荒くれものの酒場
「まあ」
扉を開け放ってすぐ、鼻先に飛び込んできた匂いはとんでもないお酒の臭気。
ついでに騒がしい荒くれものどもの笑い声と怒鳴り声。けれど、その声は俺が入ると同時に少しの間、鳴りやんだ。
大きな一枚板のカウンターと、大きく丸い机がいくつも並ぶその宿は、どうやら一階部分が酒場になっているタイプの宿らしい。
「おうおう、とんでもねぇ別嬪さんが来たもんだなぁ?」
「胸も尻もでけぇ美女!!!はっはぁ、高級娼館でもお目にかかれねぇぞ!!!」
「よう、お嬢さん?いくらで尻を振ってくれんだ―――っと!?!?」
椅子から立ち上がり、俺に近づいてきたぼうぼう髭の荒くれもの………冒険者。その直後に金属音が響き、彼の眼球すぐ近くにミールちゃんの剣の切っ先が迫る。
ギリギリで止められてはいるものの、少し震えれば眼は二度と光を見ることは出来なくなるであろう、それほどの近さだった。
抜刀が速すぎて止める暇もありませんでした、ええ。
「貴様らのような下衆が声をかけていい存在ではない。さっさと席に戻って安酒でも飲んでいろ」
「………んだと?!」
「そこまでにしておけ、ミール。それからお前たち、纏めて丸焦げになりたくなければ言う通りにしろ。私は魔術師だ、それも割と凄腕のな」
遅れて入ってきたシルラーズさん。面倒くさそうに周りを見ているけれど、その言葉は割と本気ですね、はい。
目が笑っていませんもの。魔力も励起しているし、やろうと思えばこの建物内の人間だけをピンポイントに焼き尽くすことも可能なのだろう。
「はぁ?いい度胸じゃねぇか………ここは、俺たちの楽園だ、部外者の手前らがデケェ顔するんじゃ―――」
「あ、そうです。親交を深めるために皆さんに一杯ずつ奢りますよ♪さあ、席についてください、ええ、宴です。ふふふ」
「………するんじゃ………」
「あら。呑みませんか?残念です。晩酌のお相手位は努めようと思いましたのに」
「飲む!!よーし!!!別嬪さんが奢ってくれるぞ!!!!」
「「「よおおおおし!!!!!!」」」
「………単純な男共め」
「イブ姫、君………いつか魔性の女になりそうだな」
「え?いえ、あの。………なりませんよ?」
場を収めようとしただけなのに………酷い言いがかりではないでしょうか。そもそも俺はもともと男です、このカバーの状態ではそんなこと言える筈もないけれど。
小さく気づかれない程度に溜息を吐くと、靴音を鳴らしてカウンター席に腰掛ける。そして、酒場のマスターに視線を向けた。
「お騒がせして申し訳ありません。お薦めはなんでしょう?」
マスターは細身ではあるが筋肉ははっきりと付いているタイプの男性。髭は整えられており、酒場というよりはバーテンダーといった方が正しい風貌であった。
成程、キール君がこの店を次点として選んだのは、荒くれものの集う宿であったとしても、はっきりと治安が悪いという訳ではないからなのだろう。その点、確かに彼は仕事をしっかりとしているわけになる。
「当店は冒険者向けの宿ですので。そして冒険者は魔女の試練と紛う過酷な戦いの後、その疲れを癒すために強い酒を飲むことが多いかと。故に売れ筋はアクアビット、モルトウイスキー、変わり種で巨大な龍の舌の茎より作られるメスカルなども取り揃えております」
「メスカル。………テキーラですか」
「ご注文で?」
「いえ。あれは………癖が強そうですから」
龍の舌の茎、つまりはリュウゼツラン、アガペーの事だろう。
それから作られる酒のことをメスカルといい、そのメスカルのうちテキーラという地名の場所で作られているものがその名の通りのテキーラ酒なのである。テキーラは地名なので、こちらの世界でもテキーラで通じているのは不思議ではある。
まあ、普通にそういう地名があるんだろうけれど、やはりこの世界は俺の世界と物凄く似ているらしい。
「そうですね、では荒々しき御仁方にはアクアビットを。それとウイスキー・ソーダを私とあなたに。ご一緒願えるかしら」
「喜んで」
「ああ、そうでした。私の連れの方にはシードルかワインを。余り酔いが回っては困りますから」
「ああん?ワインなんて水だろうが!!スピリッツを呑んでこそ男よ!!」
「お、それには賛成だな。だがまあ、うちらも仕事あるんでね、また今度だ兄弟」
「………え。そうか、私は強い酒の方が好みなのだが………そうか………」
「おい学院長」
剣の柄尻で脇腹をつつかれているシルラーズさんはさておき、これで一件落着かな。少しばかりお金は飛びましたが、些細な問題です。命には代えられないからね。この場合の命は俺達じゃないけどね。
因みにウイスキー・ソーダはハイボールと同じである。この酒場のマスターがお酒の誘いを断らない方で助かりました。
………ああ、俺は飲酒は一応可能である。何せこの身体は既に年齢という概念から逸脱しているからね。
「水蓮、落ち着きなさい」
「………ふん」
ああまったく。危なかったよ、本当に。
―――ミールちゃんよりも、シルラーズさんよりも。影の中に潜む水蓮の方がいつ暴発してもおかしくない状況だったから。
今でもあまり人のことを好いていない水蓮。命を奪うことそのものを忌避していない荒くれものの御仁たちを相手取るとなったら、問答無用で殺しにかかるだろう。
この宿の中が血塗れになるような事態は流石に避けたい。目立つし、なによりこの仔が人を傷をつけるのは善い事ではないから。
「では、美しき姫君からの寵愛です。アクアビット、妄想と創造に飲まれぬようご注意を」
「ハッハァ!!!そりゃカクテルの言葉だろうが!!!」
「あら。では命の水を飲んで長生きを―――なんて、言葉をかけるべきでしょうか。ふふふ、恐れ知らずの皆様に?」
「………こりゃあ一本取られたなァ。確かに、俺達にはアクアビットの名の由来は似合わんか」
カクテル、アクアビット・カイピリーニャ。酒言葉は妄想と創造の世界の革命家。
そしてアクアビット………古く命の水を表す言葉。酒は長寿の源と。そう扱われて久しいけれど、その由来こそが命の水として扱われた事に依る。
飲めば老いを克服できると。けれど、彼らは今を生きるために酒を嗜むのだ。マスターがカクテルの方の言葉を選んだのは、随分とセンスがあると思う。
アクアビットの瓶が酒場中のテーブルの上を渡り歩き、なみなみ注がれたそれが一口一気に飲み干される。それをしり目にフランダール会長やキール君、ミールちゃんにシルラーズさん。それから引き続き護衛をしてくれている方々にお酒が出れば、漸く一息付ける程度に落ち着いた。
………後方で何人か潰れている気もするけれど。後で二日酔いを抑えるおまじないでもかけてあげましょう。
「麗しき姫君………感謝を、乾杯」
「ええ。乾杯」
薄く高価なグラスに注がれた、炭酸の音響かせるウイスキー・ソーダ。それを軽く合わせて、口元へ。
喉を鳴らして唇を潤せば………さて。そろそろお話を聞くとしましょうか。
「キール君。それでは、説明をお願いしてもよろしいかしら」
マスターはお酒を片手に静かに離れる。我関知せず、ということだろう、流石というべきか。
首を傾げながらキール君に問いかければ、周りの光景をじっと眺めていたキール君が俺を見て、口を開いた。
「ああ。………このグレミアの街一番の宿。そこにはどうやら―――出るらしいんだよ」