プーカの庭
***
「いやー、いい天気だねぇ、水蓮」
「頭上はほとんど葉で隠れているだろうが」
「いやいや。雨の日と晴れの日じゃ匂いが違うし、分かるよ。それに木漏れ日は降り注いでるでしょ?」
場所は変わって俺たちはあちらさんの多く住まう、妖精の森へとやってきていた。
忘れちゃいけないことだけど、普通は皆の事を妖精と呼んではいけないよ。それは人間に対して「おい人間」と話しかけているようなものなので、まあ立場を変えればいい気分はしないよね。
でも妖精の森という呼称に関しては土地に対する呼び名で、あちらさんの領域という意味を持っているため皆も怒ったりはしない。
そういう意味以外で彼らを”妖精”と呼称するなら要注意だ。どんな悪戯をされるか分かったものじゃないからね。
「マツリだー!」
「マツリマツリ!!」「なにしにきたのー?」
「プーカに会いにね。ちょっと出かけるから、留守を頼もうかと思って」
人の手が入らない古からの森の土を踏みしめつつ歩いていると、ふわりふわりと中空を漂うピクシーたちが現れた。
この子たちは群体なので個という概念は少ないけれど、それでも多少顔立ちとか性格は違う。それを鑑みると、実際に俺があったことのあるピクシーたちではなさそうだ。
つまり初めましてのピクシーだね。おしゃべり好きでいたずら好きなこの子たちは好奇心も旺盛で、一番人と接しているあちらさんと言い換えてもいい。
また群体であるという性質上、具体的な手段は分からないけれど情報がピクシー同士で繋がっていて、何かを訪ねると意外と答えが返ってくるのだ。
うん、まあ。間違っていることも多いけどそれはご愛敬。
「プーカどこに居るか分かる?」
「どうだろー、わかる?」
「わかるー!」「あっちあっち!!」
「………どっちだ、ピクシー」
「あ!!アハ・イシカだ!!」「はじめてみたー!!」「うわさはかねがねー」
影の中から水蓮が現れると、若干ピクシーたちのテンションが上がる。元から高いけどね、割と。
まー、子供たちという表現がこれほど似合うあちらさんもいないでしょっていう存在だかららしいといえばその通り。
「もりのおくだよー」
「いずみのちかく」「わきみずあるところー」
「そっか。ありがとね、ピクシー」
「「「どういたしましてー!!」」」
森の奥で、湧水が出ている泉。さらにプーカがいるとなれば、濃密な魔力の気配もあるだろう。
それだけの情報があれば無作為に歩いていても、きっと香りで分かる。
ピクシーたちにお礼を言うと、大雑把にあたりをつけた方向へ歩き出した。嗅覚を頼りにして歩いていると、横で人の形態を取った水蓮が不思議そうに話しかけてきた。
「探知魔法でも使えばいいのではないのか」
「んー、出来なくはないけどちょっと疲れるからなぁ」
―――なにせこの森は、妖精の森なのだ。
この世界の大気に満ちる膨大な魔力、マナと呼ばれるそれは大多数をあちらさんが生み出している。
あちらさんが生きることで、世界に魔力が充填され、循環するのだ。当然そういうシステム上、あちらさんが多く住まう古い森や遺跡ほど、大量の魔力が漂っている。
魔力は世界を循環しているから魔力の濃い薄いはあれど、まったく存在しないという事は自然界では有り得ない。だけど環境によって差は生じて、それが人間の生活にも大きく影響を与えているのだ。
例えばだけど、魔力が多い場所と少ない場所では森林や作物の生育速度に差がある。速度だけじゃなくて実りの良さや果実の甘さなども微妙に違う。
草木も生き物だ、なので目で見える肥料といった物質的な要因以外………生育環境の魔力量もまた、育ち方の要素の一つになりえる。
さて、そんな大量の魔力が漂う空間となれば、探知系の魔法や魔術は使うことは容易くても、目的のものを見つけ出すのは重労働だ。基本、魔法での探知っていうのは髪をはじめとした体の一部を使った呪術的な物以外だと、ソナーによる探知に近いところがある。
アリアドネの糸を辿るようにはいかないのだ。ダウジングとかそういう系統だと本当に精度悪くなるからね。
「本気でやれば確かに見つけられるけど、友達の家を訪ねるのにそこまで全力で扉をたたかなくてもいいでしょう?」
「なるほど。一理あるか」
魔力量と方法で精度の悪さを吹き飛ばすことは可能だ。だけど力技は最後に必ず皺寄せがやってくる。取らなくていいなら取らないに限るんだよ、そういう手段ってやつはね。
「お?こっちかな」
感覚を頼りに、より森の深いほうへ。
不思議なものだ。同じ森でも街の東と北に跨る森林は古く鬱蒼と生い茂る森林を表す名前の通り”黒い森”と称され、陽の光もなかなか通らない暗い森となっているが、この妖精の森は森林の密度は同程度のはずなのに、葉が陽光を完全に遮ることはない。
森が深くなっても、暗くはならないのだ。あ、翠蓋の森は樹木の材質からして違うので考慮外です。あれはもう異界の一つと見なしていい規模だから。流石おじいちゃんの森だよね。
漂う香りもより深く。深緑に沈み込むように、重さを増した香りがやってきた。
きっとそろそろだろう。
「マツリ。水の音だ、近いぞ」
「うん」
水蓮に言われて耳を澄ませれば、確かに水の流れる幽かな音が。大地より湧き出た新鮮な水の息吹の気配が身体中を駆け巡る。
そして久しぶりの香りも、そこに。
「や。プーカ」
「マツリ。それから、眠っているお前を運んで以来だな。アハ・イシカの水蓮。よく来た」
「今日は黒山羊の姿か。お前たちの種族は本当に造形を選ばないな」
「我らは元よりそういう物だ。我に形の一つなど何の意味もなさない」
「そうか。前に世話になった」
「マツリの依頼、マツリの願う物。そして我の遠き同胞となれば助けぬ理由もない。気にするな」
初顔合わせとなった水蓮とプーカ………いやプーカは眠っている水蓮なら見たことあるけど………だけど、まあ知ってはいたけど同じ力あるあちらさん同士、相性は割といいのだろう。
仲がいい、といえるかは分からないけどね。うん、正直に言うと俺は徐々に人外に変質しつつ歩けれど、それでもまだあちらさんの機微を完全に理解しているわけじゃない。
感情という点において、人間とあちらさんは大きく違うから。捉え方も、感じ方も。
「それで。何の用だ」
「うん。ちょっと神凪の国に行くことになってね」
「神凪の国。ほう、妖の土地にか。懐かしいな」
「………来訪経験ありなの?」
「否。だが、住まうものと出会ったことがある」
神凪の国出身の人と知り合いってことか。
でもプーカが懐かしいなんて言うってことは、相当昔だよね。その人、今も生きているのだろうか。
まあそれはいいか。気にしても理解が及ばないと思うから。
「こほん。で、家を留守にしちゃうからさ、代わりに面倒を見てほしいんだよねぇ………」
「そこの水蓮は」
「私は一緒に行くつもりだ」
「そうか。マツリを頼む。そいつはどうも、危なっかしい。保護者として心配だ」
「あはは、心配かけてごめんね、お母様?」
小首を傾げて冗談交じりに言うと、目の前でプーカが姿を変える。
ぐにゃりと黒山羊の姿がゆがんだかと思うと、前にも見たことがある、緑の瞳と髪を持つ少女の姿へと切り替わっていた。
目の前に瞬間移動してきたプーカが手を伸ばすと、俺の頬に両手で触れてそのまま横にひっぱるって痛い痛い痛い!!!
「なにするのっ?!」
「………不満。危機があるならば、すぐに我を呼べ。いつでも手を貸すというのに」
「む。うん、ごめん。ありがと」
俺も手を伸ばすと、プーカの変身できていない耳に手を伸ばして優しく撫でた。古くから生きるこのあちらさんは、本当に心優しいと改めて思う。
「でも、意外と寂しがりやだよね痛い痛い痛い痛い引っ張らないで」
「餅のような頬だな。いいぞ、餅は。美味い。神凪の国の特産だ」
「米から作るというあれか。マツリの頬と同じ柔らかさ………興味があるな」
人の頬から餅を連想しないでください………太ってないからね?本当だよ?
「留守の件だが。了解した、お前の家は我が守ろう。その代わり、必ず帰ってこい」
「―――ん。任せて」
ようやく頬からプーカの手が離れる。今度は水蓮が手を伸ばしてきたけど、それとなく逃げました。残念そうな顔をしても頬は譲らないよ、顔は女の命なんだから。
………女性じゃないんですけどね?一応。
その後、出立するのは一週間であることとか注意点とか、認識に乖離を修正しつつ、最後に家の鍵を渡す。プーカは人と接することも多くて、人間というものを分かっているから殆ど注意することもなかったんだけどね。
「それじゃあ、お願いね、プーカ。お礼は帰ってきたらするよ。もしやってほしいことがあったら今のうちに考えておいてね」
「了解した。では、武運を」
「あはは、誰とも戦うつもりはないよ。あくまでも俺は家庭教師役なんだから」
「………さて。それはどうかな」
やめてよプーカが言うと冗談じゃなくなるでしょうが。若干、胸の中に一抹の不安が生まれつつも、プーカに対して手を振る。
「じゃあね」
「ああ。今度は普通に遊びに来い」
「そうするよ。でも、逆にプーカが来てもいいんだよ」
「考えておこう」
水蓮を伴って、プーカの住まうプーカの庭を後にする。
「………武運、かぁ」
今日は十一月一日ではないけれど、あのプーカならば未来を見通せていてもおかしくはない。
一応、気を引き締めておくだけはしないといけないかな。
………さて。留守は任せることが出来たとして、まだまだ準備は終わらない。
「水蓮、次の用意を済ませようか」
「ああ」
街を出るまで一週間だ、やることは多い。