街の外
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「イブ姫、そんなに窓の外が気になるか?」
「そうね。前に出た時は線路を少しだけ走って終わりだったから。こうやって街の外に出られるというのは、感慨深いわ」
と。そんな風に御者台に座るシルラーズさんに問いかけられるほどに、俺はずっと馬車の窓の外を眺めていた。ぼかし付きの硝子がはめ込まれた窓だけれど、換気用なのか上部にずらすことが出来るので現在は開放してある。
なぜって、勿論俺が窓の外を見たいからです、はい。安全のために渋られるかなぁと思ったけれど、逆にカバーを纏っているときはカバーの姿を印象付けさせるためにも過度な誇示以外は許されるみたい。
この世界だとまだカメラとかはないからね。映像に残されて後々調べ上げられる、という事にはならないのが便利なような、生活からすれば不便なような。
魔術師とかだったら道具と魔術を使えば似たことは出来るけれど、コストに見合うかどうかは別問題。シルラーズさん並の技量があればそりゃ、そういうのも量産できるだろうけれど、それでも結局触媒に対する値段は変わらないんだよね。
「フランダール会長たちはすぐ前の馬車だったかしら」
「そうだ。前列と後列は護衛が控えている。私たちは馬車列の中団後方であり、最も安全な場所だな。逆にフランダール会長たちは最も指示がしやすい場所にいる」
隊商もかくや………というかフランダール会長の本職は隊商の運用と、他の隊商の護衛請負………という体で進む、俺を守護する一団は馬車八台からなる構成だ。隊商というものは場合によっては荷馬車数十体規模に膨らむこともあるが、それらは天下に名を轟かせる大商人による呼びかけや、遠征をしたい遍歴商人が多数集まって構成される者なので、個人の輸送のために八台というのはかなり多い部類である。
当然、貴族の護衛となれば護衛騎士だけで数百人規模になることもあるけど、それは特例中の特例。なお、カーヴィラの街では騎士が許可なく往来すれば国際問題になりかねないらしい。まあ、そもそもとしてこの街の周辺では広い街道というのはあまりなく、大規模な騎士団や隊商は通行しにくい欠点があったりするんだけれど。
そもそも、そのための輸送路としての鉄道網なのである。
さて、フランダール会長とその連れの少年が乗った馬車が指示を出しながら細い街道を進むわけだが、隣は線路に近く、列車が通るたびに風が肌を撫でていく。分かってはいたけれど、往来数が多いんだよね。カーヴィラの街の交通手段の大部分を占めているので当然のことではあるけれど。
「鉄の匂いばかりだ。嫌になるな」
影が歪み、波打って。
その中から水蓮が飛び出してきた。勿論人型、格好はミールちゃんを真似たのか侍女服に近かった。ふわりと浮かぶと、そのまま対面に座る水蓮。
………というかこの感じだと、クラシックスタイルのメイド長といいますか。似合っているけれど、水蓮がメイドしている光景はあまりに想像がつかなくてちょっと混乱した。
ところでだ。鉄の匂いっていうのは、まあ分かるよ。
「中団の馬車二台以外は殆どが護衛の馬車だからな。勿論、食料を詰め込んである馬車もあるが」
そう答えるのはミールちゃん。多分、この子の頭の中には既に隊商の構造と戦力バランス、攻め込まれた時の対処法が並んでいるんだろう。
小刻みに周囲警戒を行い、集中を切らしていないのがその証拠。しかもその時に隊商内の特定の箇所に必ず視線を送るし、騎士としてのミールちゃんの事を話には聞いていたけれど、本当にすごいんだなぁって改めて思いました。
「人間は人間を殺す生き物だ。そして、そのために鉄を用いる。こればかりは、死なないために必要なのだ」
「我らも同胞と争うことは稀にある。だが、人間ほど常日頃から争い続けている生き物はいない。何故、お前たちは殺戮しなければ気が済まないのだ?」
「別に殺すのが趣味という訳ではないが………む、そういえばそんなに難しいこと考えたことがないな………」
ミールちゃんの場合、武力を保持するのも行使するのも、そんな難しい理由じゃないでしょう?
「水蓮。ミールは、単純に身の回りの大事な人を守りたいだけよ。それが、ミールが武器を持つ理由」
けれど、と前置きをして立ち上がり、水蓮の口元に指を一本、優しく当てた。
「人の戦う理由は、人の数だけあるのよ。人のためと言ったって、子供のためだったり恋人のためだったり。利権というものが生まれれば土地のために戦う者、お金のために戦うものもいるわ。皆がそれぞれ争う理由を持ち、その理由が複雑に絡み合っていく―――でも、この気持ち自体は貴女にだってわかるでしょう?」
君も、子供のために怒り、狂ったことがあるのだから。
「………人は数が多すぎる」
「そうね。それは否定しないわ」
人の歴史は戦争の歴史とは良く言ったもので。人が増えすぎたからこそ戦争が起きるのかもしれないけれど、人が増えなければ人は発展できない。なんとも困ったジレンマである。
「私は戦争に介入するつもりはないわ。善悪も定義するつもりもない。だからこの話はお終い、いいかしら?」
「………慣れないな、その口調」
「放っておいて」
マツリと、名前で呼ばないでいてくれているあたり、水蓮も俺の事情をきちんと理解してくれているんだなって。
座席に座りなおすと、鼻先に雨の香りが漂ってきたのに気が付いた。本来、西洋世界に梅雨という概念はないけれど、カーヴィラの街は日本ほどじゃないけれど若干の四季がある。そして、梅雨もある。
恐らくは梅雨前線という気象によるものではなくて、神々が住まう連峰やあちらさんたちが多くいるという環境が独自の気候を作り上げているんだろう。実際、カーヴィラの街からほど近い国家には梅雨という概念がないらしいし。
そして、今はもう六月。時期的に梅雨に入る頃合いなのである。なので雨の匂いがするのは普通のことだ。うん、とはいえ雨模様を歓迎はしないけれど。
「ああ。一雨、来そうですね。季節ですもの、当然かしら」
「………次の街までは遠い。体を冷やすなよ、イブ。長旅で体調を崩すと、復調するのは難しい。カーヴィラの街から離れれば梅雨という気候は確かに無くなるが、それでも雨は普通に降る」
「そうよね、気を付けないと。ありがとう、ミール」
長い旅路において無理をしないことは、己の命を守るために大切なことだ。
今回の大規模な馬車などを持った状態での移動ならばいざ知らず、個人による旅で体調を崩せばそれだけで詰みである。看病してくれる人も体を癒す場所もないのだから、ね。
無論のこと、今回みたいな沢山の人がいる場合でも、その人たちにうつしたりと風邪は厄介極まりないものなのだ。風邪は万病のもと、気を付けるに越したことはない。
ま、俺は体質的に風邪ひくことは少ないんだけれど。
「でも、他の人に風邪のリスクを背負わせるわけには行かないものね。窓は、閉じないと駄目かしら」
冷気と湿気を増した空気を一息吸い込むと、窓を閉じる。
最後に見えたのは、岐路を迎えた線路の姿。カーヴィラの街は気が付けば、随分と遠くになっていた。