眠り薔薇
この時代、壮麗な建物というのは基本的に内部空間は均等に、そして左右対称に作られることが多い。
ミーアちゃんが呼ぶ、”眠り薔薇”でも外観通りに建物の内装は一片のずれもなく、几帳面なほどの対称さを示していた。
内装の壁面は漆喰の白壁だ。外壁は石煉瓦作りだったけれど、その石がそのままむき出しというわけではないらしい。当たり前か、寮だもんね。牢獄ではないのだ、壁面の柔らかさは印象的に大事である。
故に、しっかりと作りこまれていて当然だ。いい生活が出来なければ、ほら。やりがいとかそういう物なんて生まれようもないし。親衛騎士が劣悪な環境で寝泊まりしていたら誰も有事の際に主を守ろうとしないからね。
こういった部分にしっかりと気を配っているのは、いい主君の証だよ。ま、より正確に言えばやりがいってホーソン実験が示すように必要なものではあるけれど、それだけしか用意しなければ呪いをかけたような感情論の一種類に変質するから、その場合は効果が出るのは一瞬だけ。
まさに魔法のような儚いものといえるだろうけど。おっと、話が飛んだかな。
「隅に一切汚れがない………凄いなぁ。俺はそこまで掃除の手が回らないや」
「”眠り薔薇”では掃除は当番制ですが、時にはここにカーミラ様が訪れますので、掃除に手を抜くことは出来ません。ある意味では仕事そのものですね」
「大変そうだなぁ。寮生活の難点、なのかな」
共同生活である以上、やらないといけないも多々あるし、出来ないこともある。
逆に独り暮らしは気が楽だけど、人手が足りない時もあるし思わず面倒くさがってやらないといけないことを放置できてしまう。叱る人も注意してくれる人もいなければ、どうしても怠けちゃうのは人間だけじゃなくて、生物全般の本能だからね。
楽をしようっていうのは、種を保存する上で大事ですから。全ては余力主義だよ、うん。それだけに任せることは出来ないけれど。
「そうでもありませんよ。交代制ですから。これだけの人数で持ち回れば、融通も利きますし、自由も多いです」
「そっか。それなら………うん。楽しそうだね」
俺は寮生活をしたことがない。この世界に来てからは最初の方はアストラル学院の病室に止まってて、家を手に入れてからは一人暮らしだ。
だから正直に言えば、興味があるんだよね。寮生活ってやつに。
あ、この際乙女の園に元男の俺が紛れ込んでいるという事実は忘れます。身体は女性だもの、間違いはそんなに起こらないさ。というか自制します。その程度の自制心は、魔法使いですから。
あるんですよ、はい。当然です。
やろうと思えば際限なく魔力で現象を発生させられるからこそ、魔法使いは過度な干渉や外科的治療と呼ぶべき強引な解決を忌避する。あくまでも人がどう成長するか、どう変わるか。それが主軸なのだ。
「ここはエントランスですが、ここから抜けた奥に食堂もあります。部屋に備え付けの焜炉がある部屋もありますが、勿論のこと設備はこちらの方がいいですね。お風呂等もこのエントランスの通路から繋がっています」
「基本的にここが起点になってるってことかな」
「はい。右通路の方も左通路の方も、ここなら同じ距離ですから」
合理性が垣間見えた。美しいのは勿論のこと、美しいだけじゃなくて実用性もあるってことだろう。
騎士団の寮に相応しい設計構想である。親衛騎士とは警察機構に近いと先ほど言っていた通り、何か問題があれば非番であってもすぐさま飛び出す必要がある訳で。距離の差があまりに開けていると、集まるにも手間がかかる。
手間がかかれば時間がかかるからね。時間っていうのは大抵の場合有限だもの、無駄にしないために設計段階から効率を求め、無駄を省くのは理に適っている。
「私たちの部屋は、湯船のスペース等も考えて西側の最奥です。二人部屋なので、他の部屋に比べれば多少ですが広く、炊事場も大きく作られています」
「つまり、家事が出来るわけだね」
「はい。私の場合は食堂に行くのではなく、自室で食事を作り、食べることが多いです。姉さんは食堂利用と半々くらいですけど」
「………お前、もっと同僚と接した方がいいのではないか?」
騎士の寮という環境、騒ぎを起こさないためにはあまり人目に触れるのも困る、ということで俺の影の中に避難している水蓮がぼやいた。
「事情がありましたので。………今は、少しずつですが、改善しようと努力しています」
「マツリを見習え。馬鹿みたいに他人にずかずかと踏み込むさまは、学べるところも多いだろう」
「え。言いぐさがひどい………」
「あら。水連さん、分かっていませんね。マツリさんは本当に踏み込んでほしいところは、最後の最後まで踏み越えないんですよ。ええ、チキンです。焼き鳥です」
「え。チ、チキン………?」
注意はしているのに水蓮には踏み込みすぎだと怒られて、ミーアちゃんには遠いと怒られるのか………。いや、あちらさんの感性の場合はそもそも覗き見とか、人に勝手に知られることとか嫌う質があるけれど。
それにしたって、酷いのでは。自覚、ないわけではないけどさ。でも、過度に心を傷つけないようにって、頑張って気を付けてはいたんですよ?
「ふふ。冗談です。ああ、でもチキンっていうの半分程度は正しいです。マツリさん、人と距離置こうとするときありますよね」
「肉体は千夜の魔女だもの。気は使うよ」
「………似合いませんよ。マツリさんは、人と接してこそですから。人に遠慮して、本来のあり方を否定するのでは、いずれか双方傷を負うかもしれません。どうか、覚えておいてください」
「ん。うん、分かった」
それは一面の真実な気がしたので、素直にうなずく。
俺が傷を負う分にはいいんだけどね、ある程度は直るし、メンタルは弱くない自覚がある。
だけど、他人を傷つけるのはだめだ。それは俺が俺である理由として成り立たなくなる。人を慈しみ、見守るのが俺の大局的な趣味になりつつありますので。
そんなことを話していたら、建物の西側の端の部屋まで俺たちは到着していた。
「こちらが私たちの部屋です。トイレに関しては残念ながらユニットバスなので、そこはある程度お気を付けを」
「私は便意など持たないが」
「そういえば、俺も実は最近、殆どそういう人間的な排泄とか少なくなっちゃったなぁ」
前の事件でより人外に近づいた結果だろう。いやこんなところで思い知るのって微妙すぎるような。
「………羨ましい限りです。便秘とか、ないのでしょうね」
「あはは………うん、ないです」
女性はそういうの大変だって聞くけれど、俺は肉体的理由でそれを味わうことはなかった。
今となっては同じ女性なのに、なんというか………ごめんなさい?
「ふぅ。まあいいです。それよりも早く部屋へ。奥から姉さんの呻き声が聞こえてきますから」
「ああー………ごめんね、ミールちゃん………」