黄金と永遠の終幕
自分の足で歩こうと踏ん張ろうとした直後、キール君が俺を持ち上げる。乱暴に肩に乗せるという荷物のような持ち方だったけれど。
「あ、ありがとうございます………キール君」
「別に気にすんなよ。………仕事だし。つうか、命張って何かを助けようとする魔法使いもいるんだな。魔法使いは魔法使いでも千夜の魔女だけどよ」
「私を、怖がりますか?」
「はぁ?お前を?今更お前みたいなお人好し、怖いわけねぇだろ。悪い魔法使いになって出直してきやがれ」
そっぽを向いてそういうキール君。照れているんだろう、思わず頬が綻んだ。
「そういう………予定は、今のところ、ありません………」
「なら、お前はお前だ。さっさと生き残るぞ、イブ姫」
「初期の険悪な雰囲気が微塵もないな、キール」
「うっせ」
仲良く喧嘩をする二人に微笑みかけつつ、立ち上がった剣闘士の彼とラインの方を見る。
「歩け、ますか?」
「お前よりは、元気だとも………ライン、手を。俺が運ぼう」
「ええ―――ありがとう」
ラインは剣闘士の彼にエスコートされるようだ。というかお姫様だっこだね。まあ色々な意味であの運び方が一番いいんだろうけど。
キール君が肩に乗せるという運び方をしたことについては、多分彼の気遣いである。一応、俺は肉体的には婚前の女な訳で。そんな存在を胸元で異性が抱えるっていうのはってことだろう。
紳士だよね、キール君。
「おい、全員急げ。というかイブ姫は私の絨毯に乗せればいいだろう」
「あ、確かにな」
「いえ………止めたほうがいいかと………ここは魔力がかなり不安定ですので、私の作った魔道具とはいえ複数人で使用すると壊れる可能性があります………」
箱庭があまりにも特殊な環境過ぎるのだ。更にそれが呪いの解放によって破損したから尚更に。下手をすれば機能停止するし、そうなればレクラムちゃんの移動手段が失われるので、歩ける人は歩いたほうがいい。
そういうものか、と頷いたレクラムちゃんが絨毯の速度を上げて道を先導する。安全な道を探っているらしい。
その案内に従って、亀裂の走った空間の中で唯一無事である巨大な扉へと近づいていく。
ポロポロと、視界の中に落ちて来るのは粒子のような砕けた空間の欠片だ。空が裂けて、森林を始めとした構成物が砕けて………そして。
「………善良な魔法使いよ。地面の崩壊が始まった」
「そのようですね。困りました………レクラム、道はまだつながっていますか?」
「待て。ッチ、遠回りになるがまだ辿り着ける。ついてこい」
剣闘士の彼が言うように、地面も徐々に失われていく。その光景を見て、レクラムちゃんが舌打ちをした。
魔力と呪いによって生み出されていた異界の喪失は、正しくこの場全てが無に帰すということ。揺らがない筈の地面すら、朽ちていく。
………少し、不味いかもしれない。安全策である水蓮の維持する扉まで辿り着けないとは。
当然ながら砕けた地面の中に堕ちれば、普通に死ぬかよくても別の世界に飛ばされるか。そんな結末は勿論、断固拒否させてもらいたいところだよね。
「何か、手は………」
使える手はかなり打って、それでもこうなっているわけで。状況の打開、起死回生の一手となると中々難しい。
空間の崩壊によって荒れ狂う魔力のせいで、魔法を使うのも難しいし………いや。
「水と、風………」
逆に考えれば、これほどの魔力量―――使いこなせれば、起死回生に繋がるのでは?
空間が崩壊する際に、この箱庭を構築している魔力で編まれた壁………正確に言えば壁のように見えるだけの構造物………が剥離し、その膨大な魔力が解放されることによって、この砂嵐のような魔力の乱れが発生している。
俺の身体はかなり限界で、これ以上魔力を生み出すことは出来ないけれど、通常の魔法使いのように外部の魔力を操るのであれば、まだ少しだけ融通が利く。
うん。それならば、もう少しだけ、無理をしてみましょうか!
「水蓮!!聞こえていたら手伝って!!駄目だったら………私一人で頑張ります!!」
「………面倒なやつめ。少し力を使うが、手を貸してやろう」
扉の方から声が聞こえる。なんだかんだ言ってとてもやさしい水蓮の声だ。
キール君の肩に持たれたまま顔を上げて、杖を掲げる。更に服の中、というか胸の中から取り出すのは、再びアーモンドの種。
「私が、風を………!」
「………水を」
慎重に、周囲を漂う魔力の渦を、体内に取り込む。いつも俺は魔力を肉体から生み出しているけれど、普通の魔法使いは大気を漂う魔力を取り込んで魔法を使うのが主流である。
今まで魔術師的な魔力運用法をしていた方がおかしいのだ。まあ、千夜の魔女の肉体を持っている以上、ハイブリッドであることは利点なんだけれど、あまりにも俺は大気の魔力を使うことが少なかった。
改めて、そちらの技術も使いこなさないと、ね。
魔力を取り込むことは深呼吸をすることと似ている。体内に循環させた魔力を俺の色に染めて、再び外へ。
あまり力の入らない腕で放り投げた、俺の持つ最後のアーモンドの種が空気中でパチン、と弾けた。
「”流浪の水を繋げよう。風の道に橋を掛けよう”」
「”虹を描き、空を築く。我らの庭、大いなる庭”」
重苦しい音を立てて、向こうに見える巨大な扉がその戸を開いた。水蓮がこちらに強く干渉しているのだ。
崩壊の最中、扉を守るだけでも精いっぱいだろうに………本当にありがとう。戻ったらたくさんお礼してあげるからね!
弾けたアーモンドの種が、俺達と扉までの間に大きく散らばる。そして、それを覆うようにして水蓮の守る扉から透明な水が流れ込んで、清流で編みこまれた橋が架けられた。
「長くは、持ちません………急いで!」
「まったく魔法というやつは、便利なものだ!」
「どうせそれなりに代償もあんだろ!!」
「あは、は。キール君、正解です」
どうであれ力を振るうという事は相応の対価を支払う。呪いが返るように。
ま、それはさておき。生き残らないことには返済もできないからね。まあ、別に借金的なものではないんだけども。
キール君の肩に乗せられたまま、崩壊を続ける世界に架けられた、透明な橋を渡って扉へと。扉の先には薄曇りの空に似た淡い光が満ちていて―――全員で、勢いよくその扉の中に飛び込んだのだった。
―――白い雲の中を、清流で象られた幾頭もの水棲馬が駆ける。そっと下を見ると、真っ白でふかふかな毛並みが見えた。
少しだけ辛そうに息を吐く彼女が、異界と現実との狭間を繋いで、渡らせてくれている。
ありがとう、ご苦労様。その背を優しく撫でて………薄曇りの光が、そっとほどけた。