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箱庭の崩壊


『アッティス メルクリウス トト ヘルメス』


一つ。二つ。三つ。四つ。神の名を唱える度に、法外な魔力が箱庭を満たす。

魔力を感知する能力を持たないレクラムちゃんやキール君ですらその気配を察し、思わず鳥肌を浮かばせるほどの量で。


”「………なにをするつもり?」”


ラインの黄金の言葉には答えない。いいや、答えられない。それは、俺がこの身体になってから最も多い量の魔力を生み出し、そして最も強力な魔法を使おうとしているから。

集中力が途切れれば、この身一つから大河を生み出すかの如き膨大さで放出される魔力が指向性を失って荒れ狂う。魔法の構築が出来なくなれば、ため込まれた魔力がこの宿ごと全てを壊してしまうだろう。

極度の集中で身体が冷えていく。けれど、呪文は止めない。

………今回、唱える魔法は二種類ある。それを同時に発動しなければならないので、更に精密な調整が必要になる。大気の魔力という、大河そのものの流れを操る筈の魔法使いなのに、この緻密さは半ば魔術の領域だ。

俺はあまり細かい作業が得意じゃないから。本当に、大変だ。


『一方にはキプロスの神樹 王の眠る棺―――永遠と不死』


ローブから落とすのは、アーモンドの種とサイプレスの枝。


『病めるときも 健やかなるときも やがて朽ちる永遠に囚われても 死に愛を囁かれても』


強く、杖を握った。膨大な魔力が箱庭の中に烈風を巻き起こし、俺の髪を強く巻き上げる。

ローブがはためいて、杖の先からあふれ出る煙霧がふわりと揺らめいた。

アーモンドの種とサイプレスの枝が風に溶けて、翠の燐光となって俺の周囲を漂う。そして、それは茨のような紋様へと形を変えた。


「―――これは千夜の魔女の、魔法か?」

「変人だと思ってたけど、そういうことかよ」


キール君、千夜の魔女の肉体を持つことと変人であることはノットイコールだと思いますよ?まあ突っ込んでいる余裕ないからスルーなんだけどさ!


『風は流れ 命は流れ 人は流れ 世界は流れ』


………全身のトリスケルの紋様が一際強く、まるで閃光の様に瞬いた。

一斉に侵食を始めた紋様は全身に延びて、先端は眼の周辺にまで辿り着く。既に、全身がどうしようもなく痛かったけれど。

ここが気合の入れ所だからね、弱音なんて吐くつもりはない。

―――それに、予感がするんだ。俺は、ここで一度全力を出しておかなければならないって。千夜の魔女の力をより強く、引き出せるようになっていなければならないって。

神託のような。或いは予知夢のような予感に従って、俺は魔法を唱えた。


『やげて不幸は流れて―――そして、最後に幸福がやってくる』


杖を以って、強く。とても強く、地面を叩いた。

霧を纏った風が、ラインの黄金と剣闘士の彼に吹き付ける。そして、彼らを容易く覆い隠した。

―――魔法の杖の原料として使われる、風を支配するアーモンド。そして、かつて古代ミノア人が神の象徴として信奉したサイプレス。

このサイプレスは治癒の杖と呼ばれる魔法の道具の原料となっており、治癒、治療の儀式に使用される。永遠や不死を意味する薬草でもあるから、なんともラインの黄金にとっては皮肉かもしれない。そんなつもりはないんだけどね。

さて。勿論、このサイプレスを何に使うかといえば。


「………なんだ、これは」


剣闘士の彼の傷が、塞がっていく。

尋常ではない速度で、見ようによっては呪われたようにすら見える速度で。

その表現も、間違いではない。実際、彼は呪われたのだ。ラインの黄金と共に、歪な永遠を形作った罰として。因果応報、不用意に誰かを呪ったものは必ず報いを受ける。

けれど、優しい呪いにはまた違った結末があってもいいでしょう?サイプレスは、そのためのものなのだ。


”「―――何故。何故、私の永遠が消えていくの?」”

「風は全てを流し、風化させるものです。永遠すら、押しやってしまう。………とはいえ、私の元となった千夜の魔女の呪いですもの、いくら私でもまだ、完全に祓うことは不可能です。なので」


ラインの黄金、いや。ラインと剣闘士の彼の間に立つ。


「彼の傷を癒し、命を繋ぐ代償として貴女の呪いを使わせていただきました。実質、彼は呪われたわけですから、因果応報も誤魔化せるでしょう、ええ」


うん、まあ。ちょっとだけ、死ににくくなったけれどね、彼。

ラインの黄金が持っていた永遠を少しだけ、肩代わりしたから。そして、代償の支払い主であるラインの黄金は、その永遠………即ち不死性を失った。彼を無条件に助けた代償と、呪いの対価、そして俺の魔法。

パズルのように効果を組み替えて、世界を騙して。ラインの黄金はただのラインという少女になった。黄金を集める能力も大部分が消失しただろう。まあ、それでも二人で生きるのに十分な量には恵まれる、いや。呪われるだろうけれど。

黄金の呪いを風で押し流し、永遠を意味するサイプレスの枝で他人へと繋げた。剣闘士の彼とラインはまさに一心同体の状態になっている訳だね。


「………まあ、人よりは多少、いえ、大分長く生きることには………なってしまうでしょうけど………」


ああ。眼の前に星が散る。酷い眩暈と、吐き気。そして全身の発熱と痛み。

人外の部分が強く活性化したことによって、半分ほど残っている人間の部分が悲鳴を上げている。そして、侵食されている。


「声を………普通に、出せるのではなくて………?ライン、話して、声を聴かせて………」

「―――無理を、しすぎよ。あまりにもお人好し過ぎる」


声を震わせ、嬉しいような驚くような、そしてこちらを窺うような表情を浮かべるラインの頭に手が置かれる。

錆びついた小手、けれど手についていた血は全て風で流された剣闘士の彼。相変わらず皴枯れた声で、俺に対して言葉をかける。


「感謝を、名も知れぬ魔法使い………」

「………気に、なさらず………あ」


とうとう身体を支えておけず後ろ向きに倒れたところを、キール君に支えられる。


「申し訳、ありません………」

「アンタは俺達の護衛対象なんだ。怪我されたら困るだろうが」

「既に大分瀕死な気がするが」

「それはイブ姫が勝手にやったことだからノーカウント。………で、一件落着か?」

「そう、ですね………強いて言えば、脱出しなければ、というところでしょうか………」


何とか笑みを浮かべつつ、箱庭の空や地面を指さす。そこには、幾つもの亀裂が奔っていた。

―――ラインの黄金という名の呪われた永遠によって維持されていた異界、小さな箱庭。それを維持していた呪いは、俺が千切り、分かち、別の形にして二人に分けてしまった。

つまり、もうこの世界を維持する核は無いわけだ。

だからと言って異界が崩壊したらすぐに外に出されるのかというと、答えは否。大抵の場合、異界が崩壊するとその中にいる人間は運が良くて別の世界や異界に飛ばされて、最悪の場合は身体がバラバラになって死ぬか完全に行方不明、つまり消失するかである。

余程の強運か、運命に愛されていれば現実に戻されるけれど、まあそんな幸運に期待するよりは、きちんと安全策を取っておきましょうってことで。


「そのための、あの妖精か」

「ええ………水蓮が、道を繋いでくれます………さあ、皆さん、早く………」


どうにも眠くてたまらない。初めて、本気の全力で魔法を使った弊害か、肉体への疲労の蓄積があまりにも多すぎる。

気絶するまでもう時間がないだろう。その前に宿の外、は無理かもしれないけど、箱庭の外にはいかないと。

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