お風呂
………うん、お風呂?
少しの間言葉を反芻した後、そっと立ち上がる。
「………ちょっと急用を思い出したから帰」
「駄目ですよ?」
「食い気味に言わないで」
しかもがっちりと腕を掴んでいらっしゃるではないですか。
流石に騎士なだけあり、握力は結構強いので逃げ出すに逃げ出せない。それでもとミーアちゃんに静かな抵抗を見せていると、後ろからシンスちゃんが抱き着いてきた。
「いいじゃんいいじゃん―――ミーアって、基本は共用浴場入らないんだよ?多分、君のおかげで、君がいるから。信用されてるねぇ、マツリちゃん?」
「………俺が断れなくなる言葉、良く分かってきたよねシンスちゃんも」
小声でそう諭されてしまえば、強く断ることなどできはしない。ミーアちゃんの身体、特に血液は人やあちらさんにとって猛毒の呪いへと変じる。
彼女の呪いが効かないのは、家族を始めとした近親者やシルラーズさんのような魔力による防護がされている人、或いは俺のように彼女の呪いを上回る呪いの塊である存在だけだ。あくまでもこれは無意識に害さない範囲だけれど。
ミーアちゃんの事だ、きっと今までは他の人に被害が出ないようにずっと一人でお風呂に入っていたに違いない。しかも、湯船の水も最低限で、すぐに捨てるって感じだろう。………ま、仕方ないよね。抵抗を諦めて、ミーアちゃんの横に座る。
「あら。もう少し抵抗されるかと思っていました」
「偶にはね。………好きにして?」
「む。う。ん………」
ミーアちゃんの腕にしだれかかる。勿論ちょっとした意趣返しなので、見上げる形で半分ほど微笑みながら、だ。
………というか、本当に今更だけど。俺の背丈、かなり縮んでるんだなぁ。
頭身的には典型的日本人体型だった男の時の肉体よりも良くなっているのだが、それだと座高が当然下がっているので、椅子とか地面に座っても背が低くなったことを自覚するんだよね。
こうして、身体を寄せれば良く分かる。俺は頑張って背筋を伸ばしても、双子やシンスちゃん、水蓮を見上げる形にしかならない。
うん。小さいなぁ、俺。
「あら色っぽい。マツリちゃん、ああいう表情もできるんだね」
「あー。頬が赤らんでるのは酒のせいだろう、多分」
「………意外と、あいつは重要な時などで時節神秘的な顔や、蠱惑的な表情をするがな。大抵は無自覚だろうが、今回のは故意だ。助平め」
テーブルの向こう側で何かしら三人で話してますがよく聞こえないのでスルーします。誰が助平か。
「マツリさん」
「ん。なに?」
「こういうこと、他の人にしてないですよね」
「あはは、どうかなー」
悪戯ぽく笑うと、唇に手を当てて考えるふりをする。
ちょっと揶揄おうか、いつも俺のほうが遊ばれているからね。偶に、が一つだけでは勿体ないもの。もう一個くらい楽しんでもばちは当たらないでしょう。
………などと思っていたら、両手首を掴み取られて床に押し付けられた。はて。
「してないですよね。してたら、ふふふ………その男………」
「大丈夫、してないしてない!!ミーアちゃんだけだよ」
なんで男が候補に挙がってくるのかは分からないけれど。俺が男だったという事実、忘れておりませんか。
まあ、実際遠い過去になりつつあるのは確かなんだけどね。精神的にも肉体的にもどんどん離れているのだから。ああ、でも。
自分の身体に羞恥を感じることはなくなったけれど、それでも他の女性の身体を見ることにはまだまだ抵抗がある。性別的に考えれば問題はないっていうのは分かってるんだけど、どうにも悪いことをしているっていう認識が消えないのだ。
男性的精神構造の最後の砦が発揮されているのかもしれないね。
「という事で。ね、ミーアちゃん。前みたいに目隠しするから、エスコートお願いね」
「まだ恥ずかしさは抜けませんか?」
「俺が見たら悪いもの。ほら、ラッキー云々とか思う前にそういうのはこう、好きな人と、ね………」
「マツリ、お前貞操観念硬いな………同性でも忌避するのか」
「………べ、別にいいじゃない。緩いよりはましでしょう?」
この身体になる前、元は童貞でしたし………今も処女だけどさぁ。
「どうだろうな。旅をするならば、異性はともかくとして同性に身体を見られること、或いは見ることは慣れておいた方がいい。沐浴場所やら湯浴み出来る場所やらは限られている」
「そうだねぇ。温泉とか偶に旅していると見つけるけど、酷いときには混浴だし」
流石にそういうところはいろんな意味で危ないし入らないけどね、とシンスちゃんが笑っていた。
そうか、そういう考え方もあるのか。
うーん。俺の身体つきじゃ男ですって言い張るのもできないし、女湯に慣れておくのは意外に大事なことなのかもしれない。
「マツリさん。まずは、慣れるところからです。まだまだ、女性としては初心者ですものね」
「………分かったよ。お願いね」
「はいはーい、質問!女性として初心者ってどういうこと?そもそも、ずっと前から思ってたけど、なんでマツリちゃんって一人称俺なの?」
「あー。それはねぇ。………言っていいのかな?」
「シンスは口は硬い。それに、私たちや学院長だけでは手が回らない時もある。仲間に引き込んでいざという時に協力してもらうことは重要だと思うぞ。………ああ、学院長には私の方から言っておく」
それなら情報共有、やっておこうか。
とはいってもそこまで大仰な話ではないんだけどね。そう、だって単純に―――。
「………千夜の魔女に乗っ取られそうになって、肉体が変質したって………え、やばい!!!すごい!!!」
「シンス煩い」
「えー、だってさぁ。あの千夜の魔女だよ?魂だけとはいえ、出会って生きてたなんてすごいことじゃん。肉体が滅びても、この世のを彷徨い続けるっていうとんでもない呪いなんでしょ?」
この世界で千夜の魔女という存在は、特殊だ。立ち位置的には魔王とかそういう形の物なのである。
なので、シンスちゃんみたいに俺を見て目を輝かせるのはちょっと珍しいタイプなんだよね。でもまあシンスちゃんだし………なんとなく、伝えても怖がられないだろうなとは思っていた。なにせ幼き日のミーアちゃんの手を取った子だもの。
「一番驚いたのは、元男ってことだけどね。ほうほう………男だったにしては、いいものをお持ちで………」
「目線いやらしいよシンスちゃん」
「えへへ、だってものすっごく大きいし、埋もれたら気持ちいだろうなぁっていつも思ってたんだけどね?」
「あっても不便なだけだっていう事実は声を大にして言いたい。大きければ完璧ってわけじゃないんだよ、大事なのはバランスなんだよ」
体に合う下着を見つけるですら一苦労なんだから。この辺りの苦労はついて回るってしっかり理解してほしい。
「ふふ。もぎ取ってあげましょうか」
「物騒!!」
「おい、人の寮というやつには設備使用に時間が決まっているのではないのか?雑談していていいのか」
「………あ」
あちらさんである水蓮に言われて気が付く。時計を見ればもういい時間だった。
「急ぎましょう。入ってしまえばこちらのものです」
「意外とルールの扱い雑だねミーアちゃん!」
「お風呂だお風呂だー!!」
着替えを持って飛び出すと、みんなでお風呂に向かって走る………わけには行かないので、早歩きをする。
桶にタオル、下着という旅館スタイルだね。桶はどこの時代にもあって便利に使えるから助かります。おや、と後ろを振り返ると、ゆっくり歩いていた水蓮とミールちゃんと目が合った。
ミールちゃんの目元はとても和らいでいて。ああ、そうか。ミーアちゃんを見ていたのか。楽しそうに、年頃の少女らしくなったミーアちゃんを。
「ありがとな、マツリ」
「ううん。良かったね」
彼女に近づくと背伸びをして、そっとその頭を撫でた。そして、ゆっくりと笑みを浮かべる。本当に、君はお姉ちゃんだね。えらいえらい。
「………ほら、ミール。見てみろ、先ほどと似た笑みだろう?」
「そうだな。大人の女性の微笑みだ」
「ん。なにが?」
「なんでもない、行くぞ」
「うん。分かった」
結局最後尾を歩きつつ、お風呂場へと向かう。何を話していたかは分からないけれど、まあいいか。
それよりも水蓮とミールちゃん、結構気が合うんだね。仲がいいのはいいことだ、うんうん。