出発!
手の上でそんな琥珀を受け取ったアルちゃんが静かに固まる。そして、姿勢と同じように石から発せられたような硬い声が発せられた。
「大気の魔力、ですって?」
「そう、マナだよ。魔術師にとっては垂涎物じゃないかな?」
「………こんなものを簡単に渡すんじゃないわよ、悪い魔術師の手に渡ったら―――」
「アルちゃんは悪い魔術師じゃないからね。でしょう?」
「ぐ、この、この魔法使いは、この………このぉ………」
琥珀を握って………というか壊しそうなほど思いっきり握りしめて、喉の奥から声を絞り出すアルちゃん。
その様子を見て、ミールちゃんが少し口元を緩め、笑った。
「………ふ」
「ちょっと騎士様?今笑わなかった!?」
「いや、なに。最初にあった時に比べ、随分と鍍金が剥がれてきたな、と思ってな。マツリに会ってそんなことしている暇もなくなったか?」
「む、むむ………煩いわね………」
ふむふむ。あら、最初にあった?
それは一体どういうことでしょう。いや、そこまで難しい話でもないか。
「知り合いだったの?」
「仕事でな。で、こいつも仕事で顔を会わせた。生意気な魔術師といった感じだったが、うむ………随分と、なんだ」
「砕けた、じゃないですか、姉さん。具体的に言うとプライドと対抗心辺りが」
「そう、それだ。ボロボロだな、ははは」
「笑うな馬鹿騎士」
「黙れ鍍金魔術師」
………ええっと。仲がいい、でいいのかな?
ミーアちゃんとシンスちゃんの方を見て、視線で問いかけると二人してやれやれといった感じで肩を竦めた。まあ、仲がいいと判断しましょう、うん。
それに、なんだかんだアルちゃんは人付き合いと面倒見が良いのだ。水蓮とだって、決して悪い関係なわけでは無い。
基本的に魔術師を嫌うあちらさんも、そこまでの嫌悪感を持っていないようだからね。勿論、魔法使いと魔術師ではあちらさんの対応に大きく違いがあるのは仕方がないことだけど。
手法もシステムもスケールも概念も違う相手だもの、そういうことだってある。仲がいいのは良い事だけど、無理をして無理矢理同じ枠の中に括るべきではない。各々には生きるべき場所があって、誰を何を好くかは個人の自由だ。嫌いな人に敵対し、悪事を働いたり罵詈雑言を発したりは当然、悪いことだけどね。
ああ、悪いといっても最期には自分に返るからっていう意味だけど。仏教の逸話、贈り物も悪口も、受け取らなければ自らに返るというあれだね。
「悪口………いや、二人の場合は口喧嘩かな」
なら大丈夫、と思いたい。
「ちょっと二人とも、そろそろ行こうよー!というかまだ店の中だからね、普通に邪魔だよ?」
「む」
「………そうね」
シンスちゃんが良いタイミングで声をかけてくれた。うーん、上手い。
やっぱり人付き合い上手だよね、シンスちゃんって。しかも難しいこと何も考えずに、自然体でそれが出来るんだからすごい。俺も決して人と話したりするのが苦手な訳じゃないけど、それでもシンスちゃんには及ばないかも。
「ほら、マツリちゃんとミーアも」
「ん」
「うん、分かったよ」
俺と、ミーアちゃんの手を引いてシンスちゃんが店の外に一番最初に出る。少し遅れてまだ若干の口喧嘩が続いている二人がついてきた。
そう、手を繋いで―――シンスちゃんがミーアちゃんの手を握っている光景を、ゆっくりとした瞬きの中で捉える。浮かぶ表情は静かな微笑みだった。
良かったと素直に思える。帽子のつばを下ろして、少しだけ表情を隠した。
全部が一瞬のことだ。もう一度つばを上げた時には、瞬きは終わり、静かに眠る夜の草木のような微笑みの代わりに、いつもの俺の表情が戻っていることだろう。
「マツリさん?」
「んー?」
「………いえ、なんでもないです」
なんでもないっていうよりは多分、何を言えばいいのかわからなくなったんじゃないかなと、俺は推測した。
そんなミーアちゃんの頭を軽く撫でて、良く晴れた太陽の下で身体を伸ばす。身体を反らして、凝り気味の肩を解した。
………ふう、すっきりした。伸びを終えて視線を戻せば、ミールちゃん以外の三人の視線がこっちをじっと見ているでは無いか。いや、違うね。俺を見ているのは間違いないけど、視線が集まっているのは俺の身体のごく一部だ。
「揺れた、今」
「うん。揺れたね。大きなのが揺れた」
「ズルいわよね、手入れもせずにあの肌にあの崩れの無い胸。詰め物でもしてるんじゃないの」
「それは無いかと」
「なんでよ」
「触ればわかります」
「………へぇ」
胸に集中した視線を、ミールちゃんの陰に隠れることで遮る。当の本人にはこっちに来るなという視線で見られたけどね。ごめんね、許して。
「セクハラだぞ、お前たち」
「なんだよミール、珍しく真面目だなー!同性だろー!」
「私は仕事には真面目だ。私生活はともかく」
「私生活もしっかりしてくれると、妹として助かるんですけどね」
「断る。だってミーアがいるからな、私がやる必要はない!ふふん」
威張る所、かなぁ?
それはともかくとして、そういえば俺が元々男だったってことを知っているのは………というか男の俺の姿を見たことがあるのは、この世界では双子だけなんだよなぁ。シルラーズさんですら、女性に変わった後しか知らない。
ん、違うか。一応その他にも二人いたけど、あの二人は商人っぽいし中々会うことはないだろう。中世の商人というものの多くは行商人であり、店を構える者も仕入れや勘定で忙しくしている。相当古い家柄とかで尚且つ、相手が豪商となら付き合いで会うことがあると思うけど、しがない街外れの魔法使いである俺にはそんなきっかけはないのだ。
仮にあのおっちゃんと少年に会ったとしても、まあ気が付かれないだろうけどね、うん。
「それよりも!早く買い物だよ、買い物に行こう!人間の一日っていうのは短いんだから」
「あら、良い事言うじゃない、魔法使い。それには賛成よ、早く終わらせて約束の報酬を貰わないとなんだから」
「………それより私はそろそろ影から出ていいか」
足元の影から水蓮の声が聞こえてきた。駄目です、君は下着しか着てないでしょ、今。
服を買うための服がない、それを身をもって体現している水蓮のためにもそろそろ洋服屋さんに行くとしましょうか。
うん、それにしても………女三人寄れば姦しいっていうけれどね。これだけたくさん集まると、話題に事欠かないものだよ、本当に。騒がしいやら、楽しいやら。
ま、悪いことじゃないからいいか。
帽子を揺らすと、街並みの中を歩きだす。たくさんの友達と共に。
***
「なんかチクチクするが」
「我慢しなさいよ、妖精。それが普通なの」
「………むぅ」
買い物をする、といっても俺はまだ街にはそこまで詳しくない。密度が濃いけど、実は転移してからそこまで時間たってないからね。それはともかく。
詳しくない俺は勿論、たくさんの洋服が揃えられているお店なんて知らないわけで、皆に連れられて来たのですが………まあやってきた場所は驚きの一言だった。
「大型ショッピングモール………あるんだ、この時代に………」
「そりゃあるに決まっているだろうが。このカーヴィラの街は規模も職人の質も一級品だぞ。諸国の王都にすら引けはとらない」
「一都市が国家規模かぁ」
カーヴィラの街はどこの国にも属さない都市国家である。それとは別に、この世界には普通に国家というものが存在しているけれど、まさかその中心都市と同等とは。
いや、よく考えれば巨大極まるアストラル学院の建築技術とかもあるのだから、ショッピングモール程度立つのはおかしいことじゃないのか。俺が今いるショッピングモールは大型とはいえ、規模は防衛設備を兼ね備える秘術の学び舎、アストラル学院よりは随分と小さい。
比べる対象が異常なだけで、大きいには大きいんだけどね。装飾こそ中世ヨーロッパ的というべきか、石柱や飾り窓で絢爛に飾られているけれど、三階建ての広大な面積を持つこのショッピングモールの店内は間取りやお店の入り方的に、殆ど俺の知っている現代のそれと同一だ。
洋服店を始め、靴屋と靴磨き、雑貨屋やら寝具店やら、変わり種では魔術師の道具を売るお店すらある。楽器店やケーキ屋さんももちろん入っている。ケーキかぁ………あとで寄ってみようかな。