新しい同行者
「ふん。まるで姫のような格好をしやがって。………いや、待て。お前、魔術師か?」
「いいえ。私は魔法使いですわ」
「―――魔法使い。ほう、生きている間にお目にかかることがあるとはな。旅を続けていればいつかは、と思っていたが足を失ってからとは」
眼鏡を持ち上げて、唸りながら目を細める。本当に度があっていないらしい。
俺の顔、もしかして良く見えていないんじゃないかな?目を酷使する職業なら視力が悪化するのは当然のこととはいえ、ここまでくると日常生活ですら不便になってくるはずだ。
因みに。お父様は俺たちに挨拶するとそのまま出勤していきました。見知らぬ人である筈の俺を娘さんと一緒の家に放置っていうのはどうなんだろうか。いや、何もしませんけどね?
それはさておき、本題に入ろう。
「レクラムさん。私はこの街一番の宿に現れたという怪異を祓うため、情報を集めています。貴女のお父様にお話を伺った所、レクラムさんなら何か知っているのでは、とのことでしたが………」
「あの親父は適当なことを………真相は知らん。だが、不可解な現象だからな。情報は取ってある」
「具体的な情報は何でしょう」
「泊まった人間と失踪した人間、そして死者。従業員数と名簿も入手してある。親父は代書人だ、宿屋に仕事に行くことも多い。そのタイミングで持ってこさせた」
「………危ない橋を渡らせていますね、お父様に。あまり良い事ではありませんよ?」
「今まで一人として昼間に死者は出ていない。失踪者もだ。問題などある物か。全ての事件は、夜の間―――そう。一夜の間に事件は起こっている」
手にした羽ペンの先端を、散らばった本の方へと向ける。
どうやらその本の中にレクラムちゃんが纏めたであろう失踪者と死者のデータがあるんだろうけれど、うん。見えませんね、何も。
「………片付けは苦手なんだ。この足では動くことすら億劫でな」
「いえ、これはそういう次元ではないような。単純に片付けお嫌いなのではないですか?」
「黙れその無駄に長い髪、切り落としてやろうか」
「魔法使いの髪を切る物じゃありませんわ。どんな呪いが勝手に掛かるか、分かったものではないのですから」
魔法使いの恨みは意外にも怖いものだ。あと、俺の髪を持っていると多分あちらさんが凄いことになります。普通の人には見えないから心霊現象的な何かとして把握されてしまうんだろうけれど。
それはさておき、手に持った帽子を頭の上にくるりと回して載せると、小さく指を立てた。
「”小さな小さなヒレハリソウ 旅の鶏、小さな根 お前の腕で、私の失せもの探しておくれ”」
指先に現れるのは、小さな煙の塊。それがふわりと開き、漂いだすと煙の紐のようになって本の方へと向かっていく。
「失せもの探しの魔法、か?」
「ええ。旅先での紛失、盗難を防ぐというコンフリーを用いた、古い薬草魔法です」
うん、まさか旅先での守護の力を持つコンフリーを、宿屋でも使わなかったこの薬草魔法を。まさか家の中の失せもの探しに使うとは思わなかったよね。
一人ならざる旅であればこうして魔法を使うことも時には積極的にならなくてはいけない場合もあるとはいえ、この使い方はどうなんだろうか。………複雑に考えるのはやめておこうかな。
「………お呪い程度の代物と聞くが、随分としっかりとした効果を持っていやがる。術者の力量か?」
「あら。私、そこまで優れた魔法使いであるとは思っていませんよ」
なにせ、怪我とか普通にするからね。ただ常人より頑丈で、さらに肉体も何の後遺症もなく治るだけです、はい。
笑顔の裏にそんなことを隠しつつ、話題をそれとなく変える。
「あら。見つかりました」
煙の先端が紙の質感を捕らえる。そういえば、いくら紙に文字を記すのが仕事の代書人のお父様を持っているとはいえ、この屋敷の中にあるものは殆どが羊皮紙ではない普通の紙だ。改めて思えば、これは普通の光景ではない。
書物の山にしてもそう。この中世の時代の書物というのはべらぼうに高いのだ。アストラル学院のように巨大な図書館を持っていること自体が非常に珍しい程に。これはやや時代や環境の異なるこの世界でも変わらないことである。
いや。寧ろあちらさんがいる分、製紙技術というのはより得難い筈だ。なにせ、紙の原料は草木である。無理に伐採を続ければ、彼らの怒りを買うからね。
まあ日常的に普及しているのは羊皮紙であったりってことで、紙が高級品なのは今までの生活からわかっていたけれど―――だからこそ、この部屋の膨大な書物には首を傾げるのである。
だって、元は他の魔法使いの屋敷である俺の家、その書斎に近い量の本が散らばっているんだから。
一瞬だけ視界をくるりと回す。開かれた本が置かれた書見台と、筆記スペース。そこにはペンと墨。もしかして、レクラムちゃんって写本師では?
「………綺麗な文字ですね。貴女の作った本ならば、きっと良い品になるのでしょう」
「ふん、本来は修道士の仕事だ。この街には無いからな、代わりにやらされている。親父の縁だ、厄介極まりない」
レクラムちゃんの言う通り、写本を作るのは基本的に修道士の仕事である。写本師なんて職は現実には存在しないのである。
統一された行政による広域への教育が行われない限り、基本的に識字率というのは上昇しない。文字の読み書きができるという事は、時代を遡れば遡るほどに貴重な技能になっていくのだ。
ケルトの人々のようにそもそも文字を読まず、全て暗記で済ませる人たちもいるけれどね。祭事や儀式の方法などをすべて口伝で行うのは要求される能力が物凄い高くなる。そりゃあドルイドが敬われる訳だよ。
「中を見ても?」
「好きにするがいい」
レクラムちゃんの許可を得たので、記されている内容を確認する。
成程、暫定ではあるが恐らく怪異に襲われたと思われる犠牲者には、街の外から来た旅人も多い。そう言った人たちについての情報は街の門を管理する衛兵さんから情報提供をされているようだ。
宿屋の帳簿及び名簿と合わせ、お金の動きと人の動き双方を把握。そうすることによって情報の裏付けも行われている。
街に入る際に手続きがあるからこそできる管理方法だね。
「発生し始めたのは………四か月ほど前ですか」
これはキール君の集めてくれた情報と一致している。更に続きを読み進める。
………最初に失踪した人間は裕福な商人だそうだ。そこから連日、夜が来るたびに人が消えている。
一度に二人や三人が失踪したこともあるそうだ。
「おや?初期は失踪ばかりなのですね。死人が出始めたのはひと月を超えてからですか」
二月が経過した当たりで失踪者と死者の比率が半分ずつになり、最近は死者の方が多くなっている。とはいえ、時間軸が今に近づくほど、宿に泊まる人が少なくなっているために犠牲者の絶対数が減少している。
その少ない絶対数の中でも失踪者は居るため、パーセンテージで考えれば見た目の数字ほど比率は減っていないのだろう。
この街に宿屋は幾つもあるにせよ、人の量によっては部屋が全て埋まっていることだってある。そうして溢れてしまった人は、あの宿に泊まらざるを得なかったのだろう。危険だといううわさが広まっても一定数の宿泊者が居るのはそれが理由だ。
「宿屋も可哀そうですけれど。彼らに非はないでしょうに」
「ないな。恨みを買っているのかとも思い金の流れを調べてみたが、何の問題もなかった。誰か権力を持つ者と揉めているという情報もない」
いや凄いなレクラムちゃんの情報収集能力。俺がただ零しただけの感想にまできっちり正確な返しをしてきたよ。
………さて。レクラムちゃんの集めた情報を纏めれば、あの宿に恨みを持つような人もおらず、呪われるような原因がないままに怪異が発生したことになる。
まあ怪異そのものは魔力が何かしらの原因で淀み、溜まってしまえば発生するから相当清浄な状態を保っているか、或いは常に浄化されていたり、魔術師たちに管理されていない限りは理論上どこでも現れる。
それこそ現代であれば学校とか病院の発生率は凄いことになっているだろうけれど………宿か。
「………ありがとうございました、レクラムさん。とても貴重な情報でしたわ」
「そうか。―――ああ?待て、お前。解決策思いついたのか?」
「真相までは遠いですけれど、手順は把握できました」
宿の周囲を少し調べた後に、宿屋に乗り込んでの実地検証。当然、夜と昼の両方を。
それで真相は浮かび上がるだろう。原因自体は何となく、分かっているけれど。
うん、どうやらただの怪異ではないというのは推測通りであったらしい。そうでなくては、失踪者など発生しないからね。―――特に。呪われる理由も、強力な呪詛を振りまく存在もない状況ではまずそんなことは有り得ない。
「この名簿、お借りしてもよろしいかしら」
「………駄目だ」
「あら、残念。でしたら写しを―――」
「それも駄目だ。おい、イブ、私を連れていけ。未知を解明する瞬間、興味がある」
「………なんて?」
首を傾げつつ、レクラムちゃんに聞き返す。え、今なんとおっしゃいました?
「私を連れていけ。この情報の対価の支払いはそれでいい」
「………危険ですよ?」
「私は魔術や魔法といった神秘を、より民衆に親しませるために学徒となった。魔法使いが神秘を解き明かすのに立ち会わないなどという事はあり得ない」
「神秘を―――そうですか」
かつて。錬金術は科学の祖であった。石を金にしようと多くの人々が躍起になり、現代に繋がる知識の礎を作り上げた。化学薬品の大本も、その時に生まれている。
それ以前の時代に薬草を用い、人々を癒していた者は多くが魔女として処刑されてしまったが、時代が下ればより複雑な工程をもつ錬金術も、こうして受け入れられたのだ。
………それは、人々が理解をしたから。未知ではなくなったから。単純に利益になるからという理由なども合っただろうけれど。
未知。即ち不可解であることが解消されたのは印刷術によるところが多いけれどね。
俺の世界で錬金術が科学になったように。この世界でも、やがて魔法や魔術が、科学に近しいただの学問として扱われる日が来るのかもしれない。だとすれば、それは歓迎すべきことで。
その世界を目指す小さな学徒の背を押さない理由は、ないだろう。
「分かりました。私の一存で決めるわけには行きませんが、お連れできるように最善は尽くします」
「………助かる」
こうして。一人、同行者が増えることとなった。代わりに有益な情報を得られたし、多分大丈夫だよ………ね!!