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ラインの黄金



一瞬のような、長く続いたようなそんな光が明けて、俺達の視界に映るのは小さな世界。

………せせらぎを響かせる小川と、陽光が差し込む森林だ。

ただし、それらは四方を透明な壁に覆われた、美しくも狭苦しい牢獄であった。


「………異界の中の小さな異世界?」

「その表現は的を得ています。ええ、その通り―――外の異世界はこの世界を維持し、守るための防衛機構なのです」


レクラムちゃんの言葉に頷く。因みに背後には未だ巨大な扉が存在しているが、それは本来この世界にないものだ。

水蓮が力を貸してくれているからこそ、このように外へとつながる扉が顕在化している。今、彼女は通路を維持するために全力を賭してくれているのだ。

その努力に応えるためにも、俺達も早く用事を済ませないとね。


「さあ、行きましょう。元凶が待つ場所へと」

「………つうかよ、結局この場に残ったのは俺とイブ姫とレクラムだけか。一般人が二人ってのは変な感じだぜ。明らかに異常な場所なのによ」

「異常というのは少し違うかと。ここは異質であるだけですから」


精神の異常といった要因によって形作られた世界ではないのだ。ただ、こうあるしか無かっただけ。

とはいえだ。確かに、秘術に直接かかわりのないキール君やレクラムちゃんがこの場にいるのは、おかしな巡り合わせと言えるのかもしれない。

ま、それはそれ。レクラムちゃんは望んでここにいるし、キール君もこの場に居合わせたのだからいわば共犯者である。


「美しい世界だな。あの醜い肉の触手の世界の先にあるとは思えない」

「あれらは精神の階層によるものでしょう。表層程醜い感情に晒されていたからこそ、この異界の入り口近くは醜い姿をしている―――黄金兵など、まさにその象徴かと。守護を司る防衛機構がそのような有様である辺り、相当な負荷がかかっていたのでしょうが」


そうでなくては、異界化してまで身を守ろうとするものか。

………そうでなくては、ここまでして誰かを守ろうとするものか。

そうとも。この世界は、ただ悲しいだけでも醜いだけでもないのだ。この奥底にある世界の美しい程の優しさが、慈しみを象徴している。

くしゃりと葉音を立ててせせらぎを超える。淡い草木の香りが漂う森の先へ進む。

そして、その奥に。鈍い錆びの匂いと、血の香りがした。息を吸い込んでから、匂いの主へと声をかける。返ってきたのは、皴枯れたような低い男性の声だった。


「………誰だ」

「初めまして。ただの魔法使いですよ」


小川も消え、森の気配が濃くなって。その奥に、佇むように。声の主である、全身に鈍色の鎧を纏った剣闘士が俺たちを出迎えた。

剣は血に塗れ、鎧は錆び付き、命の気配すら遠い彼が、それでも冑の隙間から俺たちを見つめる。その背後には………少女が一人、黄金の髪を揺らしながら眠りにつく。


「魔法使い、か。この世界には、そして俺達には不要なものだ。帰るが良い。不毛な争いはもう望まん」

「そうはいきませんよ。宿を異界化する事によって多くに人に不利益が生じています。それに、いつまでもこの世界を維持することは出来ません。いくら、彼女の力を借りていても。貴方たちのためにも、この世界は終わるべきです」


足音を立てて、彼に。そしてその背後の彼女に近づいた。ぶんっと音がして直後、髪が引っ張られて後ろに身体を持っていかれる。

首のすれすれを、彼の持つグラディエーターが通り過ぎた。

俺の髪を引いて助けてくれたのはキール君だ。いや、まあ。今更俺は首を切り落とされたくらいじゃ死なないんだけどね?


「貴様に何がわかる。俺達の、何が」

「分かりますよ。彼女の神秘も、貴方がなぜ彼女を助けるのかも」

「………おい、イブ姫。俺達はお前を護衛するのが仕事なんだ、あんまり無理な事はしないでくれよ」

「あ。ええ………ごめんなさい、キール君」


冷や汗をかいているキール君に謝る。死なないとはいえ、人の目の前で惨殺されるというのはそれを見たほうに強い衝撃を与えてしまうからね。うん、自重しないと。

俺自身が人から離れても、俺を人だと認識してくれている存在は居るのだから。


「イブ姫。彼と彼女が、元凶か?」

「そうです。そして犠牲者でもあり、救済者でもあります」


矛盾はしていない。誰かを助けたものが誰かに傷つけられた存在であるなんて、特別な事じゃないから。人は、人を傷つけて生きるものだからね。

まあ注釈を加えるとすれば。


「背後に眠る彼女は、人ではありません。レクラム、シルラーズからヒントは聞いているのではなくて?」

「金を道具として扱う商人が鍵をかけてまで守りたいもの―――む、待て。もう答えが喉元まで出かかっている」

「………ああ。そういうことか。俺達にとって金自体は只の道具、流れるモノだけどよ。でも、その金を生み出すものであれば、話は別だ」


商人であるキール君の方が感性に近かったのだろう。より早く答えに辿り着いたらしい。

一拍遅れて、レクラムちゃんも答え………即ち、彼女の正体に思い至った。


「金貨も銀貨も、商人には関係などあるものか。そんな商人が欲しがり、手元にとどめたいと思うモノ―――金そのものではなく、金のなる木こそがその正体」

「その通り。そして、彼女はそれに類する能力を持つ存在です。勿論、厳密に言えば人ではありません。私と同じように」


漂う少女が、眠っていた少女がその瞼をゆっくりと開く。そして、黄金の瞳で俺たちをじっと見つめた。

剣闘士が呻き、グラディエーターの柄を強く握る。立ち上がろうとした彼はしかし、少女の手が肩に置かれたことによってその動作を諦めた。


「君とも初めまして、ですね。まあ他人の気はしないのですが」


黄金の麦の穂にも似た髪の色を靡かせる彼女に近づいて、その手を取る。

少女が無表情のまま、視線を動かした。


「………その娘の正体。私も御伽噺で聞いたことがある、呪われた黄金―――ラインの黄金だな?」


改めてレクラムちゃんが彼女の正体を定義する。それと同時、音にならない言葉が彼女、ラインの口から語られた。


”「千夜の魔女、私の母の写し見。新しき霧の魔女………そんな存在と出会うとは」”

「私は私ですよ。それよりもラインの黄金よ。このような現象は永遠には続きません。貴女なら、分かるでしょうに」


ラインの黄金。それは俺の世界ではニーベルンゲンの歌に登場する、呪われた黄金のことである。

愛を捨て去る代わりに無限の権力を手にするとされる黄金。そして持つ者に破滅を与える呪いを持つ黄金。

この世界でも所有者、即ち主人に富を約束する生きた黄金として存在している。

商人からすれば金の生る木、金の卵―――大事に幽閉して、鍵をかけてしまっておく存在だ。けれど、この世界のラインの黄金は意志を持たない無機物ではなくて。

千夜の魔女によって生み出された、呪われ偽りの永遠を生きる定めを背負った、黄金の肉体持つ人間である。

つまるところ。俺と同じ由来を持つ、千夜の魔女による呪いを受けた存在なわけだ。多分、絶世の美少女といわんばかりの容貌をしているのも、どことなく雰囲気が俺と似ているのもそれが理由。


”「私よりも永遠に近い貴女が永遠を否定するの?」”

「ええ。オリジナルである千夜の魔女ですら、永遠を失ったのですから」


微笑んで言葉を肯定する。例え魔法や魔術が存在する世界であっても、永遠にあり続けるものは存在しない。かつて永遠という法則を体現していた魔女が狂い果て、死んでしまったように。

全ての世界で、全ての生命と全ての物質は滅びゆくものなのだ。


”「この箱庭を解くつもりはないわ」”

「そうすれば、彼の命は無いからでしょう?」

”「そうよ。ただ命と人と欲の間を揺蕩うだけの私を―――私自身を見てくれた人。ラインの黄金という道具を人として扱って、その命を以って救い出してくれた人。………彼の命は、もう残り少ないの」”


儚げに黄金の睫を伏せるラインの黄金。生まれ、呪われ、道具として存在した彼女は、所有しているだけで無限の富を約束する、黄金に纏わる因果を引き寄せる存在だ。そしてその黄金は彼女ではなく、彼女の周囲に集まり、流動する。

その性質が故に、最初は彼女を救うために手を差し伸べた人間でも、黄金の魔力に飲まれて容易く人の道を踏み外し、ラインの黄金を道具として認識し始める。

………所有者が命の危機に襲われれば、金のために命を落とすか、命のために金を、即ちラインの黄金を手放すかのどれかだろう。そうして、ラインの黄金は朽ちることのできない肉体を持ったまま、黄金を引き連れて様々な人間の手を渡り歩いた。


「俺は………剣闘士だ。自由を求め、生きた。だが………俺よりも、もっと、ずっと………縛られた存在がいた。どうすれば助けられるのか………ずっと、考えていた」


剣闘士が、皴枯れた声で囁くように言葉を発する。瀕死であるというのに、それを気にも留めず、彼はまっすぐに俺たちを見ていた。


「だから、ですか。彼女の所有者を、彼女を所有しようとするものをすべて殺し、欲を持った人を近づけさせないようにした」


ラインの黄金の魔力は、彼には通用しなかった。それ以上に、呪い以上にラインという少女自身を見ていたから。

自由を求めた剣闘士が、自由を奪われた黄金に恋をする―――それは救いであり、この世に対する呪いでもある。

少女を苦しめるこの世界を呪った彼は、自身の命を顧みずに戦って。そして、どれほど鍛えても只の人でしかなかった彼は、あっけなく命を削り果たしたのだ。

ラインは自らが身に帯びる魔力と、彼の意志と、彼らを取り巻く怨念を利用して怪異を生み出し、その怪異の中に偽りの永遠を齎す楽園を作り上げた。それこそがこの箱庭であり、箱庭を守る宿に寄生した怪異なのである。

優しい呪いだ。だけれど、終わりは訪れなければならない。偽りは所詮偽りで、これ以上永遠を引き伸ばせば、必ず応報がやってくる。道理を曲げれば、その代償は払わなければならないのだから。


「………貴方たちに、結末を」

”「デウス・エクス・マキナを語るのかしら」”

「必要であれば―――悪いようにはしませんわ。私、人が不条理な不幸を受けるのは好きではないので」


万人は幸福になる権利を持つのだから。勿論、ラインの黄金も人である。俺が、そう定義した。だから、ここでこの永遠はお終い。ゆっくりと息を吸って、魔力を生み出した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新ありがとうございますぅぅ
[一言] そりゃ商人が欲しがるよなあ にしても愛って素晴らしい
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