開演へと
………椿の花は商売繁盛を祈願する魔術に使われることがある。
知っての通り、花の散り方が特殊な植物だね。薬草魔法の概念である植物に宿る力の分類でいえば、この花には財産という意味と力が宿る。
まさにもってこいのおまじない、というわけだ。
「ね、水蓮。余った椿をお店の周りに飾り付けてくれるかい?」
「む。………いいだろう。目の付く場所に飾っておく」
「うん。おまじないの足しにしよう」
折角だから飾っておいてといったばかりではあるけれど、ちょっと考えなおした。同じ株から生まれたものだもの、どうせならみんな一緒に使って上げた方が花弁も喜ぶ。
とはいっても、飾る方は殆ど全て普通の調度品としての役割しかないけどね。でも、椿の場合はその視覚効果にこそ意味がある。
椿の花は本当に匂いがない。一説によれば、鮮やかな花弁のカタチが自然と媒介動物を引き寄せるため、匂いを出す必要がなかったといわれている。
だから、香りを用いる俺の薬草魔法でも勿論、香りは存在していない。匂いによるおまじないではないが、代わりに無香の魔法は意識の深層に優しく染みわたり、少しだけこちらに―――椿の花の姿に興味を持つように、簡単に意識を掌握するのだ。
程度でいえば音が立った場所に目線を向けるかどうかくらいのもので、それ以上の効果はない。魔法の範囲はそれなりに広いけどね。
「マツリさん、では一旦戻りましょう!他の方との入れ替わりです」
「はい、分かりましたー」
さて、タイミング的にもちょうどいいね。魔法はかけ終わった。あとは水蓮が椿を飾ってくれる。
………なので、あと俺がやることはファッションショーのモデルの仕事だけだ。それが大変なんだけどね、うん。
ネルリアさんに指示されるまま、歩き方にも気を使いつつランウェイを戻っていく。途中、同じようにモデルをやっている人にすれ違うと、軽く会釈をした。相手の方も少し照れながら、笑みを返してくれた。
本当のランウェイではこういうことはやっては駄目なことに分類されるのかもしれないけどね。でも、なんだあいつとか思われるよりはいいと思うのですよ。それにほら、あくまでも素人によるものなんだからさ。
仲良く、楽しくした方が良い。服だって、楽しげに揺れている方が可愛く映るから。
転んで衣装を台無しにしないように気を付けながら、控室に繋がるスロープへ。少しの暗転の後に灯りに照らされたその部屋に戻ると、はて?
「あれ、人数少し増えてますね」
「そうなんですよ!いやぁ、ありがたいことです………マツリさん、本当に助かります!」
「いえ………俺はまだ何もしてないですよ?」
だって、魔法が作用し始めるのはこれからだし、そもそも急に人を集めることが出来るほどの効果はない。
何故こんなにも急に、と首を傾げていると、ミーアちゃんが仕切りの垂れ幕をくぐってやってきた。
「マツリさんを見て、だそうですよ。いいですね、嫉妬されるのではなく憧れる美しさというのは。ええ、本当に。良い身分です」
「え、どういうこと?」
「だから、マツリさんと一緒にランウェイを歩きたいからと、モデルに応募した人が何名かいるのです」
「えー。えー?」
そんな馬鹿な。
いや、でもしっかりと周りを見渡せば、ランウェイを歩いている時に見かけた少女二人の姿もあった。
………もしかして、客寄せパンダとして使われました?
ネルリアさんの方を振り返れば、そっと視線を逸らされた。ちょっと。こっち見てください、こら。
「いえ、あの。ものすっごく似合っていて、見せつけたいなぁとは、思っていたんです。それにほら、美人さんが率先して動いていると興味惹かれるじゃないですか。ここまで作戦がハマるとは思いませんでしたが………」
「………んーまあ、別にいいんですけどね………」
俺が恥ずかしいだけだから。害があるわけでもないからね。
………魔術師の姿は見えない。勿論、彼らよりもさらに数の少ない魔法使いの姿もない。精々が俺や水蓮に興味を引かれて近づいてきたあちらさんだけだ。
つまり、俺の問題である存在の大規模な露呈は心配いらないというわけである。この世界、まだ映像媒体はそこまで発達していなくて、魔術的な手法を用いない限りは動画として残すっていうのは難しいからね。
ここで短時間、表舞台に立ったとしても致命的な事柄には繋がらないのだ。だから、別に怒ってはいない。というか怒らないよ、その程度じゃね。
「ところでミーアちゃん。どう、この服?」
「はいはい。似合ってますよ」
「………むぅ。なんか適当じゃない?」
「気のせいです」
俺がお洒落するなんて珍しいのになんだよー。などと拗ねてみつつ。
なんだかんだ、視線を向けているのはわかってるからいいのです。スカートを揺らしてちょっとだけ笑って見せれば、少し頬を染めたミーアちゃんの表情が見える。
うん。なんだろう、こうして思うとやっぱり女の子らしく綺麗な服を着るのも悪くないと、改めて思う。
「お、マツリちゃんめっちゃ綺麗じゃん!いやぁ、素材が良いって羨ましいなぁ」
「ありがと~。でも、シンスちゃんも可愛いよ?」
「え、すっごいお世辞飛んできた」
「きちんと本心だからね」
基本的に俺はお世辞使わない、というか使えないし。最近は特にね。こほん、それはともかく。
シンスちゃんはへそ出しTシャツにローライズのズボンだ。下半身の方はかなり際どい衣装なんだけれど、不思議とシンスちゃん自身の健康な印象のおかげか、いやらしさというものは感じさせない。
いいなぁ………俺がああいうの着ると痴女だからなぁ。
偶には男心くすぐられて、ああいう動きやすくて格好いいものを着たくなる時もあるけれど、もうああいった服装は似合わないんだよね、残念ながら。
「あは~、分かってるよ。ところでマツリさんや………ふふ、普段はローブに隠れて分かり難いけど、いいものお持ちですなぁ………」
「おっと背後に回り込まれたからって背中を許すと思ったら大間違いですよ?」
「くっ!!」
流れるように、それこそ騎士の足さばきを利用してまで俺の後ろに移動してきたシンスちゃん。目的は勿論、俺の胸である。
なのでミーアちゃんの後ろに逃げ込みました。ここなら安全だからね、うん。
「ミーアどいて!そのおっぱいに触れない!」
「シンス。黙って。マツリさんの胸は、私のもの」
「………うん?なんか違くない?」
鉄壁の城塞に逃げ込んだと思ったら、実は袋の鼠だったのかもしれない。
「………あんたたち、何してるのよ」
なんかわちゃわちゃしてきたところで救いの手、もといアルちゃんがやってきた。腕を組んだ目元は半眼で、まさに何を下らないことを、と言いたげである。
「このおっぱいは誰のものか選手権?」
「俺のものは俺のものです」
「でも彼氏とかできたら―――」
「マツリさんにはできませんので。問題ありません」
「………あはは」
「どうでもいいけど、暴れると服がよれるわよ。どうでもいいけど」
うん、確かに。シンスちゃんはまだ動き回れる服装だからいいけど、俺の場合は乱暴に移動するだけでも結構危ない。ヒールな上にそもそも歩きなれていないからね。
折れたら一大事。お店の物を試着している身だ、丁寧に扱わないと。
さて。それよりもこの試着室にアルちゃんがやってきたということは、何か用事でもあるのだろう。静かに視線を向けた。
「貴女の魔法と、客寄せパンダ効果で段々とお客さんが集まっているわ。あと一押しでいいんじゃないかしら」
「そっか。伝えに来てくれたんだね、ありがとう」
「………表の騎士様に言われてね。黙々と仕事してるけど、放っておいていいの?」
「雑だけど真面目だからなー、ミールは。よーし、私も手伝いに行くぞー」
「………モデルは中にいて。私が戻るから」
そう言って、軽くシンスちゃんにデコピンをしたミーアちゃんが垂れ幕の外へ出ていく。
幕を手で押し上げ、去り際にこちらを振り返り、一言。
「本番ではもっと、貴女らしく笑ってもいいと思いますよ。その方が似合いますから。―――元々、綺麗ですけどね」
「………ぅ。はい」
なんだよー、その流し目。ちょっと、胸が高まったじゃないか。
「では」
そういうと、メイド服にも似た騎士の装いを揺らしてミーアちゃんは完全に垂れ幕の外へと出ていった。
見えなくなった背中を見ていたシンスちゃんが、小さくぼやいた。
「やっぱり、変わったなぁ、あいつ。いい方向に、だけどね。前まで私も含めて、誰かに触れたり………守ったりすることなんてなかったのに」
「シンスちゃんが傍にずっといたからじゃないかな」
「あはは。自惚れてるわけじゃないけど、それもあると思う。けど、やっぱりマツリちゃんのおかげっていうのが一番強いと思うよ」
今の俺よりも背の高いシンスちゃんを見上げる。目と目が交わった。
「力があって、知識もある。人を助けて、救える。それは凄いって思うし、羨ましいって思う。そのどっちも、私がマツリちゃんに対して思っていること」
「………俺は、皆との思い出がないから。シンスちゃんみたいにあの双子との絆が最初からあるのはいいなぁって思うし、逆に新しい思い出を鮮烈に刻めるのは、特権だと思う」
「同じかー」
「うん。同じだよ。それに、俺はシンスちゃんのことも好きだよ」
「そりゃもちろん、私だってそうだよ」
どちらともなく、微笑んだ。
「人は変わるもの。流れ行く水のような物。その水に意味を見出すのは己であり他人―――でも、その意味に善悪が宿ろうとも、流れ変わる水そのものには関係がない」
「変わることは間違いじゃないし、怖がることじゃないって?」
「うん。他人が変わることも、自分が変わることも、等しくね」
ゆっくりと瞼を降ろすと、更に人の増えてきた控室で邪魔にならないように、壁際に寄る。壁といっても、垂れ幕だけどね。
「お祖母ちゃん………いや、お母さんみたいだなぁ」
「あはは。まあ、そう言われると………うん。多分、今の俺はそういう風に捉えらえることを、嫌がっていないから。嬉しく思っているんだと思うよ」
―――さて。
「そろそろ、頃合いかな。人数も集まってくる頃だと思うから。頑張ろうね、ファッションショー」
「おっけ~!可愛い所見せてね、マツリちゃん!」
二人で片方ずつ、手のひらを合わせて笑いあった。
始まるよ、ファッションショーが。折角だもの、楽しまないと!