宿の一室
***
「まあ!!まあまあまあ!!!」
「ええいはしゃぐなお転婆が!!」
食事も終わり、部屋に案内されて。最初に発した言葉がそれであった。
「だってこれぞ冒険者のベッドですよ?気分が上がるのは当然です」
「粗悪、とは言わないが高級品とは程遠いだろうに。イブ姫、どこに喜ぶ要素があるのか教えてくれないか」
「あら。シルラーズも分からないの?良いものを使うのも素晴らしいことだけれど、こうして武骨で浪漫溢れるものに触れるというのも良い事でしょう」
「私は使えれば何でもいい質だからな」
「………学院長の思考は参考にならんぞ」
シルラーズさんは確かに、機能美を追及するのが似合っているので性能以外の部分の浪漫とかはあんまり興味ないかもしれないね、うん。
俺としては、旅先の宿がキャンプとかでお世話になるような太い木製の枠と余り柔らかいとは言えないベッド本体の組み合わせで構成されているとか、そういう感じが割りと好きなんだけどね。
その他の寝具だとハンモックも勿論好みだけれど、気が付いたらあちらさんたちが近くに集まっていることもあるので不用意に眠りこけるのも少しばかり危なかったりする。
と、そんな話は置いといて。
旅先の醍醐味としてやはり、整えられたベッドに飛び込むというのがあると思うのです。荷物降ろしてびゅーんと。分かるよね、分からない?そっか残念。
という訳で助走をつけてベッドに飛び込もうとしたら、首根っこをがっちりとミールちゃんに掴まれてしまった。
「何するの、ミール」
「服が皴になるだろう。脱げ」
「あ。そうね、確かに」
そもそも俺が着ている服は借りものである。汚すわけにはいかない。というか、今着ているものだけではなく、カバーを纏っている最中に着る服は全部借りものなのでなるべく丁寧に使わないといけない。
一応、契約の中に道中で破損した服とかは弁償の必要はないってことになっているらしいが、それはそれ。使い方次第で長持ちできるならばそうするべきだ。
この世の物は全て朽ちる定めだけれど、その定めを加速させる必要はないもの。
ドレスを着たままくるりと一回転して、胸元に手を置く。………はて。
「ミール。これってどう脱ぐのかしら?」
「なに?………普通に着た順序と逆の手順を踏めばいいだろう」
「いえ、今思ったのだけれど………これ一人だと脱ぐことが出来ないのではないかしら」
「む?」
そう言いながらミールちゃんが俺の服装をじっくりと眺めた。
上下一体のワンピースドレス。胸元のボタンに関しては自分でも外せるのだが、問題は後ろである。
この世界、文明は進んでいるし服飾関連もカーヴィラの様な文明の最先端にいるような街では、かなり現代に近いところまで来ているものもあるにせよ、それでも流石に線ファスナーといったような便利な物はない。
では俺の服の背後をどうやって留めているかといえば、幾本もの革紐で縛っているのである。途中で紐が解けると服が全部落ちてしまう構造上、紐はかなり頑丈に結ばれており、そんなものがたくさんあるため一人で脱ぐとなると仮に脱げたとしてもとんでもない時間がかかることは間違いないだろう。着るときはデザイナーさんに着付けて貰っていたため、気にも留めなかった。
ちなみに下は普通に空いているのでトイレとかは問題ないんだけれどね。
「おや、本当だ。脱ぐのも着るのも一人では難しいだろうな。ミール、手伝ってやれ」
「何故私が………ドレスを脱がしたことなどないぞ」
「そのドレスは大した構造ではない、大丈夫だろう。私は結界を張ったりで忙しくてな。当然、変わってくれるなら喜んでイブ姫の素肌に触れるが」
「さっさと仕事しろ斬るぞこの変態め」
肩をすくめたシルラーズさんは、手にした紙………恐らく呪符………を壁や窓に忍ばせていく。
あれそのものがこの部屋を守る術式であり、有事の際には攻撃手段にも転用できるという便利な代物だね。その代わり総合的な機能は劣るんだけれど、まあシルラーズさんお手製のものなら話は変わってくると思います、ええ。
因みに、宿は俺とシルラーズさん、ミールちゃんの三人で寝泊まりすることとなる。護衛を兼ねてというやつだ。でもベッドは二つしかないんだよね、部屋の規格としては二人部屋だからね。
ミールちゃん、床に座って寝るからいいとか言っていたけれど、疲れ取れないですよ?
「はあ、仕方ないな。イブ姫、しゃんと立て」
「ん、はい」
背筋を伸ばしてミールちゃんに背中を晒す。
そして、ゆっくりとドレスの紐が解かれていった。幾本の拘束が解け、ストンとドレスが抜け落ちる。
「下着姿をまじまじと見せるのは、流石に恥ずかしいわね」
「………お前の身体に恥ずかしいところなどない、気にするな」
「急に口説かないで頂戴、照れるわ」
「仲睦まじいのは良いことだが、ミーアが見たら怒るだろうな―――さて、イブ姫。デザイナーより寝間着を預かっている。折角だ、着せて貰うと良い」
そういってシルラーズさんから受け渡されたのは、夜色の素材で織られたシースルー生地のネグリジェだった。
肩紐で支えられた胴体部分は胸元こそ多少生地が厚くなっているものの、殆どがスケスケでなんというか夜伽で使うような代物である。いや、通気性とかは素晴らしいんだろうけどね。
寝心地はよさそうだけれど、着るには恥ずかしいタイプの服装である。
「ず、随分と………大胆なものを選ばれたのね、デザイナーさんは」
「似合うと思ったのだろう。実際に間違いなく似合うと思うが」
「………まあ、いいわ。どうせ肉体的には同性しかいないもの」
人はこれを妥協と呼ぶ。ま、旅先で同室の仲間に迷惑かけるわけにもいかないし、仕方ない仕方ない。
ブラだけ外すと、両手を上に伸ばす。顔も上にあげると、ミールちゃんが夜色のネグリジェを上から通し、着せてくれた。
「ありがとう、ミール」
「ああ」
………うん?ミールちゃん、視線逸らしてません?
ステップを踏んでミールちゃんの視線の方に移動すると、またもや視線の向きが変わる。おやおや、これは、もしかして?
「私、変かしら。ネグリジェ、あんまり似合っていない?」
「………いや、そんなことはない。寧ろ似合いすぎているのが問題だ………むぅ、忘れがちになるが、お前は余りにも―――美人すぎる」
「だから急に口説かないで頂戴。………変じゃないなら、いいわ」
もう。ミールちゃんは双子の妹のミーアちゃんとは違って、言葉の殆どが直球だ。双子なのによくもまあこんなに違いがあるなぁと感心するほどに、二人の性格は違う。
ミーアちゃんの不意打ちにも照れるけれど、ミールちゃんのまっすぐな言葉にも耐性があるとはいいがたいので、どうにも恥ずかしくなってしまうよね。
咳ばらいをすると、ちょっと変になった空気を吹き飛ばす。そして、まあ飛び込む気分でもなくなったのでゆっくりとベッドに腰掛ける。
「シルラーズ、結界は張り終わったかしら?」
「急ごしらえだがね、終わったとも。ふむ、話をする前に………」
シルラーズさんがトランクから取り出したのは、赤ワインと薄手のワイングラス。
「多少口を湿らせるものも必要だろう」
「まだ飲むのか………私は要らん」
「あの程度では水だよ、水。そうか、ではイブ姫。グラスを」
「ええ。頂くわ―――それで。この街の怪異はどれほどまで育っているのかしらね?」
酒精を喉に流し、グラスの中を揺れる液体に視線を向けつつ。
俺たちは本題に入る。即ち、この街に発生した自我持つ怪異、その脅威の度合いについて。
俺の視線に対し、シルラーズさんはグラスの中のワインを一息で飲み干すと、少し考えるそぶりを見せてから、指を立てて答えた。
「魔術師による怪異の等級定義を流用するならば………”騎士”階級に到達している可能性があるだろうな」