そして閉幕へ
***
「大っ成功です!!!!ありがとうございます、マツリさん!!!!!」
「いえ、こちらこそ。ウェディングドレスを着る体験なんてなかなか得られませんから、いい経験になりました」
うん、下手すれば一生着ないからね。これでも元は男なので。精神的にも完全に寄ってしまったわけではないから。俺がウエディングドレスを着ての結婚、というのはなかなか想像がつかない。
それにしても、成程ウエディングドレスの貸し出しサービスの販促か。ファッションショーの最後に持ってくるにはいい服装といえるだろう。
なにせこれは目を引くからね。見に来た多くの人に強い印象を与えることができるだろう。
「………本当に、助かりました。もう既に影響が表れて、服が売れ始めているそうです。皆さんがいなければこんな結末は訪れなかったでしょう」
「あはは。お役に立てたようでなによりです」
ま、俺がやったことはたかが知れているけれど、あんまり否定してもそれはそれで感謝に対して迷惑だからね。驕るつもりはないけども。
「とりあえず、汚しちゃまずいし―――ウエディングドレス、脱がせてもらってもいいですか?」
「あ、そうでしたそうでした。どうぞこちらに!ちょっと名残惜しいですけどね、とっても綺麗なので」
「………うーん、諸手を振って喜び難い………」
とりあえずと手で示され、椅子にゆっくりと腰掛ける。
ウエディングドレスって意外と重い。さらには皴もできやすかったり、できた皴を取るのが難しかったりと手入れも管理も難しいのだ。
ネルリアさんたちはレンタルサービスをするならばそういう問題が多発するのも仕方ないと笑っていたけど、折角質のいいドレスなのだ。なるべく丁寧に扱いたいのは当然だよね。
それに、ほかの方が着るかもしれないのだ。尚更、綺麗に片付けないと。
「では、ちょっと顔を上げてください」
「はい」
「フェイスベールを取り外しますね」
そういって、ネルリアさんが俺の前に立ってフェイスベールに手をかける。そして、一瞬止まった。
「………あれ、どうしました?」
「あー、いえ。マツリさんはフェイスベールの意味………ベールダウンとベールアップについて知っていますか?」
「ん。んー、詳しくは知らないですね」
”魔女の知識”を用いれば検索できるけど、それはしない。確か、ベールダウンはその名の通りベールを降ろすこと、そしてベールアップはベール上げること。うん、俺はそれだけしか知らない。
「本来フェイスベールに宿る意味は、魔除けと守護なんです。ベールダウン………ベールを降ろすことによってこの薄布を壁に見立て、邪なものから花嫁を守るんですよ」
「魔除け………そうなんですね」
確かに、顔を隠すことによって意味を与える呪いや呪法は多い。それが変化したものであるおまじないでも、同様だ。
「そして。その守護の力は母親の愛情から生まれるもの。―――フェイスベールを降ろすのが母親の仕事とされるのは、今まで少女を育て、守り続けた存在であるからというわけです」
「………」
「ならば、ベールアップ………ベールを上げるのはどういう意味か。わかりますか、マツリさん」
顔の前に手を掲げる。守護の意味を持つ覆い、それを取り外すということ。それはつまり、雛鳥が空へ旅立つことと同義だ。
「独り立ち、そして己と結ばれた相手とで身を守る。母親の庇護から抜け出し、自らの足で進んでいく、ということでしょうか」
「はい。なので、ベールアップを行うのは花婿です。ほら、誓いの接吻を行うときにあげるじゃないですか」
この世界は当然ながら西洋式の結婚式であるため、誓いの接吻はもちろん神父の前で行われる。まあ、教会にも様々種類があるためすべてで同じ作法というわけじゃないけれど、それでもその口づけだけは変わらない。
本来、結婚式というのは儀式の一つだ。異類婚姻譚も、元を辿れば人と神との契約であり、或いは人外の怪物と人が共に歩むための方策なのである。
でも、そうか。ウェディングドレスのベールにはそんな意味があったのか。
「マツリさんは、お母様は?」
「………いましたけど、今はもう遠いところに。あ、いえ、死んでしまったわけではないんですが!」
「でも、会いに行くことはできない、と」
「そう、ですね。そうです。多分………」
もう二度と、会えないとは思う。直観だけどね。
「ベールダウンは母親だけではなく、最もお世話になった人にお願いするケースもあります。ですが………もし。もしも、マツリさんがウェディングドレス纏う時があったのであれば。その時には、ベールダウンを私にやらせてはいただけないでしょうか」
「………いいんですか?」
「お願いします。なにか、一つでもこのお礼を返したいのです。だってマツリさん―――さっき、ウエディングドレスを見た時、寂しそうな、遠いものを見るような顔していましたから」
「あ、りゃ。あはは、もう気にしないでいようと決めたはずなんですけど、ね」
「人の心はそう簡単には変えられませんよ。それに、寂しいことは寂しいと感じるのは当然で、悪いことではないと思います」
「………はい」
そっか。顔に出てたんだ………いや、ね。だってさ。ウェディングドレス、結婚式。それは、親孝行の一つの形でしょう?
俺は向こうでは男だったから、ウエディングドレスを着ることが親孝行と感じるのはこの身体になったが故だけど。でも、それももうできないと考えると、ああもっと親孝行しておくべきだったかなって思うのだ。
靄がかかりはじめた彼方の記憶。それでもまだ、愛情を受けていたことは憶えているから。
ちょっとだけ、ウエディングドレスっていうものに心情が引っ張られた自覚はあるけどね。
「じゃあ、もしも着るときがあったら―――その時は、ベールを降ろして、俺を守ってください」
「勿論!このお礼は、必ずしますから!!………代わりに、今は。貴女のベールを」
解きます、と。
そういって、静かにフェイスベールは取り外された。外気が肌を撫でる。庇護の象徴であるベールは今この一旦、いずれ訪れるかもしれないいつか迄、俺の身から離れた。
ベールを上げるではなく、解くか。うん、いい言葉選びだと思う。そういうのは、好きだ。
そうだね。いつか俺のベールを上げてくれる人がいるならば、それはとても幸せなことだと思うから。そのいつかを、待つことにしよう。そしてその時には、ネルリアさんにベールを降ろしてもらうのだ。
「―――美しい今の貴女に。美しい未来の貴女に。お礼を、感謝を。………ありがとうございました!」
そうして、ファッションショーの幕は引かれた。小さな約束を残して。
ああ、本当に俺はこの世界にきて、たくさんの人に助けられていると自覚する。こんなにも孤独ではないのは、まさにそのもの幸運だろう。
………やがて懐かしき故郷の記憶が擦り切れてしまうとしても、守られていたということだけは忘れないでいよう。この世界に感謝と慈しみを。あの世界に哀愁と別れを。
記憶に蓋をすることも叶わないというならば、その感情の欠片だけはずっと胸の裡に抱えていくために。
―――ああ、そうそう。今回のお手伝いで、報酬と称してたくさんの服がみんなにお礼として配られ、身内的ファッションショーが開かれたのはまた別の話。意図せずに、想定していたよりも多くの洋服を入手することになりました、はい。