お泊りのお誘い
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とはいえ。
妖精の森を歩いてプーカに会い、戻ってしまえばもう既に時刻は夕方だ。シルラーズさんと依頼についての話もしていたわけだから、時間が無いのは当然かもしれない。
「そもそも、俺の家から街に行くのってそれ自体が時間かかるからね」
街のはずれのさらにはずれ、と。まあ表現するならばこんな感じだろう。
それだけ遠くにあるということは俺という存在を秘匿するならば好条件だけど、依頼する側からしてみればちょっと厄介ではあるよね。そんな中でも依頼をしてきてくれるお客様には感謝しております、はい。
この時代の人たちは一日に二十キロ程度は普通に歩けるというから、苦痛ではないのかもしれないけど、歩けることと歩きたいかどうかはまた別問題だからね。
………ま。俺はこの家が好きだから、便利さを求めて移り住むつもりはないんだけどね。
「さて」
妖精の森の入り口を抜け、家の玄関………裏口の方………に立つ。鍵を取り出し、扉を開けようとして―――おや?
鼻先を動かす。相変わらずの消毒液の香りを纏う彼女、つまりはミーアちゃんが向こうの表玄関にいるのが分かった。
裏口から入るのをやめて、家を一周ぐるりと回っていけば、侍女服にも似た騎士団の装いを着こなしたミーアちゃんが一人、立っていた。手を振りながら声をかける。
「や、ミーアちゃん。どうしたの?」
「マツリさん。………学院長から依頼を受けたと聞きまして」
「心配してきてくれたの?あはは、ありがと」
「それもですが―――単純に、旅の準備を手伝ってやれ、と言われたので。マツリさん、いろいろと知識を持っていますが実際にこの世界を旅するのは初めてですよね」
あら、流石シルラーズさん。仕事がはやい。
「うん、そうだよ」
「ならば気を付けること、持っていたほうがいいもの、隠すべきもの………しっかりと教えますから」
それは、ああ。もの凄く助かる。魔女の知識によって俺は段々とこの世界の事、この世界の神秘の事、或いは前の世界からつながる常識まで多くのことを情報として理解できているけれど、それは見分によるものではない。
つまり経験してはいないわけだ。そうなると、持っている知識を生かせるかどうかという点では首を傾ぐような状況になる。
とりあえず知っておく、っていうのはいいことだけど、真に知識を智慧としたいならば、使いこなさないといけない。
そのためには、知識の実践と経験からの学習を経たほうがいいっていうのは基本的なことだよね。ああ、うん。極一部の天才、或いは賢者においては経験しなくても歴史から学ぶらしいけどね。ビスマルクさん曰くってやつだ。
………そこまで考えて、はてと首を揺らす。
「………あれ?でも、ミーアちゃんって街を出た回数、そこまで多いんだっけ?この街の親衛騎士だよね?」
「実を言えば、私はあまり旅の経験はありません。マツリさんから頂いた、この呪いを抑えるブレスレットがあればこそ、人と安心して触れ合えますが―――以前の学院長お手製の手袋では、気分次第では毒が染みてしまいますので。そんな危険な状態で街を出ることなんてできません」
両手首を俺に見せるミーアちゃん。そこには、確かに俺が渡したブレスレットがしっかりと巻かれていた。
ミーアちゃんの身体はとある理由によってあちらさんと人間に対して猛毒となる性質を持っている。あのブレスレットはそれ抑え、制御するためのある意味では杖のような物なのだ。
「なので、私だけではなく頻繁に街の外に出る姉さんにも手伝ってもらいます」
「あ、成程。ミールちゃんは出張にもよく行ってるもんね」
「はい。護衛だったり遠征だったり、引っ張りだこです」
ミーアちゃんの双子の姉のミールちゃんは、騎士団随一の剣術の達人だ。うん、多分戦闘に特化した秘術を扱う魔術師相手でも、決して引けを取らない腕前だろうね。
だからこそというべきか。シルラーズさんだったり、ほかの理由だったりでミールちゃんはよく街の外で仕事をしている。
水蓮の時も、ミールちゃんは水蓮が襲われた理由の調査を行うシルラーズさんの護衛役として一緒に出かけていた。とはいえ、基本的には街で暮らしているのは間違いないんだけどね。
「ということで、今日は私たちの住んでいる騎士寮に泊まりませんか?」
「うん?」
「俗に言う外泊です。ちなみにカーミラ様と団長には既に許可をいただいております」
それって普通に拒否権ないよね。街の長とその守護者に既に許可を出されているって、泊まらないと逆に失礼に当たるよね?
「えっと、ちなみになんで?」
「二つあります。一つは準備するなら早いほうがいいからという理由です。一週間という時間はあまり長いとは言えませんから」
「もう一つは?」
「………私は、街を出れませんから。長く会えなくなる分、マツリさんと一緒に居たいんです」
「そっか。分かった、泊まらせてもらうよ」
深くうなずき、納得する。そりゃあ親友を悲しませちゃいけないよね。でもその前に、持っていくものはしっかりと用意しないと。
ミーアちゃんの手を取りつつ鍵を開けて家の中へと。
「下着とパジャマは必須だよね。あとは何をもっていけばいいかな?」
「日用品の類を。マツリさんは自身の髪の扱いが雑ですから、きちんと櫛も持って行かないとですよ」
髪の手入れはどうにも、ねぇ………。
こればかりは長いせいで大変なのは事実だった。毛量も多いため洗髪もお風呂上がりの手入れも本当に時間がかかるのだ。魔法使いの家という事で水は潤沢に使えるから、生活環境としてはとても恵まれているんだけどね。
これだけ長い髪をそのままにしておけるという時点で、幾ら魔法や魔術があるこの世界でも相当いい暮らしが出来ている証拠である。
「あとは、ムダ毛処理の道具………は、マツリさんには不要ですね。羨ましいことです………」
「えー、うーん。うん………」
ええ、まあ、はい。
俺の身体は、そういうのあんまり生えてこないからね。あんまりどころじゃないよ、つるっつるだよ。
それに関してはあまり深く話したくはないので、そっと目線を逸らす。ミーアちゃんもそれに関しては同じようで、こほんと咳払いをした後、気を取り直すとほかに必要な道具類を述べ、羊皮紙に書き込んでいく。
「魔法で代用できることもありますから、それらは割愛します。旅先ではある程度、自身の健康のためにも魔法は使うべきです」
「ん。まあ、怪我したり病気になったりしたら逆に迷惑かけるもんね」
人を治すこと、己の体調を管理すること。
魔法使いならそれは自然なことだ。だから、そのためなら魔法を使っても許容範囲内ではある。当然ながらあくまでも整えるだけで、悪性部分を魔法で強制切除するというのはやりすぎだけどね。
簡単な魔法を込めた、身体に良いハーブティーをいつも飲むくらいなら―――まあ、アリだろう。
「帽子は魔法使い帽子があるのでいいとして………それでも女性ですからね。顔を隠すための外套はあったほうがいいでしょう。それから水筒、緊急時の調理用鍋、靴はともかく、着衣に関しては足元はもっと動きやすいものを選んだほうがいいと思います」
「そっか。スカートだと確かに危ないよね」
今の俺が愛用しているのは、ある程度動きやすさは確保しているにしてもあまり強度は期待できない薄手のスカートだ。靴に関しては頑丈な森歩きもできる革製のブーツだけど、膝の周辺は素肌が出ている。
旅をするならば少なくともタイツのようなものは履いて行くべきか。様々な理由があるが、素肌を晒している箇所はなるべく少なくするべきだからね。
「これ以上は姉さんに任せます。特に買い足さないといけないものに関しては姉さんのほうが詳しいので」
恐らく食料品とかについてだろう。シルラーズさんも一緒に行くというけれど、自分の面倒は自分で見ないとだからね。そういうこともしっかりと教えてもらおう。
………きっかけはなんにせよ、何事も経験だ。もしもこの先の人生、一人で旅をすることになればその準備は自分一人でやらなければならない。故に、どんなことでも知っておいたほうがいいのである。
ひとりで納得していると、足元からふわりと水蓮が飛び出してくる。ああ、姿は本体の方だ。
「遠縁。私に持ち物の助言はないのか?」
「………申し訳ありませんが、妖精である水蓮さんに私からアドバイスできることは、恐らくありません。何が不要で必要か、それすら分かりませんので」
「特にご飯が必須ってわけでもないからね、君」
「それを言うならお前も食わなくても生きていけるだろう」
人間的生活維持のためにもきちんと三食食べてますよ?
確かにやろうと思えば俺はもうご飯食べなくても生きていけるけど、そもそも食事は楽しむものだもの。必須かどうかだけでは選ばないのです、ええ。
「お二人とも、そこまでです。そろそろ街に向かわないと夜になってしまいますよ」
「ん。そうだね。まあ夜歩くのもそれはそれで気持ちいいけどね」
「同感だ」
「いえ、私も同意はしますが姉さんが夕飯を待っていますので」
あ、それは急いで帰ってあげないと可哀そうだ。
金属音を鳴らし、鍵を閉める。一言二言呟いて、簡単なおまじないをかければ簡素ながらも結界が完成だ。プーカが家を守ってくれるのは一週間後だからね。
一応、それまでは自分で守護します。この街の圏内なら何かあれば文字通り飛んでこれるから、ここまで気を張らなくてもいいんだけど、これは習慣づけしているので。家を守るのは家主の義務だから。
………さて。
「準備いいよ。それじゃ、行こうか」
「はい。行きましょう」
ミーアちゃんと二人、肩を並べる。さらに、音もなく隣に人の姿の水蓮が現れれば………いや、この子ちょっと浮かんでるけど………三人での道程だ。
手には荷物が入った旅行鞄を持って、三人分の髪が風に揺れて。
陽が沈みかけた茜の空の下をゆっくりと歩いていく。