解決、そして後始末
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「ん………」
息を吸う。それと同時に、身体に酷い痛みが走った。
うん、まあ。痛みの原因は分かっているんだけどね。あれだけの無茶をやれば当然、揺り戻しはやってくる。開き切っていない弁を無理やりこじ開ければ傷の一つくらいつくのだ。
さてそれはさておき。
呻きつつ眼を開き、身体を起こす。そして、時計を探した。
「夜の一時、ですか」
俺が寝ていた場所はどこかの大きな屋敷の一室であるらしい。宿というにはあまりにも広く、装飾性があることから恐らくは豪商か貴族に近い人物の所有する屋敷であると想われた。
因みに時計は大きな柱時計であり、銀の装飾が目を引く逸品です。間違いなく高いね、あれ。
「おや?」
そういえば、と隣を見れば、キール君とミールちゃんが俺が寝ているベッドの近くで眠っていた。
いやキール君は椅子の上でぐっすりと寝ているけれど、ミールちゃんの場合は多分警戒しながらですね。近づけば起きそうだ。
起こすのは申し訳ないし、もう暫くベッドの上で寝転ぶ。そして、天井に向けて手を伸ばした。
「紋様が、随分と広がりましたね」
過去一番の広がり方―――また、人間性が少し欠落したかもしれない。
少なくとも身体はどんどん人間じゃないものに変化していっている。何もなく、停滞していれば半分人間のままでいられただろうけれど………俺の感性が、それを拒否する。
流れるだけの生命は、きっと生きているわけではない。自分の足で歩いて、動いて、見つけて、痛みを背負って、笑い合う。それが、生きること。
だから、人間の部分が消えていくことは決して悪い事じゃないのだ。俺が生きた証でもあるから。
………ま、なるべくなら人のままでいたいけれど、ね。
人以外の存在は決して嫌いではないけれど、でも俺は元々は人だったから。人間という種にある程度以上の愛着はあるのだ。
そんなことをつらつらと想いつつ、そっと窓の外を見る。透明なら硝子戸が降ろされたその窓からは、綺麗な月と、夜の気配が漂っていた。
「それにしても、いい夜ですこと」
月と、星と、夜と、闇。それらは俺の身体を優しく癒す。夜の魔力、神聖にして深い魔を帯びたこの時間帯は、魔女の肉体を持つ俺には適しているのだろう。
もう少しだけ、この夜に浸ろう。そうしたら、心配を掛けずに済むだろうから。
もう一度目を閉じて、夜を吸い込む。そして、夜は過ぎ去った。
***
「おはようございます、皆様方。初めましての方もいらっしゃるようですが」
さて、そういう訳で翌日。まあ、起きたのが深夜だったわけで果たして次の日と呼んでいいのかは分からないけれどね。
俺の身体の状態はというと、中々の激痛が残ったままだったりする。でもやせ我慢で何とかなる程度なので、そこまで気にする必要はない。
トリスケルの紋様に関しては、身体の広範囲に広がったままだけれど、顔にまでせりだしたものは引っ込んでいる。服を着ていれば目立つものでもないので、これもまた放置。
そう言った訳で、見た目だけはいつもの通りで登場した俺は、ミールちゃんとシルラーズさんに連れられて、休んでいたお部屋から外に出たのだった。
「シルラーズ、私が意識を失っていた間の事、聞かせて頂けるかしら?」
「勿論だとも。だが、その前に彼らにイブ姫の事を紹介しなければね」
眼鏡越しにシルラーズさんが、俺達の前に座っている人々に対して視線を向ける。
老齢に区分されるような男性や、魔力の匂いがする人などがいるのでまあ、正体というか誰なのかは推測が付くんだけどね。それはそれとして、彼らに俺たちのことを知らせなければならないのはシルラーズさんの言う通りである。
「今回、宿に取りついていた怪異を祓ったのはこちらの少女だ。故合って性は名乗れないが、イブ姫と呼んでくれたまえ」
ちなみに紹介したのはシルラーズさんです。俺が言うよりシルラーズさんが俺を説明した方が確かに分かりやすいし、印象が通りやすい。
ネームバリューの大きさ、言葉の信用性の違いである。
「イブ姫様、ですね………此度は我が街の騒動を解決して頂き、ありがとうございます」
「いえ、大したことはしておりません―――ああ、それよりも!やはり領主様だったのですね。初めまして、旅の魔法使いのイブです。領主様がいらっしゃるという事は、こちらは所有為されているお屋敷ということなのでしょうか?」
「ええ………まあ、我がグレミアはシルラーズ様が魔術顧問を務めていらっしゃるカーヴィラ程に領主に権力はなく、それに伴い人望も、動かせる能力も限られているのですが………」
「街には街の特色、訳がありましょう。自由都市ですから、他の都市の利点ばかり見ても意味のない事ではないかと」
ううむ、確かに………と唸ったグレミアの領主さんは、すっかり白くなっている口ひげに隠れた口元を少しだけ緩ませると、話を切り替えた。
「シルラーズ殿の指示でグレミアの魔術師にもイブ姫様達が怪異を祓いになられた後の宿を調査させました。シルラーズ殿の言う通り、完全に怪異の気配は消滅していたようです………そうであったな?」
グレミアの領主さんが問いかけたのは、少し離れた壁際で立っている、フードを被っている男性だった。
越本には短剣と小さな杖、そして漂う魔力の匂い。完全に魔術師である。
「はい。………不備はなかったはずです。指示があればもう一度調べますが」
「いや、結構だ。君の魔術痕跡の調査方法は適切だったからな。これ以上は何も出てはこないだろう。これ以上は何も問題なし―――それが、処置後の再調査の結果だ」
俺が寝ている間に既に宿の呪いの再調査は済ませてくれていたらしい。うーん、本当に優秀なんだよなぁ、この人。
その言葉の後、グレミアの領主さんは低く呻いた。そして厄介ごとを語るかのような声音で言葉を発する。
「………ということは、残ったのはあれですな。どうするか、意見をお聞きしてもよろしいか?グレミアはそれに従いましょう」
「おや。いいのかね、あれは嫌いではあるまい」
「怪異の腹から出てきたものとなれば、流石に何も考えず手を伸ばす愚策はとれますまい」
「実に結構。堅実なのは良い事だ―――さて。イブ姫よ、怪異を祓った後なのだが少々問題………というか利益が発生してね」
ああ、うん。会話の流れでなんとなくわかった。
まあ怪異の核がラインの黄金であり、そこから漏れ出た無数の呪いの黄金が形を成して俺達を妨害していた、となれば。
多少、異世界の崩壊時にこちらの世界に流れ込んできていても、おかしくはないだろう。特に大本であったライン自身はこの世界に戻っているのだから、パスは繋がっている。
「流れ出た黄金はどれほどの価値に?」
「城一つくらいは買えるだろうね」
「………思ったより残りましたね………」
急に湧いて出てきた黄金って使い道に困る、というか持っていてもろくなことにならないんだよね。
奪おうとして狙われたり、人の心を乱したり。金の魅力っていうのは魔法にも似ているから。
もちろん、使えるなら、そして制御できるならグレミア側に使ってもらっても構わないんだけど………。
「幾らかは宿の補填に使えるだろう。更に幾つかは、私達が術による結界をこの街に展開しておくことに対する対価として払ってほしい。更にもう少しは、アストラル学院がサンプルとして拝借する―――残ったものは、グレミアの街庫にでも入れておけばいいだろう」
「………黄金そのものに呪いが掛かっていたりは?」
「現時点ではその兆候はない。ただの高価な金属さ。後ほど、イブ姫にも確認してもらうがね。………さて、事後承諾になるが、良いかなイブ姫」
「ええ。シルラーズの判断で良いわ。私はあまり、そういうことは分からないので」
貨幣価値は兎も角として、お金の運用法とかね。常識に関しては使いこなせているとは思っていないのです。
それに、普通に考えて降って湧いたお金が宿の補填になるならば、それは悪い事ではないだろう。二次災害にならないように確認はするが、それさえ終われば単純に彼らの利益となる。被害者である彼らには、多少の得があってもいいだろう。
………街に対する懸念と解決についてはこれくらいかな。
けれども、まだ一番大事なのが残っている。それもどうするか考えないと。