伯爵夫人と騎士と商人
***
が、しかし。
歩き始めて早々、困った問題が発生した。
「はっはー、マジで困った。文字読めねぇ……」
日本じゃない=日本語ではないというわけで。
そりゃ、日本語使われていない以上、元日本人の俺が読める文字なんて存在しませんよね、ってことだ。
看板に描かれてるやつは絵じゃなくて文字だったのか……。
他国の文字は絵に見えるとか聞くが、あれ本当だな。
なんぞや、奇妙な絵が描いてあるようにしか見えない。
「見た感じは、やっぱ中世って感じだな。金もほとんど銀貨がつかわれてるし」
一部の豪商のように見える輩は、金貨を取り出している人たちもいるが、おそらくあれはこの都市の外部から来た人たちであろう。
服は砂ぼこりに塗れ、馬車などに積んである荷は、食料品が多く喪われ、この場所で売るのであろう、未知なる道具が大量に積まれていた。
「基本は銀貨、細かい金は、銀貨を割ったものを使用か。このあたりほんとに中世っぽいなぁおい」
最も細かいものは銀貨を四等分にしたもの。
実際イギリスだかどこかでも、銀貨を十字に沿って割ったものを流通させて、小銭にしていた時代があったらしいし、おかしいことじゃない。
結局重さだしな、こういうの。
このセカイでは、葉っぱが十字型に刻まれており、その中心の葉脈に沿って分割されているようだ。
「つか……人多すぎだろ……。ちょっと疲れちまったぜ」
人の流れから離脱し、果物を売っている屋台の隣に座り、休憩。
やはり、街の大通りに出ただけあって、かなりの人が行きかっている。
この人混みをずっと歩くのは、少々疲れるのだ。
そんなわけで、休憩しつつ先ほどまで俺も参加していた、人の流れを見る。すると、屋台を切り盛りしているおばちゃんに話しかけられた。
「よ、兄さん。珍しい服装だねぇ」
「おうよ、異邦人ってやつだぜ」
「何処から来たんだい?」
「あー……日本って、わかる?」
「知らん国だねぇ」
「だよなぁ……」
「おや?」
「ん?」
おばちゃんの目線が、ふと上を向く。
目線の先には、思わず見とれるほどの、絶世の美女。
はかなさを感じさせる薄い肌の色に、色素の薄い蒼い瞳。それらを際立たせる、真っ直ぐな銀色の髪。
顔立ち、プロポーション、立ち振る舞いに至るまで、全て洗練された美しさを持つ人であった。
日傘と日よけ帽によって目の周りにできた影が、さらに魅力を醸し出している。
「ふふ、マダム。ちょっとお邪魔させていただくわ」
「あらあら!伯爵夫人様!いえいえ、こんな粗末なお店でよければ、いくらでも!」
「もう、粗末などではなくてよ?この果物の瑞々しさといえばもう、たまりませんもの」
果物をその豊満な胸元に引き寄せ、うっとりとするさまは、いっそ魔性すら感じさせるほどであった。
「……あら?あなたは?」
「…………」
「えっと……もし……?」
「―――え、俺ですか?」
伯爵夫人さまの目線がこっちに向くも、まさかこの都市の住民ですらない俺に対して偉い人が興味を持つとも思わず、変な間が空いた。
…………まずい!偉い人に対して随分と呆けたことをしてしまった!
「あああっと、すいません!えっと、俺は痲草 茉莉といいます!」
「マツリ?そう、珍しい名前なのね」
「いやぁ、すいませんねぇ、伯爵夫人様!この子、見てのとおり異邦人なもので!」
「あら、そうなのね。道理で珍しい服装していると思ったけれど。―――ん?……すんすん」
「……をおお!!?!?!」
じっと伯爵夫人様に見つめられたかと思うと、いきなり匂いをかがれた。
……昨日風呂には入ったけど、大丈夫か俺、もしかして変な臭いしてるのか……?
「―――あ!突然ごめんなさい」
「いっえいえこちらこそごめんなさーい!」
「ふふ、あなたが謝ることではないのに。うん、とてもいい匂い……食べちゃいたいくらいね」
「―――うえ?」
「何でもないわ。……さて、マダム、この果物いただくわね」
「ああ、はい!いつも毎度ありでございます」
おばちゃんと仲良さげに話すと、いくつかの果物を買い取って、数枚の銀貨を支払い、店を立ち去ったのであった。
「いいお方だよ、伯爵夫人様……カーミラ様……。いつまでもお若くて、器量もよくて……。今回だって本来の金額よりずいぶん多めに払ってくれて……街のみんなの人気ものなんだよ」
「もしかして、偉い方なのか?」
「この街で二番目に偉いお方よ!あんた、親衛隊の前であんな呆けてたら、殴られててもおかしくないよ!」
「お、おう……気をつけます……」
ぐいっと詰め寄られる。
まじか、そこまで偉い人だったのか……。
それにしても、カーミラさんか。
この街の名前は、カーヴィラだったよな。
もしかして、彼女の名前からとっているのか?
「だがしかし、夫人……か。いいなぁ、あんなきれいな人娶るなんて、うらやましいわ」
「……ずいぶん前に、お亡くなりになってるよ、伯爵様は。あんた、あんまり好き勝手いっちゃいけないよ」
「あー、それはすまん……」
これだけ街の人に人気あるとなると、不用意に変なこと話すと面倒事になりそうだもんな。
情報をくれたおばちゃんに感謝だ。
「さってとー!おばちゃん、俺もう行くわ」
「おう、気をつけるんだよ?」
「ういよー!じゃあなー」
「待ちな!」
「…………ん?」
振り向くと、ふわりと投げられた林檎が一つ。
慌ててキャッチして、おばちゃんの方を向く。
「頑張りなよ、異邦人!」
「おうよ!」
親指を立てるおばちゃんに、同じ動作を返して答え、人の流れに戻る。
噛り付いた林檎は、とてもおいしかった。
「んー、幸先良しっと。さてさて、現実世界に戻る方法を探すことも大事だけど、まずは働き口探さないとな」
異世界物の鉄板……それは、なかなか現実に戻れないということだ。
それまで生きるためには、まず金を稼がないとな。
「……あ?」
そんなこんなで、何か求人的なものでもないかと、文字が読めないなりに探している最中のことだった。
……あれ、人の流れに沿って歩いていたのだが―――いきなり流れが止まった。
何事かと思い、周囲を見るも、人垣に埋もれ一切情報確認ができない。
西欧人は背が高いというが、それはこちらの世界でも同様のようだ。
全く外がわからない……。
なんとか人をかき分けて、原因の場所を見ようとあがいてみた。
「……お?」
顔が人の隙間から出た。
それによって、ようやく、問題の場所を見ることができた。
「んー?騎士と……あれは、商人か?」
人が輪を囲んでいるのは、地面に倒れた若い商人と、今にも剣を抜こうとしている騎士であった。
騎士、といっても、別に重厚な鎧に身を包んでいるわけではない。
どちらかといえば、ライトアーマーに分類されるだろうか。
だが、それ以前に―――騎士の方は、女性であった。
蒼い髪を持つ、流麗な騎士。髪は、後ろの方で一つにまとめられていた。
しかし、その髪色が抱かせるような、静かそうなイメージとは裏腹に……彼女の瞳は激情に彩られている。
「貴様!言うに事欠いて我らが主を怪物だと!?」
「じ……事実だろう!あんなの、魔女と一緒――」
「貴様……貴様貴様貴様!言うに事欠いてあの方を魔女と同類に扱うとは!ここで今すぐ切り刻んでくれる!」
甲高い音が鳴り響き、剣が抜かれた。
刀身は透き通った白銀。美しい刃であった。
ああ。このままじゃ間違いなく血が飛び散る事態になるなー、と。そんなことをぼんやりと思う。そして、ハッとする。
……いや、待て!