聞き込み、そしてレクラムという少女
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「―――もし。少しお話を伺っても良いかしら?」
太陽が真昼に近づいてきた午前の頃。俺たちは宿から少し離れた大通りに移動すると、周囲を見聞し、聞き込みを開始していた。とはいえ、すぐに情報が出るわけもなく、朝から始めていたというのに既に昼近い時間になってしまっている。
まあ、単純な聞き込みという足を利用した一種の人海戦術ならばこうなるのは予測の範囲内である。次に聞きこむ相手をどうしようかと考えつつ手慰みにくるくると魔法使い帽子を回すと、ふと目についた道行く人に話しかけた。
「あー、いいけど手短に………あ、いやなんでもねぇ、ドンドン聞いてくれ!!!」
「助かりますわ、ありがとう」
若干顔を赤らめているのは、仕事に向かう途中なのだろう、白いシャツとベージュ色に染められたズボンを履いた三十歳手前の男性だった。なんで俺を見ただけでそんな表情になっているのかは分からないが、俺たちとしては助かるので、ええ。静かに微笑みかけましたよ。
指先からインクと紙の匂い。顔には眼鏡―――代書人だろうか。俗にいう知識層の人間だ、話を聞くにはいい相手である。
因みに。手に持っている帽子は影の中から取り出したものだ。ローブまでは着込めないけれど、魔法使いとしての活動である、印象となる物を身に着けるべきだよね。
こういった呪的現象に対応できる存在であるっていうアピールをしないと、なんで怪異が出る宿について嗅ぎまわっているのか不審に思われてしまうし。まあ他に理由もあるのだけれど。
「私、旅の魔法使いでして。丘の上に立つあの宿についての情報を集めているのですわ。何かご存じなら―――」
「いやいや、あそこには行くもんじゃねぇぞ?訳も分からねぇ怪物に何人も殺されてるんだ。死ななくても行方不明になっちまった奴もいる」
「………あら。死者だけではないのですね。失踪者と死者は同時期に発生しているのですか?」
「あー?んー、どうだったかなぁ………あ。ちょっと待ってろ、娘呼んでくるわ」
そういうと、代書人の男性は少し離れた場所に立つ共同住宅の中へ飛び込んでいく。手を振りながらそれを見送っていると、背後でキール君が呟く声が聞こえた。
「………魔性の女だな。あれか、傾国ってやつか?身を滅ぼされそうだぜ」
「私、そこまでの美貌を持ってはいませんよ、キール君」
「おい。生意気な口を利くな糞餓鬼め。斬るぞ」
「ミール、暴力はいけません。………というより、二人とも話しすぎですよ?」
何のために透明化の魔法を使ったと思っているんですか、全く。ぷんすかと適当に怒りつつ、背後の誰もいない空間に対して視線を向けた。
………透明化、というように。キール君とミールちゃんには、姿を認識されないという魔法を使用している。
いつもお馴染み、ヘーゼルの冠の魔法だ。透明人間になれるという薬草魔法である。………まあいつも俺が街中を出歩く時よりも若干普段よりも強めに使用しているけれど、一応これには訳がある。
怪異の発生状況を鑑みるに、どうやら自然発生した怪異とは少々毛色が異なることは明白なのだ。通常、魔力の淀みと人間や動物の負の感情が集まって構成される怪異だけれど、腕のいい魔術師や魔法使い、悪意あるあちらさんならば怪異を創造することは出来る。
本質的には魔力で構成された怪物だからね。魔力を操る術に長けたものであれば、作ることも操ることも一応は出来るのだ。あまり、メリットはないけれど。
さて。そう言った前提条件を元にして考えれば、怪異の背後にもしかしたら悪意を持った魔術師がいる可能性もある。そして、その場合明らかに秘術に精通した人間が宿の周囲を嗅ぎまわっていれば、何かしらの妨害行為は起こすだろうと推測が出来る。
俺が囮となって聞き込みをし、有事の際にはミールちゃんが俺を手助け、そしてキール君が怪しい人物がいないかを常に確認する―――という戦略なんだけれど。
「んー。困りましたね、怪しい人はいなさそうです」
とても、悪意を持った魔術師なんて分かりやすい悪役の気配は見当たらない。
そっと陰に視線を落とすも、水蓮は無反応。この仔は過去に色々あったため魔術師の気配に敏感だけれど、そんな水蓮ですら無反応であることから、魔術師や魔法使いが背後に潜んでいる可能性は限りなく低いと思われた。
「おーい、嬢さん。こっちに来てくれ、娘が外に出たくねぇってんでな。悪いが俺の家に来てくれるか?」
「ええ、勿論。お邪魔いたしますわ」
「お前はまた、危機感のない………」
「ふふ。だって、悪い虫からはミールが守ってくれるでしょう?」
「………むぅ。人誑しめ」
いえ全くそんなつもりはございませんよ?
………それはさておき。代書人の男性の言葉に甘え、共同住宅のエントランスへ。匂いを辿るままに、男性の部屋へと移動する。
軋む階段と床を通り過ぎて、やや建付けの悪い扉を開くと、奥に見えた窓の近くに代書人の男性。そして、その前にミモザの華のような黄色の長髪を持つ少女がいた。
「親父。さっさと仕事行け、もう遅刻だろう」
「いや遅刻したのは元々はお前のせいだろうが………ちゃんと作ってやったんだから飯食えよ、飯」
「親父の飯はまずい。それで。こいつはなんだ、私に何の用だ」
振り返った小さな少女。真っ白な肌に浮かぶ瞳はミモザの髪とよく似た蜜柑色。
鼻の上には銀色のフレームの眼鏡が載せられており、やや調整があっていないのか俺たちの方に視線を合わせるときには目を何度も細めているのが見て取れた。
そして。眼鏡よりも、暗闇の中で育ったがために純白となった肌よりも真っ先に印象に残るのは、深い傷跡を残す足だった。………彼女の横には埃をかぶった車椅子。
「おいお前、私の脚を見て憐れんだか?」
「そう見えたかしら?」
「………。いや。まあいい、上から見られると腹が立つ、座れ」
「お言葉に甘えるわね」
うん。見ればわかるとも、この娘は足が動かないのだと。けれど、その表情には一切の悲壮感はない。
鼻先に感じるのは、親父と呼んだ代書人の男性、つまりお父さんと同じ紙とインクのそれ。匂いの正体は、彼女の横に大量に積まれた本と資料の山だった。
不遜とも見えるツンとした表情。そして知性ある瞳。それを裏付けるのは、膨大な知識と調べることへの貪欲さだろうか。
「学生さんかしら?」
「………移動中に襲われ足を奪われた間抜け、という肩書が着くがな。」
「逃散権を与えられていても、移動中の安全までは保証されませんものね」
スカートの裾を折りたたみつつ、少女の隣に腰掛ける。気配で、キール君とミールちゃんが近くに来たのも分かった。
ああ、逃散権というのは中世の学問に従事する者たち―――特に大学の教師と生徒に与えられた、都市から逃げることが出来る権利だ。弾圧や不当な支配、高すぎる宿代などによって学生や教師が持つ自由や権利が脅かされた場合、別の都市に移動することが許されているのである。
大体はまず教師が移動を始め、学生たちがそれに付き従う形で別の都市へと移動する。けれど、あくまでもそれは都市から与えられた権利でしかない。
一歩都市を、街を出ればその外は荒くれものたちの領域だ。身の安全が完全に保証されるわけではないのである。
彼女は、その逃散権を利用し都市から都市へ移動している最中に、何かしらの事故に巻き込まれたのだろう。けれど―――それでも、知への探求が衰えること無かった。
「名前を聞かせていただいてもよろしいかしら」
「レクラムだ。お前は?」
「イブ、と。そう名乗っていますわ。よろしくね、レクラム」
手を差し出しつつ、微笑みかける。偽名だけれど、それでも。ちゃんと、できうる限りの誠意を込めて。