出立前日
***
さてさて、そんな訳でお泊り会も終わりまして、そのお泊り会でアドバイスされた揃えるものを揃えた後、気が付けば明日には出発という時期になっていた。
一週間なんてそんなものだよね、気が付いたら終わっているものである。
準備も終わっているので今日は朝起きてもどこかに出かけるとかはなく、俺たちは朝食を食べたらリビングでだらだらとお話をしていた。
「明日の十時には出発かー」
「お前、服の中に幾つ薬草を詰め込んでいるんだ。邪魔だろう」
「触媒だもの、多いほうがいいに決まってるでしょ?」
一応魔法を用いた戦いも出来る程度に触媒を用意する。俺の魔法は薬草魔法で、薬草の香りをベースにしているから魔力でごり押せば薬草を持ち運ばなくても大規模なものから効能の高いものまで一応自由自在に仕える。
だけど、そういうのって疲れるし効率的じゃない。魔力を大放出すればその分この肉体も傷つく。治るにしても、そもそもが家庭教師役である俺が倒れてしまっては元も子もないからね。
そういう意味で、きちんと触媒を用意するのは大事なことなのだ。………普通の魔法使いや魔術師はそもそも触媒なしで魔法を使うこと自体が少ないという突っ込みは放置いたします。半分以上人間ではない俺だからこそできる力技っていうのは、沢山あるのだ。
「代わりに鞄の方は小さくまとまってるからいいんだよ」
「最初はたくさん詰まっていただろう」
「………だってぇ、多いと盗まれるだけっていうからぁ」
そう聞けば納得するけれど。沢山の荷物を持っている人なんて、盗人からすれば格好の獲物だよね。一つ二つ盗まれても総重量が多いから気が付けないし。
お金があれば荷物全部失っても何とかなるけれど、そもそもお金の代わりに質に入れられる高価な物を持ち運ぶという事もよくあるので、物を盗まれるのって意外と致命的だったりする。
人によっては身ぐるみ全部はがされてもいいように、服の裏側に宝石を縫い付けるとかで一文無しになっても生きていけるようにしている人もいるらしい。ま、大体はその場合だと命があるかどうかの瀬戸際だから、折角のお金代わりの宝石もまさに宝の持ち腐れになってしまうようだけれど。
そんな訳で俺の荷物はどんどん最低限に減らされ、旅用の食器類や革製の水筒………というより水袋………に雨除けの外套、数着の替え下着という状態になっている。
ミールちゃんに無理やり持たされた短剣は腰につけております。あちらさんは鉄が苦手なので、その匂いが飛び散らないように革の鞘の周囲にタイムの枝を巻き付けてある。魔法使いも儀礼用に短剣は持つけれど、実はあれは魔女術からの流用で、俺が元居た世界だと短剣を儀礼で用いるのは十九世紀のアレイスター・クロウリーを始めとした黄金の夜明け団からなる近代魔術の分野が多い。
十九世紀―――古い神秘は殆ど死に絶えてしまった世界だ。この世界ではまだ生き残っている魔法使いはあちらでは殆ど存在していなかったのだろう。あっちだと、俺は一般人そのものなのでその世界の秘密とでもいうべきものには決して気が付くことはなかったのだろうけれど。
話が飛んだかな。まあ、魔法使いはあまり短剣を使わないってことだ。俺のように薬草魔法を用いるものであれば尚更に。鉄製以外なら使うけどね?
例えば………黄金製とか。そんなもの持ち運べるわけもないし、俺の持ち物でもないので勝手に家の外に出せないけど。あれは、オネイルズの持ち物だから。
なお、ケルトの秘術だとヤドリギを収穫するときに黄金の鎌を使う。
「………ん。プーカが来たかな?」
「邪魔をする。留守を守りに来た」
「窓からかー、予想外だったよ。あはは、窓開けるね」
鷹の姿で家の一階にやってきたプーカ。匂いがしたので分かったのです、はい。
ということで窓を開けて中に招待すると、即座に人の姿に変じる。耳からはロバの耳がちょこんと飛び出ているのが、相変わらず可愛い。
「ようこそ!ミルクティーでも飲む?」
「珈琲で良い」
「あらま、プーカみたいな古のあちらさんも珈琲飲むんだね」
珈琲は、通常コーヒーベルトと呼ばれる特定の地域のみで栽培される嗜好品だ。
この世界は俺のいた世界とは違うけれど、普通に球体の惑星なので赤道とか緯度経度の概念はあり(定着しているかは別として)気候帯も勿論分かれている。
そういった経緯から魔法やら魔術を馬鹿みたいに使用しない限りは基本的に珈琲栽培が可能な場所は限られるし、当然地球で言えば西洋ヨーロッパ周辺に位置するこのカーヴィラの街では珈琲は栽培できない。
なので、ずっと前からこの妖精の森に住むプーカは、最近よく出回り始めた珈琲とは縁遠い存在かと思っていたんだけれど。
「飲む。我も本当に昔は世界中を歩んでいたこともある。旅を続けていたわけではないが」
「一旦出かけてまた戻ってって感じ?」
「うむ。混沌が世を覆う時代、人や同胞を守るため飛び回る必要があった」
「………お前の全盛期には、魔術師もそこまで多くはなかったからか」
「そうだ。魔術師は業が深く、ろくでなしばかりで我らを傷つけ、我らの住まう森にすら手を出すが………それでも、魔術師は人を守護する者という側面もある」
「散々な言われようだなぁ、魔術師たち」
一人の魔術師の暴走が魔術師全体の評価を下げる例である。
………一人だけじゃないんだけどね。魔術師は千差万別、良い魔術師から悪い魔術師まで沢山いるからね。それに関しては魔法使いもそうだし、普通の人だってそうだけれど魔法使いは数が少ないし、一般人はあちらさん相手にはあまり手を出せない。
そうなると力があって魔法使いよりは数の多い魔術師の暴走が目立つってことだ。その代わりあちらさんたちではどうしようもない、というかどうするつもりもない霊脈の管理や土地の暴走を抑えてもいるから、利することもたくさんあるんだけどねぇ。
土地を管理する魔術師がいなかったら、世界にはもっと多くの怪異と災害が溢れることになる。あちらさんは自然の化身だから自然の暴力に何を思うこともないけれど、人間はそうはいかないから。
「我は人の子を守る役目を持つ。同胞を守る役目もだ」
「千夜の魔女と対峙したのはそのためか」
「そうとも。それだけではないが」
プーかは深くは語らない。俺も、今は聞くつもりもない。
俺は千夜さんの肉体を持っているけれど、だからといってこの仔たちは俺を千夜の魔女と同列に見ることはないだろう。あちらさんというのはそういうものたちだから。
きっと、この肉体に決着をつける必要が出た時に、プーカは古の記憶を語るのだと思う。
春の陽気は存外に体を温める。なので、と冷たくしたカフェラッテをプーカの前に差し出すと、両手で持って小さく口を当てて飲み始めた。
「うむ。美味だ」
「それは良かったよ」
「マツリ」
「ん、なぁに?」
「………改めて言おう。気をつけろ、そして、戻ってこい。良いな」
念押しするプーカ。という事は、普通にしていたら俺が戻ってこなくなる何かがあるという事なのだろう。
わざわざ前日にプーカが俺のもとを訪ねてきたのは、それを伝えるためだったのかもしれない。優しいね、君は。
「恩を返し終わってないもの。帰るよ、幸福な結末を引き連れて、ね」
「………うむ」
―――そうして、旅の幕は開かれるのだ。
彼の地、神凪の国へ向けて。