魔女の長
「………うん、ちょっと酔った」
「空間酔いですか?」
「今は体調悪いからね、強引に転移すると脳が揺さぶられて大分気分が悪くなっちゃうんです………」
―――と、そんな軽口を言い合いながら。
俺たちが転移したのは、深く生い茂る森の中、その只中に存在する不思議な森の広間であった。
理由はなく、意味もなく、ただ自然のあるままに不自然に森の中に現れる、虚無の空間。森は人間にとって未知の対象として扱われる。魔女が住み、魔物が住み、怪物が潜み、昏き闇の中に赤い瞳持つ隔たりしナニカに見つめられる場所として。
そして、やがて。最後には森自体が意思を持ち、生物のようにして扱われるに至る。ま、これが山岳信仰だ。
………魔女が星の意志の体現者、古き精霊の残り香を漂わせるものならば、確かに。
魔女の宴に際して、森自体がこのように場を設けることも、決してあり得ない話ではない。
「おやツァイト。今回は遅かったね、時間厳守のお前には珍しい」
「大魔女の娘、千の霧を纏いし者、智慧喰らう賢者………彼女を連れてきたので」
「―――ああ、懐かしや懐かしや。そして何とも恐ろしや―――千夜の魔女の半身持つ者とは」
そうして、ツァイトちゃんに話しかけたのは、老婆の姿を取った魔女の一人であった。
………姿を取ったというのは、見かけの姿が本当のものでは無いからだ。魔法か魔術か、或いは魔道具か。何かしらの術法によって、彼女は姿を偽っている。
いや、彼女だけではない。周りを見渡せば使い魔が飛んでいて、煙によって上半身だけが象られた魔女がいて、様々な魔女が様々な方法で宴に参加しているのが見て取れる。
姿を偽るのが嘘や悪事によるものではないためだ。ならば、特に気にする必要もないよね。
頭の上に手をやり魔法使い帽子を外そうとして………ああ、そういえば今は無いのだった。病室に置きっぱなしである。行く場所を失った手首をくるりと回すと、胸元において落ち着かせた。
そして、口を開く。
「どうも。あはは、迷惑だったかな?」
「ふふ、まさか。古よりの我らが祖、最も古き魔女の肉受けし者となれば、魔女が断る道理もありません。さあ、お手を拝借、霧纏う魔女よ」
「ではお言葉に甘えて、よろしく頼むね、メラビアン」
「―――おやおや。貴女の眼は、見かけだけを見るのではないらしい。成程、確かに長が興味を持つのもわかるというものだ」
………メラビアンの法則。
まあ、簡単に言えば人は人を見た目で判断するという、ただそれだけのものだ。自然や物理の法則では無く、人間の心理法則であるわけだけれど、法則や原理であれば必ずそれを体現する魔女がいる。
余程科学に因った法則でない限り、魔女はそれら法則のもとに生まれ、それを自在に動かせる。
見た目で判断するという法則を持つ目の前の老婆は、相手に強制的に見た目の印象を受け付けることが出来るのだ。本来の姿がどうであろうと、彼女は己を見る視線の全てに干渉し、その認識する姿を好きに操れる。
曰く人は外見情報によって五十五パーセント判断し、内面情報は七パーセントしか考慮しないという。この比率をも自在に操るメラビアンの魔女は、対人関係を操る手段を持つ者としては最高クラスの術者だろう。
俺も、多分少し前までならその認識に乗せられていたとは思う。今は………寄っちゃったからね。
「ツァイト。長の元へ連れていくよ、お前は?」
「私も共に。帰り道を作るのも私の仕事ですから」
「便利な辻馬車扱いとは。お前も断れよ、ツァイト」
「………母の命には逆らえませんよ」
肩を竦めた老婆が進み、ため息交じりの息を吐きながらツァイトちゃんが追いかける。俺はメラビアンの魔女に手を引かれているため、二人の真ん中あたりの位置で一緒に歩いています。
それより、だよ。
「………母?」
「ええ。私は魔女ですが、純血ではない二世なので」
「そっか。ん、あれ?」
確かに、人と交わり子を為す魔女というのも存在しないわけでは無い。法則の体現者であっても魔女は人格を持ち、当然好き嫌いといったものも存在するからだ。
人を嫌う魔女もいれば、子を産むほどに人を愛する魔女もいるのである。そうした魔女の子供というのは大体は魔女としての力、魔力は持つが魔女が魔女たる所以である法則の操作は行えない。
己の魔法、魔術の形式としてその法則に関係する力を持つことはあっても、それは本来の魔女の力ではないのだ。
………でもツァイトちゃんからは強い魔女の匂いがする。これは間違いなく法則を授かっている証拠だろう。それも、かなり強力な。
「気が付かれましたか。ええ、私は魔女を親に持つものですが、母と同じく法則を持つ魔女として生まれました。珍しいことだそうですが―――」
「ツァイトの母が強力な魔女である証でしょうよ。なにせ………と。こればかりは己の眼で見た方がよろしいでしょう。なに、貴女はそういう質だろう?霧纏う魔女よ」
「お気遣いありがとう、メラビアン。うん、俺は確かにそういう性質だ」
教えられるのも嫌いではないけれど、やはり自分の足で歩いて、そして見てみたい。
足元の草を踏む感触に違和感が訪れる。ふわふわの絨毯のようだったそれが気が付けば冷たい大理石の床のよう。ああ、そういえば俺は病室で寝ていたので裸足なんだった。というか格好がパジャマですよ、こんな姿で果たして長の前に出ていいものか。
………ま、いっか。魔法を使えば周りの草花に衣服を誂えてもらうことは出来るけど、それをする必要はないと思う。
見目を取り繕う重要性を忘れたわけでは無い。けど、これから会う人は多分―――見た目を一切気にしない類の人だから。
簾のように垂れ落ちる柳の枝葉を押しのけ、門のようにそびえるオークの木を抜けて。そして、俺たちの前に、一つの影が現れる。
夜に紛れ、しかし決して消えることのない静かな輝きを帯びた濡羽色の髪に、恒星の輝きを持つ眸。
樹木によって象られた椅子に座り、長い足を組んで俺たちを出迎える、美しい女性のカタチ。ああ、確かに細部はツァイトちゃんに似ているけれど―――どこか、非人間的な美貌であるようにも感じられた。
まあ、それに関しては俺もあまり人の子とは言えない。男から女に変わってより、綺麗になったはいいけれど、どこか人外が混ざっている感じはしているので。いや、うん。別に悪いわけじゃないんですけどね、ただ俺自身がこうなるっていうのは未だに心理的には微妙なもので。
身体に慣れて、変質した精神に慣れて………それでもいくばく程度は男の矜持だって残ってるんです。いや、それはどうでもよかった。
頭を振って頭の中身をすっきりさせると、立ち止まった二人と並んでその樹木の玉座に座る女性を見上げた。
「長よ、私です―――時空観測の魔女、ツァイトです。あのお方をお連れしました」
「ははは。あまり虐めぬようご忠告を。いや、逆に虐められぬように、ですかな?なにせかつては永遠を持った魔女ですから」
「………わかってるわ、メラビアン。ツァイトもご苦労、下がって良い」
「いえ。送り届けるのも馬車の役目です。終わるまではここに」
「………娘を馬車と思ったつもりはないのだけど。メラビアン、変なこと吹き込んだわね」
「まさか。あんたの娘が馬鹿真面目なだけですよ―――おっと、怒らないでくれよ、スターズ」
………スターズ、と。呼ばれた女性の髪が一瞬だけ浮き上がった。
なんとも長い髪だ、まるでラプンツェルのよう。玉座の後ろに流れる髪は数メートルはあるだろうか。あれだけ長いと歩くのも大変そうだけど、どうなんだろう。
あ、そうなんです。髪って、長いと重いんですよ、はい。洗うために水で濡らせばもっと重くなる。首も疲れるんだよね。俺の場合は肩も疲れるけど。うん、前にある二つの膨らみのせいね。
「………なら、怒らせないで頂戴、メラビアン。思わず力の一端が零れてしまったわ」
「そりゃ失礼をしましたな。そしてこのあたりが滅びなくて良かった良かった」
「まったく。時間をかけて申し訳ありません、古き魔女よ。私は………」
髪が、するりと浮かび上がる。
そんな髪を引き連れて玉座から立ち上がった女性は、座っていても分かったけれどとても整った身体つきで、おとぎ話の美しい魔女の姿そのままだった。
「―――万有引力の魔女、スターズ。お見知りおきを」