絨毯が出来ました
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場所は変わり、宿の一室へ。
因みに部屋で染物をしたいということを宿のマスターに言ったら、無言で大きな洗濯用の桶を貸してくれました。
という事で水を街の共用井戸から汲んできて、フランダール会長とキール君が買ってきてくれたバジルを投入しての染物タイムである。
まあ染物といっても魔法に使う道具としてのものなので、色合いはそこまで気にしないつもりだ。本当は一番液とか二番液とかあるんだけどね。
「染物だろ、水入れてどうすんだよ。普通沸騰させたお湯だろ」
「この水を普通の方法で高温に沸騰させるのは、少々面倒ですから。そこは魔法で短縮しますわ」
「旅先で風呂に入りたいときに重宝しそうな魔法だな、イブ姫よ」
「いえ………シルラーズ、流石にそれは無駄遣いでは?」
………衛生面を考えれば湯浴みというのは悪い事ではないんだけどね。豊富な水量が必要になるとはいえ、身体の汗や油分、泥を洗い流すことが出来るのは公衆衛生を保つのには非常に良い手段となる。
勿論、その汚い水を排出する必要があるし、排出した水をどこかで清浄にしないといけないので、いくら秘術によって文明が進んでいても、この時代では誰でも気軽に自宅でお風呂の入れる文化っていうのは難しいだろう。
豊富な魔力と呪的資源を持つカーヴィラの街でようやく、といった程度である。カーヴィラの街は都市としての規模はかなり大きい方だけれど、それでも街一つ分の人しか住んでいない。
人数を絞ってそれなので、他の都市や国家ではとても全体への普及は難しいだろう。そもそも治水技術の欠落が中世ヨーロッパ暗黒時代形成の一因を担っていたわけだし、根本的に水と西洋世界は相性が悪いよね。
「魔法使いには湯を沸かす魔法があるのか」
レクラムちゃんの言葉には、首を横に振る。そんなピンポイントな魔法、流石に出番がないからね。
「細かく分類されているわけではありませんよ。大抵は魔力で押し通すことが多いのですが、まあ私の場合は―――」
制御がまだ得意じゃないので、ええ。手伝ってもらいましょう。
「サラマンダー。力を貸してくださいな」
どこからか、炎を纏った小さな蜥蜴が現れる。知っての通り、火蜥蜴と呼ばれるあちらさんの一人だ。
自宅の暖炉でもお世話になっているけれど、当然ここに現れた彼は俺の家の彼とは別人である。
「………ケ」
「あらあら。貴方は少し、恥ずかしがり屋ね?」
「………ケェ」
人見知りするように首をひっこめるサラマンダーに微笑みかける。
そして優しくサラマンダーの頭をなでると、彼をそっと水が張られた桶の中に泳がせた。淡い緋色をした、触れられない殻を纏うサラマンダーが水中を泳ぎ、息を吐く。
すると、桶の中を満たした大量の水は、瞬く間に沸騰したお湯へと変じた。
「ふふ、ありがとうございます―――あら?」
水から浮かび上がった彼は、まるで空気の中に消え入るように、焔が虚空に溶けるように、そっと消えていく。
本当に恥ずかしがり屋のようだ。サラマンダーは四台元素理論における火の元素を支配するあちらさんであり、その属性が故に荒々しい性格をしていることが多いんだけどね。
珍しいタイプのサラマンダーもいたものだ。ま、彼らも人間と同じように個性があるから、完全に性質を断言することなんてできる筈もない。
人を愛する彼らと人を嫌う彼ら、姿かたちも名も違えど、人が人であるように、彼らも同じ存在だもの。と、それはさておき。
「あれが火蜥蜴………サラマンダーというやつか」
「俺には何も見えなかったんだが………頭取はなんか見えたか?」
「あー、うっすらなんか赤い奴がいたような気がするんだけどなぁ」
「全員に見えているという訳ではないのですね」
「それはそうだろうさ、イブ姫。妖精となれば特に、個人の資質によるものが多い。我々魔術師が扱う魔術は物理的な現象として表れることも多いが、純粋な人理の外の生命となれば存在そのものの位相が違う」
「私にはしっかりと見えているが」
「ミール、お前は当然だろう。お前は魔力を持たないが、それでも素質は備わっている」
………そういえば、ミールちゃんはあちらさんを当たり前のように認識している。
聖別された武器と卓越した剣技を持ってはいても、特別な血を持つ妹のミーアちゃんとは違ってミールちゃんは魔力や秘術に通じる術を持たない普通の人間だ。そういう人はあちらさんを認識することが難しい筈なんだけど。
そもそもとして妹のミーアちゃんがその身に宿す猛毒の血も、ただの人である筈のミールちゃんには作用しない。同じ血を持つという事で多少の毒の軽減は行われているにしても、完全に無効化っていうのは本来なら有り得ないはずだ。
シルラーズさんですら、プロテクトをかけているから触れているんだし。
―――ああ、でも。そうだよね、双子だもの。特別な血を持つのがミーアちゃんだけっていう方が、不自然か。
「なんだ、イブ姫」
「いいえ、なんでもないわ。それよりもレクラム、貴女は見えるのね」
「私が魔法使いや魔術、即ち神秘に興味を持ったのは、私が見える人種だったからだ。残念なことに見えるだけだったからこそ、学徒になる以外の道が無かったのだが」
「ふむ。レクラム君、君は運がよかったな。見える人間でありながら、呪われていない。………彼ら妖精は覗かれるのを嫌う節があるからね」
見られたあちらさんが怒り狂うというのも、まあ。多々ある話だ。そして大抵人間はロクなことにならない。見えるというのは善い事ばかりではないのである。
俺の元の世界にしてもそうだけどね。幽霊が見えるからと言って、その祓い方を知っているわけじゃない。知っていても、出来るとは限らない。
さて。そんな雑談をしていると、桶の中のバジルがすっかりお湯の中に溶けていた。
少し翠を帯びたような、黄金色。例えるなら色の変わり終わりに近い銀杏の葉のような色をしたその液体の中に、指を入れた。
「『古き力の一欠けら 魔女が編み込む秘密の枝 薄い黄の糸揺れる糸 結われて繋げて掬ばれる』」
呪文を一つ唱えれば、指先より液体が巻き上がる。
ぐるぐると渦を巻きながら宙に集まり、丸まった煮出し液―――それを指で指揮して、絨毯の方へと流れを変える。
水流は幾つかに束に分かれながら絨毯を取り囲み、そのまま浸透していった。
「はい、これで完成です♪簡単でしょう?」
「………なあ。これで、本当に魔法の絨毯が出来上がったのか?」
「そうですよ。私の魔力を閉じ込めていますから、千年程度は飛べる筈です」
「ははぁ、千年先まで使える魔道具か、最早今の世の中じゃ値段つかねぇなぁ」
ぼやくフランダール会長。まあ、こうやって値段を付けられないようにしたのは敢えてといいますか。
魔法の絨毯がこの世界にも大量にはないとなれば、それはつまり欲しがる人間も一定数要るという事だ。中途半端に優れたものを作ると逆に奪われる危険性がある。けれど、こうして慎重に管理するほかないものを作ってしまえば、知らないうちに誰かの手に渡る心配は無くなるからね。
………空を自在に駆けるというのは、この世界でも脅威であることに変わりはないのだ。水蓮の事件の際に、唆されたとはいえ強盗団が魔道具を用いていたりということがあったけれど、あのように便利な魔道具も奪われ、悪意を持って使用すれば一転して危険な兵器へと早変わりしてしまう。
無くしてもまあいいかで済まされるようなものの方が管理が杜撰で奪われやすいので、こうして値段を阿保みたいに吊り上げて―――アストラル学院の封印された宝物庫など、そう言ったところに収められるモノになるようにしたのである。
指先でちょちょいっと絨毯をなぞれば、意志を持ったかのように自在に動き、俺たちの前にふわりと広がって置かれる。触ってみて………うん、強度も十分だ。ならば。
「遊覧飛行、行くとしましょう」