お祓い交渉
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「では皆さん。これより怪異を祓いますので………今宵だけ宿を貸していただけますか?」
「………はい?」
空から舞い戻って、そのまま皆でやってきたのは宿の受付だ。いや、ただの受付というよりはホテルのエントランスというべきかもしれない。
この時代の宿っていうのは基本的に俺たちが現在留まっているような、酒場とセットになっているような所が多いんだけれど、流石は街で最も人気だった宿というべきか。
装飾が施された扉を開けて宿の中に入れば、警備員を兼ねているバトラーの姿とカウンターの奥にてこちらを見るドアマンが見える。
うん。ドアマンはホテルの顔というけれどね。状況が状況故に、彼の顔色は随分と悪いものになっていた。
「ええと、申し訳ありません。貴女は?」
青白い顔のまま困惑の表情を浮かべるドアマンさんに、シルラーズさんが前に出て説明をする。
「失礼。先程こちらを調査したシルラーズだ。彼女は私の雇い主でね、怪異を祓うのが目的なんだ」
あら嘘八百じゃないですか。本来は俺が雇われている側なんだけどね。まあ今回のケースにおいては俺がシルラーズさんに助力を頼んでいるので、百パーセントの嘘ではないんだけれど。
「どうせ夜の営業は不可能だろう?死人が出るのだから」
「………先程はあくまでも魔術師が内部を精査するというので調査許可を与えたまでです。実際に怪異を祓うとなれば何が起こるか………私には判断が出来ません。支配人に相談をしてきます」
「成程、賢明な判断だ。怪異が物理的損害や十数年残る呪いをばら撒くことも多いからな、君の行動は正しい。さあ、行ってきたまえ」
人気の宿は伊達じゃないなぁ。従業員への教育が行き届いているというか、働いている人の頭が普通にいいというか。
何も考えずにいいですよって言われてもこちらが困るからね。対価を得るつもりはないけれど、だからといって押しつけの慈善活動でもないのだ。きっちりと、そう………仕事に近い形だと俺は認識している。家で受ける依頼と同じ感じだね。だから、選ぶのは彼ら自身だ。
勿論より良い結末に至ればいいと思うけれど、俺の思う結末を押し付けることはあってはならない。あくまでも、魔法使いは人の道筋を照らすだけにしないとね。なんだかんだ首を突っ込んじゃう辺り、俺はまだまだ未熟なんだけど。
カウンターの背後、事務室があると思われる部屋に入っていったドアマンの背を見送ると、そのままレクラムちゃんに質問をする。
「レクラム。この宿の支配人さんはどんな方かしら?」
「普通の人間だ。いや、普通よりは頭が切れるかもしれないが、シルラーズ学院長やフランダール商会の会長に比べれば赤子みたいなものだろう」
「お~、嬢ちゃんや。評価されるのは悪い気分じゃないがね、俺とシルラーズ学院長の事を悪鬼羅刹の類だって言ってないか、それ?」
「あの魔境であるカーヴィラの街で広く名を知られた商会の頂点と、その街を代表する魔導学校の長だ。似たようなものだろう」
「………レクラム。貴女の歯に衣着せぬ物言いは好きですが、一応言葉は選びましょう?言葉の使い方ひとつで無用な喧嘩が減りますよ」
「私は特に怒ったりしないがね。そういわれるのは慣れている」
「そういう問題じゃありません。いいですか、シルラーズは性根はいい人だというのにそれを包む性格趣味嗜好が―――」
ピンっと指を立ててお説教を始めようとすると、ドアマンの彼が戻ってくる。
………お説教している時間はないらしい。シルラーズさんがそっと胸を撫で下ろしているけれど、見えてますからね。
「支配人を呼んできました。もう一度詳しく話をしたいと。相談の場として宿のバーカウンターを開放し、そこに案内するように指示されています。どうぞこちらに、ついて来て頂けますか」
「もちろん。お手数をお掛けするわ」
そのまま案内をしてくれるドアマンの彼に微笑みかけると、先導を始めた彼を追った。
この時代、この世界の宿なのでまあ当たり前といえばその通りなんだけど、バーがあるんだねこの宿。受付からはかなり離れたところにあって、泊まった人間しか使用できないようになっている野が分かった。
廊下との仕切りとなる扉は大きな樹木を切り出した、華やかに装飾された両開きのそれ。取っ手が野薔薇の蔓のようなデザインで作られているのは個人的にかなり好きだったりするけれど、まあそれはさておき。
その両開きの扉をくぐると、バーカウンターから離れたソファー席に丁寧に髪を整えた長身の男性が立っているのが見える。
男性は立ち上がると、静かに一礼をして。
「初めまして、魔術師の方々。私はこの宿の支配人を務めている者です。今日はこの宿を悩ませる怪異を祓ってくれる、ということですが―――」
「おう。兄さん、ちょいと腰掛けていいかな?あと、確かに魔術師もいるが今回お宅の宿を助けようって言ったのはこっちの姫さんだ。んで、この姫さんは魔術師じゃなくて魔法使い………間違えねぇようにな?」
「………ま、魔法使い、ですか」
フランダール会長が男性の言葉の流れを一度斬る。
うーん。わざとですね?それ。会話の主導権を強引にとっていってしまった。まあ魔術師じゃないのはその通りなんだけど。
人によってはというか、魔法使いによっては魔術師として扱われると怒る人もいるからね。俺は特に気にしないけど。
「それは失礼を………」
「ああ、いえ。お気になさらず」
「イブ姫、さっさと座りな。ど真ん中だ、交渉は俺たちがやるからそこで笑っとけ」
キール君に相手から見えないところで背中を押され、大きなソファーの真ん中に座る。両隣にフランダール会長とシルラーズさんが座り、改めて支配人が向かいに座ったところで、再び会話が始まった。
………いや。会話じゃないね、これキール君のいう通り交渉だね。
「まずこちらからの意見を言わせて貰えば、本当に祓えるのかという点に疑問があります。街に拠点を持つ魔術師に一度助けを求めましたが、何も解決しませんでした」
「そりゃ災難だったなぁ、兄さん。ま、腕の問題だろ」
「私を含めて、この場にいる魔に精通する者は呪的災害に多く携わった経験がある。土地の地脈を管理するだけ、或いは低級の怪異を祓うだけの魔術師とは違うとは明言しておこう」
「………そうおっしゃるのは簡単ですが、ただでさえ売り上げが落ちている現状、もしも怪異を祓う最中に宿が壊されでもしたら、私たちは路頭に迷います。だったらなにもしない方が―――」
「支配人様。確かに言い分は分かりますが、根源的な物を断ち切らなければ結局は最後に窒息死しますわ。リスク無くしてリターンなし………というのは大袈裟かもしれませんが、安心して安全に宿のサービスを提供できるようにすることは必要かと」
それに。
どうやらこの宿に巣食う怪異の特性上、時間を置けば置くほどにその力は増していくだろう。勿論、際限無しという訳じゃないのでどこかで打ち止めはあるだろうけど、仮にそうなった場合、祓った後に爆弾級の呪いを残していく可能性もある。
そう言った呪いは手順を踏めば一応は消せるけど、どうしても時間はかかる。正当な手段を用いなければもっと加速は出来るけど、粗が出るし。
まあ、鉄は熱いうちに打てといいますか、臭い物に蓋をしてしまう前に中身を捨てましょうと言いますか。
「第一に、今日の昼間の精査についても私共はまだ資料を貰っていません。それで実力を判断しろと言われましても―――」
「うむ。そういうと思って纏めておいた。見たまえ」
シルラーズさん仕事がはやーい。白衣の下から数枚の羊皮紙を取り出すと、支配人さんの前に置く。
それを手に取った支配人さんがゆっくりと内容を読み始めた。