の事、日常の一部なんだけれど。
そこまで人の人生に足を突っ込んではいないはずなんだけどね。それでも旅の道中の些事の解決は二人にとってはおかしな行動らしい。
時代の違い、価値観の違いっていうのがあるから当然かもしれないけれど。なにせ、旅人が多く、争いごともあるし街道から外れれば盗賊が普通にいる世界だ、自分の身は自分で守る―――転じて、己の人生は己が責任を取る、という風潮が広く浸透している。
手を差し伸べて貰えると思うな、という感じだね。そういう世界からすれば、出会う人が困っていて、どうしようもない状況にいるときに助けるっていう俺の行動はやはり、少しばかり世界に合っていないのだろう。
「まあ、こいつは出会ったときからこういうやつだったか」
「………そうですね。そうでした、そういえばミールたちと最初に出会ったのもそんな感じでしたものね」
喧嘩に割り込んで殴られる、という。うん、随分と懐かしい。
この世界に来てすぐの事を懐かしんでいると、頼んだ料理が運ばれてきた。ついでに珈琲も一緒だ。
暫くは珈琲とか紅茶は飲めなくなるから、今のうちにこの風味と味を楽しんでおかないとね。
「………海鮮パスタか」
「ええ。海老とか、蛸とか。………美味しいですよ?」
「その蛸の見た目がな。怪異に似ているのだ」
「そう、ですか………?」
全然違うと思います。いや確かにどっちも扱いは触手だけど。
カーヴィラの街は鉄道や行商で様々な物資が運ばれてくるため、森の中に存在する街ながら多くの食物と料理があるけれど、それでも新鮮な海産物を取り扱う店というのは多くはない。過剰に少ない、という訳でもないんだけど。
でも海老は兎も角、蛸とか烏賊、或いは足の速いものが運ばれるのは流石に稀だ。魔道具を併用すれば当然の事ながら輸送コストは上がるので、利益がその分減ってしまうからね。
相当な好き者か分野開拓の実験か、その辺りの理由でしか使われないだろう。
フォークでパスタを巻き取ると、口に入れる。うん、美味しい。しばらくぶりの海の恵み、海老や蟹の出汁が効いたパスタソースが染み渡る。
ちなみにミールちゃんは海老のパエリア、レクラムちゃんは牛すじポトフです。
「キールが見つけてきた宿には何日ほど滞在するんだ」
レクラムちゃんの質問に、頬に指をあてて答える。
「シルラーズの船の手配次第ですが、恐らくは二日と滞在しないでしょう。すぐに出発すると思います」
「急ぎすぎではないか、イブ姫」
「そうでもないですよ、ミール。国ではないにしても、アルタは巨大な都市です。私が長居するには少々危険ですから」
「………一理あるが、納得はいかん。そもそもなぜ私が一緒に行けないのだ、それが分からんぞ」
「神凪の国はどうにも特殊な場所ですから」
そもそもだ。神秘の国、と呼ばれている神凪の国だが、この国について知っている人間というのは非常に限られてくる。
魔女の知識というこの世界について書かれた辞書のようなものを頭に抱えている俺ですら、彼の国についての情報はあまり持っていない。
意図的に情報が統制されているのだ。世界レベルで、そして秘術を以って確実に守られている。
「神凪の国は鎖国中―――現在、特殊な窓口を介してのみ神凪の国とのやり取りが可能であり、人や物資の直接の移動行為は存在しません」
「特殊な窓口があるのであれば神凪の国の人間がいるという事だろう。帰らないのか、そいつら」
「良い質問ですね、レクラム。特殊な窓口、というからには普通の概念は通じません。神凪の国と繋がる窓口は、かつて神凪の国から運ばれた鏡なんです。その鏡と音声のみが繋がり、その手段のみで意思疎通を図ります」
「………カーヴィラの街に依頼が舞い込んできたときも、小さな手鏡で通話していたが」
「恐らくそれは数世紀ぶりに神凪の国から運ばれてきた世にも珍しい物資でしょうね」
「魔道具の一種か?」
「どうでしょう。そこまでは私にはわかりません。実物を見ているわけではありませんから」
ただ。俺の知識と、かなり前にシルラーズさんに教えてもらったことを考えると、恐らくその手鏡はカーヴィラやグレミア、このアルタで流通しているよな魔道具とは全く別のものであるとは思う。
「おい、イブ姫。そんな閉鎖的な国ならば、一体どうやって向かうんだ。船なら普通に乗り込めるのか?」
「いいえ。それも不可能です。神凪の国は物理的に鎖国しており、その国があるであろう場所に向かってもいつの間にか船が霧の中に迷い込み、全く違う海域に放り出されてしまうそうです」
「………秘術に満ちた国か。厄介そうだな」
「ええ。唯一、神凪の国に招待を受けたモノだけが、その霧を抜けて神凪の国に辿り着けるわけです」
情報的にも物理的にも隠匿された、秘された国。神凪の国が神秘の国と呼ばれる所以だ。兎にも角にも、あの国について分かっていることが少ないのである。
「そもそも神凪の国周辺の海域は非常に危険です。この航海都市アルタの船乗りは腕利きばかりだそうですが、それでも周辺海域に向かうだけで行方を絶った船は無数にあるといいます」
「アルタの船乗りが、か?グレミアに住んでいた私ですら、この都市の船乗りの腕前は優れていると伝え聞いたが」
「そんなアルタの船乗りですら、です。まあ、シルラーズの審美眼ならそのような失敗を犯す船乗りは選ばないと思いますが」
あの人、本当に優秀だから。代わりに大体の場合で能力重視、癖の強い人材が選ばれている気がするけれど。
レクラムちゃんも、うん。ちょっとだけそんな感じあるからね………。
「おや」
少し、鼻を動かす。噂をすれば影が差す、だ。
煙草の匂い、酒の匂い。どうやらシルラーズさんは既に仕事を終えたらしい。
「ミール。机を寄せてくれるかしら。椅子も持ってきてもらえると助かるわ」
「来たのか。分かった、任せろ」
………さてさて。一体どんな船乗りがやってくるのか。楽しみにしておこう。