今日はお休み
「食事のメニューを………と、ありがとうございます」
マスターの方を見ればすっと差し出されたのは木板に張られた羊皮紙に記された今日のメニュー。
ちらりと周りのテーブルを見た感じ、冒険者の宿という事で一つ一つの食事がかなり大きく、大食いな人達ならばともかく俺の食事量だとシェアすればそれで満腹になってしまいそうだ。
人気のメニューはホワイトシチュー、次点で肉の燻製、塩漬けされた魚等々。まあ分かってはいたけれど、保存のきく料理が多いよね。
カーヴィラの街は魔道具による食材の保存技術があって、尚且つ世界各国の文化が集まるために食事の質も食材の種類も多いけれど、それは呪的資源が多いからこそできる芸当なのである。
冷蔵庫一つとってもカーヴィラの街を出れば超が付くほどの高級品で、電池代わりの魔力が貯蓄されたコインやら宝石やらも高価で流通数も少ない。そもそもこの時代で冷蔵庫があること自体がおかしいんだけどね。普通この時代氷室だよね。
とりあえず人気だというシチューと白パンを頼み、お酒がお強い面々のためにお代わりを貰ったところで、シルラーズさんが小さく溜息を吐いた。
「………そろそろ部屋の方に入って貰いたいところだがね」
「食事くらい良いじゃない。詳しい話は後で部屋でするわ。今はただ、簡単な方向性を決めるだけよ」
「それでも情報が漏れるという事は危険につながる可能性があるのだ、秘密の話を人前でするものではないと思うがね」
「確かにそれも一理あるけれど………なら。こうしましょうか」
テーブルの上に手を置く。正確には少しだけ隙間を開けて。
そして、そのまま指をテーブルに―――正確にはそのテーブルに落ちている俺自身の影の中に、指を入れた。
音もなく指先が影の中に吸い込まれる。そして、その中にあるものを指先で一つ摘まむと、スッと指を引き抜いた。
「セネガの茎か」
「ええ」
シルラーズさんの言葉に頷き、指の間にあるハーブをくるりと回す。まあ、偶には魔法使いらしいこともしないとね。
セネガの茎を軽く放ると、息を吹きかける。吹きかけられるたセネガの茎は中空で数度回転すると瞬く間に煙へと変じ、その煙は俺たちのテーブルの周囲をまるで膜のように覆った。
セネガ。ラトルスネイクルートとも呼ばれるこのハーブは、煮出し液を用いることで己に危害を加える存在から身を守ることが出来ると言われている。旅先の安全を保障するハーブというとコンフリーあたりが使われることが多いけれど、まあこういうところで内緒話を聞かれないようにする程度ならばセネガでも十分でしょう。
因みにアメリカ先住民はガラガラヘビに噛まれないようにこのハーブを持ち歩いていたらしい。
「盗み聞きを防ぐならこの程度で十分です。これなら問題ないでしょう?」
「ま、ここまでされてはね。君の指示に従うとも」
「イブ姫………お前は本当に人といるのが好きだよなぁ」
「あら、そうかしら?普通だと思うけれど………」
「積極的に人と関わろうとしている節はあるだろう。そうでなければ、そもそも私たちと出会っていない」
それは。うん、確かにそうかもしれない。
ミールちゃんとミーアちゃんに出会ったのは、キール君と喧嘩しているときに俺が顔を突っ込んだからだし。あの時は勢い余って殴られたなぁ、懐かしいなぁ。
まだ俺に男としての肉体が備わっていた頃の話だ、時間としてはそこまで昔じゃないはずなんだけれど、この身体になってから時間間隔も間延びしてしまっているのか、単純にボケただけか非常に昔のことに感じる。
「………疑問なんだが、イブ姫様よぉ。アンタは昔からそういう風な、面倒ごとに首を突っ込みたがる性質だったのかい?」
「迷惑千万な存在だと言われている気がしますが、まあそうですね………多分、そうだったかと」
「あ?随分と曖昧だな、アンタ」
「ええ。実のところ、余りそういうのって意識しないでしょう?ですから、改めて問われると疑問なんです」
まあ信条として足を使っての情報収集も行うべき、というような物があるため決して人と関わるのが苦手なわけではなかった筈だが。
「………ふむ。そうか」
「学院長、どうした?」
「いや。ふと思ったことがあってな。大したことではない」
「気になるだろうが、勿体ぶるな」
「本当に大したことではないのだ、今はまだな。どうしても気になるのであれば今度話そう」
ミールちゃんとシルラーズさんが何事か会話していたけれど、それは置いておいて。
軽くそんな雑談をしていると、注文していた料理と更なる追加のお酒がテーブルに運ばれてきた。フランダール会長、シルラーズさん、お二人とも飲みすぎでは?ワインにシードルとはいえアルコールはそれなりにあるんだけれど。まあお酒に強いのだろうしいいか、酔わないだろうしなぁこの人たち………。
さて、一緒に渡された木の枝で編まれた籠の中には人数分のカトラリー。それを全員に配りつつ、頂きますと口に出して、料理を口に運んだ。
「あら、美味しい。きちんと香草が効いているわね。鶏肉も柔らかいし」
「ほう?正直どうせ冒険者の宿だろって馬鹿にしてたが………こりゃいいなぁ、常連になっちまいそうだ」
思わず口元に手を当ててしまう程に、この宿のホワイトシチューの味に驚く。
うん、カーヴィラの街の料理屋さんにも引けを取らない出来栄えだ、フランダール会長のいう通りこの食事を取るためだけにこの宿に通ってもいいと思えるくらい。
そして何より値段が安い。安かろう悪かろうじゃなくて安かろううまかろうなの、素晴らしいですね。
「おい、それで怪異を祓うってどうするつもりなんだ」
「あーん………あ、そうでしたね。その話もしないと」
キール君によって軌道修正され、話は怪異についてのものに戻る。
「まず、今日は流石に休みます。これから活動しても効率が悪いですし、何より危険ですから」
「怪異は夜の方が活発になる。人間の集合的無意識によるものだろうがね」
「シルラーズのいう通り。この中で怪異に明確に対抗できるのは私とシルラーズ、ミールだけですから。活発化した怪異と相対させるわけには行きません」
ミールちゃんの剣技は知っての通りだけれど、それとは別にカーヴィラの街の騎士たちの剣には聖別 (のようなもの)が施されており、怪異を始めとした呪的存在を切り裂くことが出来る。ミーアちゃんの剣は別だけどね、あれは特別に分類されるものだから。
そして魔法使いである俺と魔術師であるシルラーズさん。俺たちは怪異が相手でも問題なく立ち回れる。そういう者に関する仕事が本業なわけだし。
………物質の身体を得た怪異ならばただの人間でも追い払うくらいはできるけれど、魔力によって構成された肉体を持つ場合は普通の人にはどうしようもないのが怪異というやつだ。
この辺り、呪いが形を得たものという形質が反映されてて実に厄介な点である。
「そして、明日も急に解決という訳にはいかないでしょう。私たちは兎も角、強行軍では皆様の方が疲労してしまいますから。なので、明日は情報の収集に努めましょう」
「………一日で集められる情報には限りがあるぜ」
「大丈夫です、キール君。私は皆さんを信頼していますから」
「だってよ、キール。へへ、頑張りなぁ?」
「糞、人ごとみたいに言いやがって………つうか頭取も手伝えよ?」
「護衛の仕事が空いたらな」
「空かねぇやつじゃねぇか!!!」
お二人のコントはまあ、そっとしておいて。
シルラーズさんの心配事を鑑みれば、これ以上のことを話すわけには行かないかな。
魔法で防護しているにせよ、魔術師が本気を出せば突破できる程度の脆いお呪いである、過信はするべきではない。
怪異についての推測などはまあ、この後でシルラーズさんとミールちゃん相手にするとして、今はこの程度で終わらせておくべきだろう。
「では。明日の予定はそういう訳で―――後はまた明日、現地を見てから考えましょうか」
どうであれ、現地を確認しないと情報の集め方も何も言えるはずもない。見るという事は人間が普段思っている以上に大切なのだ。
という訳で今日はここまで。シチューをゆっくりと平らげると、指を鳴らして魔法を解除して、そして。
「今日はここまで。皆さん、ゆっくり休んでくださいね」
宿の部屋へと向かうことにしたのだった。
………旅先での宿、地味にテンション上がるよね、楽しみだなぁ。と、そんな雑念を抱えつつ。